人は何故泣くのか?

このQ&Aのポイント
  • 人は泣くことで自分の未熟さを表現しているのかもしれません。
  • 泣くことはさまざまな要因によるものであり、言葉や感情で表現できない苦悩や喜びを表す手段とも言えます。
  • しかし、泣くことは必ずしも未熟さ故であるとは限らず、年齢や経験によって表現の仕方や頻度が変化することもあります。
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人は何故泣くのか?

生理学や生物科学の範疇かも知れませんが,質問させてください。 '泣く'ということの原因は様々あるのでしょうが 大方の涙の原因は「自分の未熟さ」が原因であると考えることは可能でしょうか。 --- 赤ん坊は意思疎通が上手くできない際に'もどかしさ'から泣くと聞きました。 また汗や糞尿,また怪我などにより不快感を得る際にも,それを解決することができない・我慢できないと泣きます。 感動的な映画などを見た際に泣くのは 直接的にその悲劇的な出来事を哀れんでのことか 或いは登場人物と自分を同一視している場合であると思います。 スポーツで優勝した際などの『嬉し泣き』は 人は強い達成感に興奮するらしく 感情が高まり泣いているのだと思います。 スポーツの観戦などで,そうやって泣いている人をみて泣いているのは '雰囲気'という奴には感情を伝染させる力があるのか 或いは映画をみて泣く際と同じで,泣いている人を同一視し 達成感を共有し,泣いているのであろうと思います。 --- 思いつく限りの「涙を流す状況」を挙げ連ねて見ましたが そのいづれの理由も結局は「自分の許容範囲を越えている」場合であるように思います。 世間では'泣く事'が美化され,今では'泣かない'というのは悪いことである,という風であるように感じます。 感情がない,人の気持ちが分からない,感受性に乏しいなど・・・。 '泣かない'ということに付きまとうイメージは,悪いことばかりのようです。 しかし僕はその風潮が嫌いで,また泣くと言うことは非情に幼稚であるように思えます。 もし涙が「自分の許容範囲を超える際」に出てくるとすれば,つまり ・どんなに不快感を感じていても,それに対処する力があれば ・どんな悲劇的な映画を見ても,それ以上の悲劇を知っている・体感していれば ・どんなに凄いことを達成しても,それを当然と思っていれば ・どんな壮絶な人生に同情し想像しても,それ以上の事を経験していたならば ・全ての出来事が自分の許容範囲内であるならば 人が泣くことはないのではないでしょうか? 言い換えれば,経験や知識が乏しい場合,容易く泣くのだと言えるのではないでしょうか。 実際,子どもや若年は泣きやすいが,年を取るにつれ泣かなくなるように思います。 ただ「涙腺がゆるむ」という言葉があるように,年を取るからこそ泣くこともあるようですが・・・。 つまり何を聞きたいかというと (1) 心理学的に'泣く'という事はどのよう事が原因で起こると定義されているのでしょうか (2) 「泣くことは未熟さ故である」というこの考えの矛盾点や心理学的な'おかしいところ'はありますでしょうか (3) 例としてあげた以外に泣く状況がありましたら,その際の心理の作用と合わせて教えて下さい。 (生理的な反応[目が乾く][目が傷付く][目に刺激物が付く]等以外で) (4) もし「泣くことは未熟さ故である」という考えを肯定するなら,「涙腺がゆるむ」中高年を説明づけるにはどうしたらいいでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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  • ye11ow
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回答No.2

