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太平洋戦争の原因について

seraph22の回答

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  • seraph22
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回答No.8

☆一言で言うとアメリカは、その矛先を…つまり、市場確保や権益確保の矛先として、終始一貫して中国を狙っていた。  幕末から、ず~~っとね。  それを日本が独占しちゃったから、アメリカは”いずれ日本は叩き潰さねばならない!”と決意していた。  結果、太平洋戦争が勃発した。  以下に歴史的詳細を書き記す。  幕末にペリー来航す。  目的は、建前的には、捕鯨船の為、寄港地として、そして燃料補給地としての日本の港の開放にあった。  しかし、本音は、巨大な人口を要する中国市場(常に、歴史上世界人口の5分の1を占める巨大市場)と貿易するための中継基地として、日本の港の開放を欲した。  当初、アメリカはそうあからさまに日本を植民地化しようとは考えては居なかったようである。  ただ、そんな考えは状況次第では、いくらでも変わるであろう。  当時は何と言っても帝国主義の全盛時代だったのだから…。  でも、その後アメリカでは南北戦争が勃発して国外に眼を向ける余裕がなくなった。  で、話しを日本に戻す。  幕末から明治にかけて、日本は欧米列強の脅威にさらされていた。  植民地になっても全然おかしくはなかった。  特に、ロシアとイギリスの脅威はやばかったと考える。  ただ、当時のアジアの情勢が日本にとって、吉と出た。 その1:インドにてセポイの反乱が発生す。 その2:中国にて太平天国の乱が発生す。 いずれも鎮圧に多くの時間と兵力と資金を消費した。 これを踏まえて、イギリスは、アジア人を安易に植民地化すると思わぬしっぺ返しを食らうと言う経験を得た。  又、イギリスは薩英戦争によって、思ったより日本(と言うより、正確には薩摩藩)は手ごわいと言う事を理解した。 (未だに、イギリスの海軍の記録書の中において、薩英戦争は大英帝国海軍にとり、恥辱的海戦であると位置づけている)  アングロサクソン人(イギリス人やアメリカ人)は、手ごわい相手に対しては、結構評価するのである。  アングロサクソン人は、まず1発殴ってみる。  弱かったら、それまで!  で、結構強かったら… “なかなかやるじゃないか!日本人も!!”、と……  と、相手を評価するのです。  これにより、イギリスは、日本の事をあまり、強くでるよりも味方につけた方が良いと考えるようになっていきました(自国の国益に反しない限りは…)。  それに、日本よりは、はるかに中国やインドの方が、うま味が大きかったのでそちらを優先した経緯もあります。  又、1900年頃に中国にて勃発した義和団の乱にても規律正しい日本軍を高く評価して、その流れも踏まえて1902年の日英同盟へと発展していきました。  もう一つの強国ロシアが残っております。  ロシアは一貫して南下政策をとっておりました。  理由は不凍港の領地が欲しいと言う一種の病的なまでの本能ともいえる国策にそった結果、ロシアは中国東北部(後の満州国方面)、そして朝鮮半島に徐々に勢力を浸透させつつありました。    奇跡の明治維新を成し遂げた日本ではありますが、国力はまだまだ未熟です。  又、国防上、朝鮮半島方面の安定化は必要不可欠です。  最低でも日本にとり、中立の勢力が支配している事、あわよくば、日本の勢力圏に収めるのが国防上望ましい環境です。 (現在の北朝鮮の情勢を鑑みれば、如何に半島方面の安定化は必要不可欠であるかは、理解できると思う)  で、朝鮮は歴史的に中国を宗主国としてあがめてきた国(地域)です。  また、中国もそれを自負していた。  本来であれば、日本・朝鮮・中国が一致団結して欧米列強に対抗できればよかったのですが、ダメでした。  当初は日本もそういう考えの政治家もいたのですが、その朝鮮・中国(清)が全然当てにならない。  