- ベストアンサー
表現の自由と民主制
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
民主制は 国民が政治に参加することを示していると思います さて 国民は何を何処から知り、どうやってそれを政治に反映させるかですが 政治に反映させるのは 投票による参政権で示すよりない 何を何処から知り の部分で 情報に制限があったらいけないですね 表現の自由というより 報道の自由 の方が適切だと思うけど ITの新化により 個人としての表現も 制限できないし無視できない そういうネット社会になったということでしょうか・・・。
その他の回答 (5)
民主制とは、「主人公が民(たみつまり国民)にある」と言うものです。 それには、一人一人の意見を尊重する必要があります。 しかし、このような考えは外国から輸入されたもので、未だに日本で定着したとは言い切れません。 日本の場合、本音を言わずに常に相手の言葉の奥にあるものを深く理解することを「善(よし)」と考えられてきたためです。 このため、日本ではどんな暴言であってもその表現の自由を尊重することこそが「表現の自由」と勘違いして覚えている人が多くいます。 それは、必ずしも間違いではありません。 しかし「表現の自由」つまり言動には常に責任が伴うと言うことです。 (行動の自由も同じですが) 今、話題の人に関しても「そこまで(逃亡)やったのだから」と安易な同情論を言う人がいます。 言論の自由はありますから、それを言うのは構いません。 しかし、その自由を保障するためには、その言動に責任を持つ必要があるのです。 つまり、どんな理由にしろ、言ったこと、やったことがすべてなのです。 このような考え方がまだ日本では定着しておらず、結果的に同じことをやっても人に好かれる人がやれば同情され、好かれない人がやれば社会的批判を浴びたりするのです。 (あるいは、逃げなかった人の方がより強い制裁を受けたりと) このような感情論(心情論)で、考えるクセがまだまだ日本人にはあるため「言論の自由」の使い方を誤ると、とても怖いと感じます。
お礼
遅くなってすみません。 アドバイスありがとうございました。 言論の自由の使い方はほんとに難しいですね… 私もちゃんとした使い方ができているかは不安ですが… ほんとに深いことがあかりました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.4 いけねぇ、補足です。 三太郎って阿部次郎です、哲学じゃなかったな。美学とかだったかな。 そして私が挙げた方々は、多くの方が今も評価されておられる素晴らしい思想家、真の哲学者です。 この方々でなく、何かごたごた連ねているとしか私には思える方が、哲学に、今の評論家やジャーナルには多いですね。 読んだけど、無意味な二番煎じだと存じました。どなたとはいいません。 民主主義や表現の自由は、古典的観念ですし、基本的にはラートブルッフの法哲学や、宮澤俊義だったかな、東大の先生。この方々の論述を超えるものは出ていません。 新しい現象、社会のなかでのことに反射、投影する必要も有りましょうから、それは新聞記事でもいいし、判例でも、法律雑誌でも充分でしょう。 前投稿で挙げた方々は、素晴らしい方々であることを重ねて申し上げます。今この方々を出ることのできる人はおりません。 裁判官や弁護士は別です。
お礼
返事遅くなってすみません。 そんなに素晴らしい方々なんですか?? いろいろ勉強になります。 序文をしっかり見ておきます。 ちゃんとそれだけを読んで理解することが大事なんですね。 たくさん教えてもらえてよかったです。 本当にありがとうございました!!
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.3 社会思想史や西洋史世界史などよりも、憲法書が一番的確で、邪魔なおしゃべりはありません。 それはきちんと目的と理念をもち、根拠に根ざしているからです。 いわゆる哲学ってのが西洋のは先ず、いいのがないです。 閑があったり、ペダンティックな人には装飾、デコレーションがたくさんあっていいけど。 哲学史とカント、ラートブルッフしかやっていませんが。 日本では三木、出、三太郎、倉田さんしかやっていない、全部なんかは知りませんが。 憲法書は、序文が大事です。 分厚いのを選び、序文をしっかりやる。そしてテーマの民主主義や表現の自由の箇所を読む。 なにもかも勉強しつくそうなんて、馬鹿のやることです。私みたいな馬鹿が。
お礼
何度もありがとうございました。 とても良い参考になりました★
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
両者とも時代と国により多少の、または、大幅なヴァラエティがあることを経験しております。 また、現代で構成員とされる国民の根本的尊重をしない国是はみとめられていませんが、政治体制により仰せの概念と範囲そして成り立ちはことなるものでしょう。 表現の自由も一定の条件下、社会状況では無条件でしょうが、多くは必然的に公共の福祉、公序良俗の制約があります。この両概念はまた、時代と国により異なります。 仰せの事項はどちらもいわゆる基本的人権といわれるもので、民主制は国民の表現の制約を、為政のために制約しては成立しないと存じます。このように民主制は各種の人権を前提としているものであります。 その間の関わりは、歴史事実や論理演繹で導き出されております。 憲法書には詳細に書かれております。ご参照ください。
お礼
返事遅れてすみません。 参考意見ありがとうございました。 はい!!憲法書をしっかり読んで理解したいと思います。
- kappa1zoku
- ベストアンサー率29% (334/1137)
学校の勉強ですか? 資格試験のための勉強ですか? 民主制ということは、国の政治に参加する権利が国民にはあり(参政権)、その権利は誰にも妨げられないということだと思います。 また、政治に参加するということは、選挙での投票もありますし、議員として立候補することも考えられます。 あるいは政治的意見を表明して、自分の考えに近い政党・議員を増やそうとするのもあります。 その前提として、「表現の自由」が保障されてなくては、その民主制は不完全なものでしょう。 あなたが民主的ではないと思う国を考えてみたらどうでしょうか?そこで行われていることが反対証明になるでしょうね。