心理学はまだ初心者ですので、個人的な考えを多分にまじえて書きます。 「泣く状況」としては、主に不快感情を覚えたときでです。 それ以外には、映画への感動などの快の感情を覚えたときなどもあるでしょう。 人間が持っている感情は、誕生直後は「興奮」のみで(←これでも泣きが生じます)、 3か月後には「快」「不快」が加わります。 その後、「嫌悪」「恐れ」「怒り」「悲しみ」「驚き」「喜び」などの感情が芽生え、 さらに、「嫉妬」「困惑」「罪悪感」「恥」などのもっと複雑な感情を持ちます。 いろいろと挙げましたが、それぞれが「泣き」を生み出す可能性があると思います。 >大方の涙の原因は「自分の未熟さ」が原因であると考えることは可能でしょうか。 不快や苦痛という原因によっても泣くという反応が生じるわけですが、 大人になると、多少のことではあまり泣かなくなります。 「人前では泣くべきでない」「余程の大ごとでなければ泣くべきでない」という 理性的な判断や社会規範に基づく判断が加わってくるからだと思います。 悲しい時も、泣かずにただ憂鬱な気分になるなど、別の反応をすることも多くなります。 そうではなく、社会性を身につけておらず、 どこでもすぐに泣きわめく子どもを「未熟」とすれば、 それもそうだ言えると思います。それは「社会性の未熟さ」になります。 しかし、乳児は「泣けばあやしてくれる」とすぐに学習し、 子どもはちょっと知恵がついてくると、「泣けば周囲が甘やかしてくれる」 「わがままを言ってもいくぶん許される」と経験的に学習し、 半ば意識的に泣いてみたりすることがあります(私もガキのころやっていました(笑))。 後者は「未熟」どころか、相手の心理を利用した巧みな知能犯なのかもしれません。 「困難を克服し優勝した」「ドラマの最終回を見た」などの感動の涙ですが、 「感動できる」ということは、見たものに対し知的な解釈ができている証拠であり、 また、「感激しそれに涙する」という感情的・身体的機能を持っている証拠です。 乳児に感動のドラマを見せても、解釈不能という「未熟さ」ゆえに泣けません。 「泣くのはよそう」と意識的に我慢しようとしても、 身についている無意識的反応に抗しきれない状況を「未熟」といえるかもしません。 「未熟」とは何か?を定義せねば、「未熟さが原因」かどうかを論じられません。 しかし「未熟」という言葉は意味が曖昧であり、個人の価値観も含むものですので、 人によって意味が異なり、この言葉を用い結論をつけるのは難しいと思います。 「泣くこと・泣かないことが良い・悪い」という話ですが、それは状況次第でしょう。 泣くことには、当然メリット・デメリットがあります。 それらは、「自分の内面的なもの」と「他者への外面的なもの」に分かれます。 内面的なものとしては、泣くことで感情を発散できることなどです。 「泣いて気持ちがすっきりした」という経験は誰でもしているものです。 外面的なものとは他者への印象の良し悪しが関わってくるものです。 例えば、ノリピーは最近の会見で効果的な涙を見せていました(ではないですか?)。 でも通常、大人があちこちで子どものように遠慮なく泣いていたら、問題があります。 「泣くことことが良い・悪い」とは一般化することができないことのはずです。 細かく条件・状況を規定した上でそれぞれ判断していくことや、 実際出くわした状況に個別にアプローチしていくのは構わないと思います。 >もし涙が「自分の許容範囲を超える際」に出てくるとすれば,つまり >・どんなに不快感を感じていても,それに対処する力があれば >・どんな悲劇的な映画を見ても,それ以上の悲劇を知っている・体感していれば・・・(省略) >言い換えれば,経験や知識が乏しい場合,容易く泣くのだと言えるのではないでしょうか。 確かに、泣かずにおれる感情や感覚などの「限界」を超えたところで、 泣きが生じるのだと表現してもよさそうです。 その限界を経験により変化させることは当然できるはずです。 限界をゼロに近づけることもきっと可能でしょう。 「経験や知識の乏しさ」を解消すれば、 泣きの限界も解消していくという場合もありそうですが、 そうだと一般化してしまうことはできないはずです。 先ほどのドラマの例で挙げましたように、 経験や知識によって解釈がはかどり、それで感動できるという場合などがあります。 「経験や知識」と「泣く・泣かないの限界点」は、関係に距離があり、複雑であって、 直接的な相関関係を見いだしにくく、こうだと結論づけるのは難しいと思います。 実際に人が「経験や知識の増加」により泣かなくなったかに関する実験や調査をして、 データからそうだという結論が出たとしても、 その実験・調査の条件に限られる結論であり、 すべての人に当てはまる一般性のある事実だとは到底いえないことでしょう。 とことんやる方法もあるかもしれませんが・・・ちょっと難しそうです。 「だいたいこのようなことが言えそうだ」というような、 「人生の知恵・コツ」などを個人の観方により見いだすことも、 大いにやってもいいことだと思いますが、 それは心理学の範疇にはあまり入らないものです。 私が、上に書いた「直接的な相関関係を見いだしにくい」と思う理由ですが、 「感受性」「忍耐力」など多くの別の要素も関わってくると思えるからです。 「泣いてもすぐ泣きやむ・やまない」「泣いても親に通じず、無駄だと思いやめる」 などの「泣きの継続」「泣いている間の判断」などの要素などもあります。 それらすべての要素を支配しているものが「経験と知識の乏しさ・豊かさ」であり、 「経験と知識の乏しさは泣きを増加させる方に働く」と結論づけたとしたら、 それは妥当ではないと思えてくるのです。 子どもが大人へと成長して⇒だんだん泣かないようになり⇒高齢になって再び涙もろくなる、 このようなケースを考えると、経験や知識の効果というものは必ずしも直線的なものではなく、 もっと複雑に影響してくるものだと思えてはきませんか? 一旦自分の目に見えた範囲だけで、早くこうだと結論づけてしまおうとするより、 問題に絡んでくるさまざまな要素を無限に見つけていこうとすると、 問題がどんどんと詳細に・鮮明になってきて、 さらに、自分の考察力を高めることができます。 ありとあらゆる可能性・要素を考えて見つけるようにしていくと、 物事を自分の思い込みだけでなく、客観的に見ることができるようになってきます。 そうすれば、他人への説得力の高い説明もできるようになってくるものです。 ↑この文章に説得力が無いとすれば、それは私の「未熟さ」ゆえです。ご勘弁ください。

Ocard
質問者

お礼

御回答ありがとう御座います。 >「社会性の未熟さ」 なるほど確かに[泣くこと]は本能的な要因だけでなく,理性や経験や知識によっても左右されますよね。 >巧みな知能犯 涙を武器とする人や役者などを未熟であるとは言えませんよね。 >「未熟」とは何か?を定義せねば... 今回の質問は誤謬的すぎですよね……もっとしっかりと自分の中で考えてから質問するようにしようと思います。 とても興味深く文章を読まさせていただきました。 ありがとうございました!

その他の回答 (1)

noname#106800
noname#106800
回答No.1

ただ夕日を見ているだけで泣けるときは?

Ocard
質問者

補足

夕日に関連づけられた過去の記憶を思い出し,その情報により許容範囲を超える感情の興奮が起こり涙が出る・・・。郷愁・哀愁という奴でしょうか。 或いは夕日を直視したことで紫外線やら何か有害な波長により目が傷付いたり疲労したのではないでしょうか。 芸術的・抽象的な産物は,全てそれを観測する側の記憶によって意味が異なると思います。 ただの茶と紫と黒が渦巻く油絵を見て,いつの日か見た悪夢と関連づけ恐怖を感じるか,コーヒーや紫芋を連想しお腹が空くか。 絵や音楽を聴いて泣くのは,何かに結びつけたせいではないでしょうか。 一般的に言われる「感受性に乏しい人」はそうやって抽象的な概念を具体的な経験に結びつけられない人だと思います。 なので芸術が分からないとか頭が硬いと蔑視されるのでしょう。

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