朝鮮・中国ともに近代化しようと言う気配すらなかった。  これにより日本は単独にて自主独立の道を選択したのであった。  当時は帝国主義の真っ只中です。  国力が未熟なまま、座して欧米列強の植民地になってしまうか?  あるいは、悪い事とは知りながらも敢えて国力増強の為、欧米列強と同様の手法をとり、植民地(朝鮮や中国方面)を獲得するか?  史実において、日本は後者を選び、帝国主義の道を進みました。  話しを戻します。  以上の如く、朝鮮の権益を巡って、日本と清は衝突しました。  俗に言う日清戦争(1894~1895年)です。  これに勝利した日本ではありましたら、次なる大国がいよいよ登場しました。  ロシアです。  1900年頃のロシアは世界一の陸軍兵力を保持する。  海軍もイギリスに次ぐ世界第二位の戦力を保持していた。    そのロシアがいよいよ、朝鮮・満州方面に勢力を伸ばし始めた。  慌てたのが、日本です。  清との戦争で勝利したのもつかのま、直ちに、ロシアがドイツ・フランスと共に三国干渉をしてきました。  やむなく、日本は承諾して遼東半島を清に返還する。  しかし、あろうことか、その遼東半島の一部をロシアが租借する。  日本としても、たまらなかったでしょう。  ただ、ロシアの中国進攻を問題視していたのは、日本だけではありません。  イギリスも懸念しておりました。  当時イギリスは中国方面のみならず、アフガニスタン方面でもロシアの南下政策に頭を悩ませておりました。  そこで、せめて極東方面だけでも何とかしたい。  そうだ日本と手を組んでロシアの南下を阻止しよう。  そして、中国に於けるイギリスの権益を保持しよう!  と考えた。  そして、もう一つの国も同様にロシアの中国への南下政策を阻止したく考えていた。  そう、彼のアメリカです。  アメリカは、幕末から終始一貫して中国への進出を狙っていた。 (その証拠に、後の中国の“門戸開放”を列強に対して主張した位ですから…もっとも、どの列強も耳を貸さなかったですけど…)  アメリカとしては、上手く日本を利用してロシアの中国への南下を押さえようと考えた。  アメリカから見たら、広大な領地を持ち世界レベルで影響を与えるロシアよりかは、せいぜい東アジアレベルへの影響力しか保持しえない日本の方が御し易いと判断していたのであった。  結果、日露戦争(1904年~1905年)にてかろうじて辛勝した日本はようやく、明治からの国家戦略上の目的、即ち安全保障上の観点からどうしても欲していた朝鮮半島への優越的地位の確立に成功する(特に、ロシアに対して)。    アメリカとしても、朝鮮半島までは日本が支配することを容認していた。  桂―タフト協定にて、日本が朝鮮を支配する事とアメリカがフィリピンを支配する事を相互に承認する協定を締結した。    イギリスも日本が朝鮮を支配する事を容認するかわりにイギリスがインドを支配する事を容認する条約を締結した。  フランスとも互いに“ベトナムー朝鮮”の相互支配を承認しあった。  ロシアに関しては、日露戦争に敗北した事により、朝鮮はおろか、中国東北部から、大きくその勢力を後退せざるをえなかった。  ただ、ここから、日本とアメリカの関係がぎくしゃくし始める。  アメリカとしては、中国方面に経済的に進出して経済的利益を得たいと考えていた。  一方の日本は、日清戦争・日露戦争という二つの大きな戦争を経て多くの兵の犠牲の上に、ようやく獲得した中国東北部の権益を独占したいと考えるようになった。  現に、満州鉄道問題にていったんは、アメリカの富豪(企業)に鉄道敷設の権利を与えると言いながら、土壇場でキャンセルして日本は権益の独占を図った。  これに対して、アメリカは反発した。  次なる、ターニングポイントは第一次世界大戦です。  アメリカを除く列強は欧州での戦争に集中せざるをえなくなった。  この状況下にて、日本は火事場泥棒的に中国に於ける権益拡大に走った。  世に言う“対華21か条の要求”です。  これに対して、アメリカと同盟国であるイギリスは日本に対して不信感を募らせた。  