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人生は生まれる前から決まっているから、変えたいと思わないで受け入れるべきなのでしょうか

過去に読んだ本に、 「願い事を強くイメージすれば脳が自然と実現する方向に向かっていくので、毎晩寝る前に頭に思い描くと良い」 という内容がありました。 ところが最近読んだ本には、 「その人の人生は生まれる前に決まっているから、変えようと思わずに全てを受け入れなさい」 とありました。 ああなりたい、こうしたいと望むことは、現状に不満を持っているということだから幸福感が得られず、全てを受け入れ感謝すれば幸せとのこと。 確かに今の自分は健康で、毎日ご飯も食べれるので、幸せと言えます。 どちらも一理あると思うのですが、皆さんはどちらの理論に共感しますか。

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  • ベストアンサー
  • shagojo
  • ベストアンサー率25% (31/121)
回答No.9

国籍・性別・第何子としてどの家系に生まれたか・・・など、替える事の出来ないものは、感謝して、受け入れるしかないと思います。 そして人生においては、それが結構大きな割合で自分の選択肢を決めている事も事実だと思います。 でも、その立場に於いて、自分の目指したい場所や環境があれば、その希望・目標に対しては、諦めずに願い・努力してみればいいと思います。 そうすれば、何も願わずに・何も努力しなかった人には見れない未来が、きっとあると信じます。 例え、自分の思う基準に到達出来なくても、目指した事に対する小さな功績がその手に残るハズ。 そしてそれを、次の世代が引き継ぎ、小さくても前進したその位置からスタートできるのではないでしょうか。 それが、次の世代が感謝出来る要因にもなるはずです。 だから、不平不満を持たずに、先ず自分の環境に感謝した上で、願い事を思い描き、信じて努力することが大切ではないかと・・・・。

その他の回答 (12)

noname#128382
noname#128382
回答No.13

思わずラプラスの悪魔を思い出しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ラプラスの悪魔 「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。」 しかし、量子力学の不確定性原理により、、 未来は確率でしか予測できないようです。 この問題を考え始めるとものすごく深みにはまってしまいます。 しかし私は科学者ではないので、どちらにも共感します。 今ある全てのことに感謝するのはとても大切なことです。 ただ、生まれる前に人生が決まっているわけではない。 そして、願い事を願うことが実現する方向に向かっていく。 これにも共感するが、その願い事も感謝なくしては、時に争いの種になる。 感謝と願いごとをミックスして、自分オリジナルの考えを作っちゃえばいいだけかも。

  • naoagu
  • ベストアンサー率21% (25/116)
回答No.12

人に生まれたからには、前者の心持ちでいたいです。 人としての能力を十分に生かせるのは、イメージする(未来を意識できる)ことと自由であることなのだと思います。 生きることだけに必死な野生動物や、その場を1歩も動けない植物ならば話は別ですが、人としての能力を授かった以上、先々のために努力したり、自由に考え、行動する中から大切なものを見出したり、そうやって、生産的・積極的に生きた方が幸せな気がします。 ただ、人生は、長いし、自分の生きてきた時間が多くなれば、過去を重んじる心境になったり、ありのまま、平凡であることが、何より幸せと思う時も来るのだと思います。 その時までは、後悔のない生き方、したいですよね。。。。

noname#91478
noname#91478
回答No.11

さすがに生まれる前はないでしょう。なので前者。

  • takanogw
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.10

二十代は前者で生きてきました。 三十代になって後者を意識するようになりましたが、 やっていることは前者です。 あまり不満に目を向けると幸せになれないことは分かります。 なので頭を切り換えるようにしています。 仕事のためなど、平日の日中は前者モード。 帰宅してからや、休日は後者。 バランスではないでしょうか。

noname#113190
noname#113190
回答No.8

後者ですけど、幅はあると思います。 たとえば、一生お金には縁がない宿命とします。 それでもその宿命の中で、一生懸命働き、結婚し「貧しいながらも幸せな家庭」を築くか、どうせ自分は貧乏暮しと人生を投げてしまって、働くこともせず無為な人生を送るか、これは人それぞれです。 寿命が短い、20代で死ぬことが分かったとき、面白おかしく享楽的に生きる人もいれば、短い人生の中で他人の思い出に残るように、世のため人のため、全人生をかける人もいます。 私はどうしようもないことは受け入れ、その条件下で全力を尽くすのが人生と考えています。

  • darumazen
  • ベストアンサー率16% (18/107)
回答No.7

生まれる前に決まっているのは人生の概略で、それはさらに良くなりも悪くなりもする。願い事を強くイメージすれば実現の方向には動くが実現するかどうかは場合による。 人生を良くしようとイメージして、思ったとおりにならなくても、今はそのときではないんだ。と思えば不満もないでしょう。

noname#114696
noname#114696
回答No.6

どちらか一方と言うなら前者ですね。 とは言え、後者はまず自分を否定しない考えとして有効で、 それが出来たら次は前者の前向きな発想に持っていければ人生 一番だと思います。 結局前向きになる事を言ってるんだと思うので大きくくくれば 同じ事でしょう。 思想なんて自分に都合よく取れるものです。

noname#107966
noname#107966
回答No.5

今の自分だったら、前者です。

回答No.4

2つに限定するなら前者。 後者では何もやる気が起こらなくなると思うので。 生まれる前から決まっているなら、考えること、行動することが無意味になる。

noname#154451
noname#154451
回答No.3

どちらの理論にも共感できます。 2つの理論が相反する理論ではないと思うので、両方とも共感してもいいと思っています。

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