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法的責任と道義的責任
たまに「法的責任」と「道義的責任」という言葉を耳にするのですが、この2つの「責任」は等価であると考えて良いでしょうか? またはどちらの方が重いとかありますか?
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例えば、雨中の往来で傘もなく下駄の鼻緒の切れて往生している娘さんを見掛けた時に 横を素通りしても「法的責任」は問われません。 しかし「道義的責任」はどうだろうか? きっと水戸黄門様は、『助さんや、娘さんに手を貸してあげなさい』とおっしゃるでしょうね。 同様の質問と回答は http://www.shinenet.ne.jp/~kikuchi/mame/mame2.html とか http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109707800 にも
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りんごとバナナみたいなものなので、等価とか、どちらが重いかなどとはいえません。 法的責任は、法律にもとづき、裁判で有罪になれば刑が確定、あるいは民事裁判で判決が出れば、それに従わなければなりません。 道義的責任は、あくまで人の心や感情にかかわるものです。 法律に反してはいないが、人の心を傷つけたとしたら、道義的責任を感じて何らかの対応をする、というのが道義的責任です。 たとえば、スポーツ選手が不祥事を起こして逮捕されたとき、監督やチーム全体が社会やファンに対して道義的責任を感じ、謝罪します。
お礼
質問してから色々と何かと調べてみたりしたのですが、結局のところ「法とは何か」みたいなところに行き着いてしまいまして、法的責任には既に道義的責任が含まれるもの、というよりも、法というものが道義的責任において一定の社会的合意が得られたものの集合体である、という側面がある、という結論に落ち着きました。だから、一般には、法的責任の方が重いことになるのかな、と思いました。 但し法というものは常に完璧ではなくて、100%現実に即してるかと言われればそれは違うと言えるので、だから例外を探せばいくらでもあるのでしょう。 noname#93639さん言われるところの「人の心や感情にかかわる」にしても、人の心や感情を害することで問える法的責任は数多く存在するかと思います。事実、挙げていただいた「法律に反してはいないが、人の心を傷つけた」よりも「法律に反しているし、人の心を傷つけた」方が重いと言えるのではないでしょうか。 No2の方のお礼で「異なる事例で比較するのはおかしい」と書きましたが、実際のところ、同じ事例でこれらの責任を比較するのは難しいと言えるかと思います。何故なら道義的責任の含まれていない法的責任は(ちょっとしか)存在しないから。存在したとして、だから法的責任がどうこうというよりも、それはどちらかというと法の不備であると言えるから。 道義的責任の含まれていない法的責任は(ちょっとしか)存在しないが、法的責任の含まれていない道義的責任は多く存在する、ということで、やはり(一般には)法的責任の方が重い、という結論になりました。 ご回答ありがとうございました。
- ryuken_dec
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等価でもないし、優劣がつけられるものでもない。 (1)異性と付き合っていて、いろいろプレゼントを貰って貯金を全部使わせた上で一方的にひどい分かれ方をした。 (2)異性と付き合っていて、対等ないい付き合いをしていたが、彼女の浮気が発覚して喧嘩になって彼女を平手で殴ってしまった。そのまま分かれた。 この2つをどう考えるか。 1は法的責任は無いが、道義的責任はあるだろう。 2は暴行になるので法的に問題だが、道義的には難しいところ。
お礼
これはちょっとあれですね。 異なる事例で比較するのはおかしいのではないでしょうか。法的責任と道義的責任の比較例にはならないかと思います。 1の例は、「いろいろプレゼントを貰って貯金を全部使わせた」という事実が、使わせた方に起因するものが多ければ多いほど、使わせた方の道義的責任も重くなり、使わせた方が何も頼んだことも欲しがったこともなくむしろ迷惑だからやめて欲しいと思っていたり実際に止めていたりしていたなら道義的責任は軽くなると言えるでしょう。 そして重くなる方の場合、例えば色々ねだったり頼んだりしていて道義的責任がもっと重くなってくれば何らかの法に触れる可能性が出てきます。 軽くなる方の場合、道義的責任も全くないと言えるパターンだってあるかと思います。同時に、法的責任からも遠ざかっていきます。 2の例の場合は、理由はどうあれ殴ってしまったのなら法的には勿論のこと、道義的にも問題ありでしょう。
お礼
これは一見簡単そうに見えて難しいお題ですね。 一般に、何かをやったことを法的に問うのは割合易しいですが、何かをしなかったことを法的に問うことは難しいですね。法的に問うには、そこで助けなければならない理由が必要になる、と言えるのかな、と思います。 単純に「そういうケースでは助けなければならない」という法律でもあれば法的責任は問えますね。そしてそんな法律があろうがなかろうが、道義的責任が消える訳ではない。 更に、法的に問えようと問えなかろうと、そこで行った行為は変わらないのだから、行為に対する「罪」という意味では後で何的責任と言われたところでそのものは変わらない、と言えて、それに伴って与えられるべき制裁や謝罪や「罰」やその強制性という意味においては、法的責任の方が重い、そういうことなのかな、と思います。 色々と考えさせられました。 ありがとうございました。