特に、イギリスは“中国における自国の権益が脅かされるかもしれない…加えて、日本はわが国からの要請である重巡洋艦(金剛クラスといい、当時の世界水準から見てとても強力が軍艦であった)を地中海方面に援軍として派遣して欲しいと頼んだのに、駆逐艦を派遣して誤魔化した。日露戦争の時には、さんざん日本のためにロシアのバルチック艦隊が日本海へ遠征するときの寄港地を制限したり、スエズ運河を渡航禁止にしてバルチック艦隊を疲弊せしめて、日本海海戦の影の支援者として助けてやったのに…。これならば、日本はあまり頼りになりそうもない。ならばいっその事アメリカと組んだ方が国益に沿うな”  と考え始めたのです。  アメリカも当時締結されていた日英同盟をひどくやっかんでおりました。  何とか破棄させようともくろんでおりました。  結果として、第一次大戦後のワシントン条約の軍縮の流れの中、日英同盟をどさくさに紛れて解消させました。  日本の運気は、この日英同盟の解消以降確実に下がっていきました。  ちょっと先に、第二次世界大戦の二大遠因について述べておきます。 1、多額賠償金による国の疲弊(ドイツが該当する)。 2、世界恐慌(1929年)の発生に伴う、ブロック経済化。(日本・ドイツ・イタリアが、これにより疲弊する) ブロック経済化とは…世界恐慌に対処するべく列強は、それぞれ独自の勢力圏を設定した。 勢力圏を設定することにより、その他の国からの輸出入品に莫大な関税を掛けて、その他の国を締め出す。 アメリカ:南アメリカ大陸と北アメリカ大陸を勢力圏と設定。 イギリス:広大な植民地(アフリカやインド・オーストラリアなどの英連邦など)に設定 フランス:自前の植民地(アフリカやベトナムなど)と東欧を勢力圏に収めて設定した。 ソ連:広大な領地があったので賄えた。又、5ヵ年計画の真っ最中にて殆ど世界恐慌の影響を受けなかった。  以上は、何とか自前にて必要なもの(石油とかゴムとか鉄鉱石とか)を自国の設定した勢力圏にて賄えた列強である。  これらを持てる国と言う。  一方、残った列強はどうなったか…   ドイツ:ようやく賠償金による国内不況から脱しつつあったその矢先に世界恐慌の洗礼を受けて、どうしょうもなくなった。 イタリア:殆ど植民地をもっておらず、また自前で賄えそうな資源にも恵まれていなかった。 日本:言わずとしれた無資源国です。 外国に商品(せいぜい生糸製品ですが)を売って、外貨を稼いで世界恐慌による経済打撃を立て直そうとするも、どこもブロック経済化していて高関税にて売却できない。  じゃあ、どうするどうする…仕方ない。中国方面を日本の勢力圏に収めて他国と同様に中国を含めたブロック経済化して少しでもこの難局を乗り切ろう。  そう考えた日本は中国に対して日本製品を優先して買うように求めるが、中国は拒否する(まあ、当然ですね^^;)。    ならば、…とばかりに死中に活を見出そうと中国方面への軍事的進攻を目指した。(日華事変の発生…後の日中戦争へと発展した)  これに強行に“待った”を掛けたのが、アメリカです。  アメリカは、虎視眈々と中国市場への参入を狙っていた。  これに対して、まずはロシアが邪魔となった。  よって、日本を上手く使用してロシアの勢力を駆逐することに成功する。  しかし、今度は日本がその勢力を中国に伸張し始めてしまった。  で、それ以降は、日本の存在を邪魔に思うようになった。  ドイツやイタリアも日本同様に世界恐慌の荒波に飲み込まれてしまい経済的に抜き差しなら無くなってしまった。    それで、ドイツやイタリアは全体主義にて国難を乗り越えていこうと判断した。  日本も同様に全体主義にて対応した。  自国の経済ブロックの拡大を目指して日独伊は勢力拡大に乗り出した。  ドイツは中欧(オーストリア方面)や東欧へ  イタリアはエチオピア併合  日本は中国(満州方面)への進攻  これら3国は近代経済を支える原油・鉄鉱石・ボーキサイト(アルミの原料)などを産出する地域を殆ど有していなかった。  自国経済の破綻を回避するべく、やむなく対外侵略の手段に訴える事となった。    アメリカ・イギリス・ソ連は殆ど自分の勢力圏にてこれら原料を確保できる“持てる国”だったのに対して日本・ドイツ・イタリアは“持たざる国”だったのである。  