お礼
学校の勉強のためです。 とてもわかりやすいです。 参考になりました。 ありがとうございました。
関連するQ&A
- 内心の自由、表現の自由、精神の自由
こんにちは。今回、内心の自由と、表現の自由という各テーマで論文を書きたいと思います。 内心の自由と表現の自由について調べてみたところ、精神の自由という言葉が多く出てきました。そこで質問なのですが、精神の自由と、内心の自由、表現の自由の各自由権の関係を教えてください。例えば、どの自由権の範囲にどの自由権が入るなど・・・。 言葉足らずで、本当に申しわけありません。 もしよければ、各自由権に関してよく挙げられる事例なども教えていただけたらと思います。事例に関して、詳しいことは調べますので、事例の名前だけでも教えていただければと思います。 この権利はこれからも生きていくうえで大変重要な権利であると思っておりますので、ここでしっかり理解したいと思います。よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 表現の自由
どこかの勢力が批判つぶせとうけとれる発言したようですけど これは言論の自由や表現の自由を否定し国民への 挑戦でしょうか、いよいよ独裁国家へと歩みだしたの でしょうか、日本の民主主義を否定する反日勢力は 存在するのでしょうか、生意気ともとれるのはどのような 権力なのでしょうか。 宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 民主党と自由民主党の大連立って自由民主党ってこと?
民主党と自民党が大連立し、谷垣総裁が首相になる可能性があるとありました。 結局、民主党は自分たちで駄目と判断し、自民党にくっつき、自由民主党になるのでしょうか?
- ベストアンサー
- 政治
- 自由主義と民主主義の違い
日本国憲法において、自由主義と民主主義とはどのように位置づけられているのでしょうか?またその違いは何なのでしょうか? 言葉の解釈だけでいうと 自由主義=国民の権利、自由を最大限に保障しようとする考え方 民主主義=国民自らが政治を求めるという考え方 とありますがこれらは対立するのでしょうか、それとも次元が違う話なんですか?つまり自由主義の国と民主主義の国が存在するのか、自由主義でかつ民主主義であるという国が存在するのか、どういう使い方をするのかが疑問です。 よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 政治
- 自民党と民主党と自由民主党の違い
自民党、民主党、自由民主党はそれぞれ別の党なんですか? 蛇足いたしますが、自民党は[自]由[民]主[党]だから自民党なのか、 民主党は自由[民主党]だからそれを略して民主党なのか、 それとも自民党、民主党、自由民主党は一つ一つが全部違う党として存在しているのか、ということです。 無知ですみません。
- ベストアンサー
- 政治
- 信教の自由と民主政の過程による回復
憲法について質問させてください。 いわゆる二重の基準について、精神的自由は、これが侵害された場合に民主政の過程による回復が困難であるから、経済的自由よりも厳格に審査しなければならないとされています。 これの典型的な例が表現の自由であって、これについては疑問はありません。 また、思想・良心の自由は、表現の自由の前提と考えると上記の理由が妥当しますし、学問の自由も表現の前提となる知識・理論を身に付ける場を失ったと考えると、上記の理由が妥当すると思います。 ただ、信教の自由については、上記の理由が妥当するのか疑問があります。 仮に、特定の宗教団体に対して、何らかの法律が制定され、あるいは適用されて、信教の自由が制約される事態が生じたとしても、これを改廃する過程に影響はないように思えるので、議会による回復は可能だと思うのです。 信教の自由に対しても、上記二重の基準の理論は適用されるのでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。
- ベストアンサー
- その他(法律)
- 表現の自由と、殺人について。
本当に、ふと思った小さな疑問です。 人には「表現の自由」っていうのが認められていますよね? なら、自分の「憎しみ」を表現するために、人を殺す。 こういう考え方ってどうなのでしょうか? 遺族とかもかかわって、公共の福祉とかでだめ… 殺される方にも、ちゃんと生きる権利もあるし、殺す人もそれを奪う権利は…ないですよねぇ。 それは分かっているんですけど…。 この質問を読んで、思ったこと、教えてください。 あ、私には殺したい人はいないし、人を殺すことは犯罪だし、絶対にやってはいけないことだと思っています。命は重い。 それだけ、誤解しないでください。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 正名について 自由党と民主党
カテゴリーに問題があるかもしれませんが、納得できないのです。 自由党と民主党が合併するそうですが、自由民主党になるのでしょうか? 申し訳ありませんが、政治には関心がありません。 孔子の言う「正名」からすれば、訳がわかりません、中間を排除して両極が一緒になるということでしょうか? 言葉を侮辱しているような気がしますが、なぜこのようなことが、問題にならないのでしょう、不思議です。 「正名」 無用な過去の遺物でしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
参考意見ありがとうございました。 だいぶわかって気ました!! 表現の自由があるから、民主制がなりっているというこなんですね。 便利に感じてしまいますが…、制限や無視ができないということは怖くも感じますね。