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弘法大師が四国の狐を追い出し、狸を開放した?

関西人なので四国のことがよくわかりません。 (1)四国には稲荷神社は少ないのでしょうか? (2)四国には狐の生息数が少なく、狸の棲息数が多いのでしょうか? (3)「弘法大師が四国の狐を追い出し、狸を開放した」とのことですが 空海が開いた京都の東寺って伏見稲荷大社と関係が深かったのでは? それなのに、なぜ空海が四国から狐を追い出したなどという伝説があるのでしょうか。 わかる項目だけで結構です。 また推測でも結構です。 返事いただけますと嬉しいです。

みんなの回答

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.1

伏見稲荷大社発刊の研究誌『朱』によると、実際に四国と佐渡は野生の狐が少ないそうです。 稲荷神社の数については分かりません。ただし民間信仰における霊弧信仰が全国的に稲荷信仰と結びついていく例が多い中、四国では霊弧信仰が狸信仰となった。四国・佐渡の狸信仰は、霊弧としての稲荷信仰のパロディに近いとの分析がありました。 稲荷信仰自体は、霊弧信仰に限らず食物霊信仰、農耕神信仰、海洋信仰、祖霊信仰とも結びつくので、狸信仰の存在が稲荷信仰を凌駕することはないと思います。 「弘法大師が四国の狐を追い出し、狸を開放した」については、真言宗と稲荷信仰の関係を用い出す必要性はないと思います。単に四国ではあらゆる業績、霊験の根拠を弘法大師に求めた結果でしょう。 稲荷信仰が霊弧信仰と深く結びつくのは、中世ごろに伊勢地方で霊弧が穀物神の化身とされた信仰が、京に伝わりそれから穀物神である稲荷と結びついたとの説もあります。(『狐の日本史 古代・中世篇』 中村 禎里:日本エディタースクール出版部)

noname#90931
質問者

お礼

四国には狐が少なく、そのため狐のかわりに狸を信仰したということですね。 確かにそう考えると、 「弘法大師が四国の狐を追い出し、狸を開放した」について 単に四国ではあらゆる業績、霊験の根拠を弘法大師に求めた結果だと 考えられなくもありません。 しかし、狸に対する信仰が稲荷信仰のパロディだではないとすれば 「弘法大師が四国の狐を追い出し、狸を開放した」という伝説には 何かしらの意味があるとも考えられると思います。 yuhkohさんの回答を読みまして 「なぜ空海が四国から狐を追い出したなどという伝説があるのか」 を考える前に、 「狸に対する信仰は稲荷信仰のパロディなのか」について考える必要があることに気づきました。 大変参考になりました。 ありがとうございます。

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