ただ、既に世界の勢力圏の割り当てはほぼ決定していた。  いずれの地域もどこか列強の勢力圏だったのである。  そうなると、持たざる国が国益確保の為に進出しようとすると十中八九既得権益を要するその他の列強(持てる国)と衝突するのが必至であった。 (数少ない空白地といえるのが中国であった。この中国も列強が侵出して半ば半植民地状態であったのだが…) 即ち、第二次世界大戦は持たざる国が持てる国に対して起死回生の一手として、戦争と言う手段に訴えたのが実情である。 で、1939年に第二次世界大戦の勃発。 破竹の進撃を続けるドイツに対して、連合国の一つであるフランスは開戦からわずか、1ヶ月で降伏する。 オランダも本土を占領されてかろうじて亡命政権がイギリス本土にて落ち延びる。  イギリスは、かろうじて海軍力にて勝っているのでイギリス本土上陸を阻止しているが連日深夜のロンドン爆撃に痛めつけられていた。  同時に有名なドイツ海軍のUボートにより商船を沈められ、本土補給線をズタズタにされて青息吐息の状態であった。  イギリスのチャーチル首相は残っていた大国アメリカの大統領ルーズベルトに助けを求めた。    アメリカとしても、もともとの故郷(出身地)と言う思いのあるヨーロッパがナチスドイツの支配下に収まることをよしとは考えなかった。  又、ドイツ国内においては、有名なユダヤ人虐殺が始まった。  当時、アメリカの政財界においてじょじょにその勢力を広めつつあったのがユダヤ人であった。  ユダヤ人たちは何とかヨーロッパの同胞を助けようと考えた。  アメリカ大統領ルーズベルトも本来、植民地であったアメリカが宗主国イギリスを始めとしたヨーロッパに救世主の如く颯爽と登場してヨーロッパをナチスドイツの手から開放するという設定に強くひかれていた。    ただ、アメリカ大統領ルーズベルトは選挙公約として“アメリカ市民の皆さんやその息子さんを戦場に送らない事”を公約して3選を果たせたという経緯から、アメリカから先立ってドイツに対して開戦するという選択肢を持ち合わせていなかった。  何とか、ドイツから先にアメリカに先制攻撃させたかったのである。  しかし、ドイツも第1次世界大戦の苦い経験から工業大国のアメリカの参戦により敗北したという経験から、幾らアメリカがドイツを挑発しても先制攻撃しようとはしなかったのである。  このとき、アメリカは気づいた…そうだ日本とドイツは同盟関係にある。  日本を挑発して日本を追い詰めて日本に先制攻撃させたらドイツは三国同盟の関係からドイツもアメリカに参戦してくる。  そうなれば、アメリカは正々堂々とドイツを攻撃できる。  そして、ドイツと日本を倒したら戦後の覇者は我がアメリカとなる。  中国・そして、ヨーロッパを新たにアメリカの勢力圏に収められる!と…… (それに、ルーズベルト大統領は反日本・親中国だったので、なお更、日本たたきに走ったのであった。  ただ、補足説明しておくと、アメリカとしてもあまり日本を追い詰めようとは考えていなかったフシも見受けられる。  しかし、日米激突が必至となったターニングポイントは1940年の日本によるフランス領土インドシナへの侵攻からであった。  日本としては当時ナチスドイツの傀儡政権であったといて、ヴィシー政権から承諾を得てのインドシナへの進攻であったが、これがアメリカの逆鱗に触れた。  インドシナとアメリカの植民地フィリピンとは眼と鼻の先である。  このままではアメリカの国益が侵害される。日本を止めねばならない。とアメリカは考えた) 当時の日本は近代国を支える石油や鉄鉱石代わりにくず鉄をアメリカから輸入していた。 それの輸出をアメリカは止めた。 近代工業国家にとって、原油は必須である。 あいにくと、当時の日本の勢力圏(日本本土・朝鮮・満州)には、原油産出地がなかった。 (戦後、満州方面にて原油の産出地が見つかるが当時は発見できていなかった)  で、アメリカは、日本に最後通牒、いわゆるハル-ノートの受諾を迫った。 1、日独伊三国同盟の破棄 2、フランス領土インドシナからの撤退 3、中国からの撤退。 大きな要素はこの3つです。 日本にとり、一番障害となった条件は3の中国からの撤退でした。 上述の如く、世界のブロック経済化からの不況から脱出する為にやむなく中国に進出した日本であったが、その中国から撤退してしまっては、経済的に立ち行かなくなる。  特に満州国からの撤退は日清戦争・日露戦争と言う多くの日本兵士の犠牲の上に獲得しえた既得権益と日本の陸軍の中枢は考えていたのでどうしてもその要求を呑む事ができなかった。  アメリカとしても、中国の国民党の蒋介石の顔を立ててあえて中国からの撤退の条件の中に満州国からの撤退も含めるかどうかについて曖昧にしていたようである。  場合によっては、満州国からの撤退は別と捉えていたフシもあるが、日本の中枢は少なくとも中国からの撤退とは満州国も含むと判断した。  原油がなくては日本国内も工場も停止してしまう。  それまでは、対米避戦を考えていた日本海軍も(このままでは海軍の軍艦を動かせる石油の備蓄が1年半~2年でなくなる!と切羽詰って)次第に対米戦もやむなしと考え始める海軍の実力者も出始めた。  こと、ここに至って日本は対米戦もやむなしと判断して太平洋戦争への突入していった。    1941年の太平洋戦争の直前となっては、もうアメリカは対日本戦をやる気、満々だったので幾ら日本が外交上譲歩しても戦争は不可避だったでしょう。  それこそ、日本がハルノートを受諾して中国から撤退して、日本の国民が何千万人(2千万人くらいだったかな?ちょっと記憶があやふやで申し訳ない)もが、飢餓で死亡して日本経済が滅茶苦茶になってもOKだったら、何とかなったかもしれない。  要するに、アメリカの要求は幕末(幕末の日本の人口は2600万人~3000万人)にまで領土を戻せ!と言ったようなものですから。  (因みに、ABCD包囲網についてだが、オランダ(D)はイギリス本土に亡命政権を持ちイギリスの意向には逆らえない。  イギリス(B)は何とかアメリカの支援(参戦)が欲しい。 中国(C)国民党もアメリカにせっせと武器支援も貰っていて、アメリカの意向には逆らえない。  で、アメリカ(A)は、日本と戦争する気が満々。  日本の近場の石油産出地のボルネオ島はオランダの植民地だから、幾ら日本がオランダに石油の輸出を希望してもオランダは拒否する。) こういわれたら、日本としては、にっちもさっちも行かないので戦争に活路を見出そうと考えたのです。  日露戦争も大体似たような国力差がありましたが、奇跡的に辛勝できたので、“夢よもう一度“と言った感じだったのでしょう。  ただ、日露戦争当時は、当時の求められる最良の同盟国イギリスがおりました。  仲介国たるアメリカもおりました。  しかし、太平洋戦争にはいずれも存在しなかった。  日本海海戦に相当する大勝利もなかった。    結果、日本の敗戦となったのです。  アメリカは、日本に先制攻撃(ハワイ奇襲攻撃)させることにより、得たり!とばかり参戦していった。  つまり太平洋戦争の勃発です。 総括:  東京軍事裁判ははっきり言って茶番です。  日本は確かに侵略国であった。  中国や朝鮮から責められても仕方ない側面もあった。  しかし、同時に日本が欧米列強からの被害国でもあった。  即ち、植民地を獲得して国力増強に努めねば、早晩どこかの植民地にならざるを得ない世界情勢にあった。    欧米列強も同じ穴の狢である。  アメリカ:フィリピンを植民地化  イギリス:インド・シンガポール・アフリカなどに広大な植民地を持つ  フランス:フランス領土インドシナ・アフリカなどに植民地を持つ  オランダ:現在のインドネシアを植民地にもつ。    以上を踏まえると日本以上に欧米列強は帝国主義を貫いて植民地を保持していた。    ソ連は、日本と日ソ中立条約を締結して条約期間中であったにも拘らず、日本に攻めてきた。  明らかな条約違反をした。  日本を悪者と設定するのであれば、欧米列強は日本以上に悪者です。  ただ、まあ、国際関係は単純に勧善懲悪にて判断できるものではない事を付記しておきます。  私の考えは以上です。          

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