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幕末歴史,五島列島出身通詞,長崎の事,横浜の事,榎本軍蝦夷島,教えて下さい。
歴史,幕末,又は五島列島、長崎の事、横浜の事、榎本蝦夷島プラン参加人物一覧詳細、★お詳しい方、是非教えて下さい。★或る一人の「逃げた通詞」の本名と、経緯情報★キーワード:1_幕末、五島列島出身、通詞,2_東海徳左衛門氏末裔の養子,3_尺振八,4_本山小太郎,5_宋近治,★解っている情報と、別途過去にどこかで読んだ本の記憶が交差して気になるため、下記【質問大別A~D】の4種の推論を設定してみました。 (解っている事概略)○五島英吉と名乗る人物が、榎本軍逃走して、ロシアの教会神父に救助され、教会内に潜伏,約10年の後(1878年前後)函館でコックになり、晩年横浜付近で暮らした様子。しかし、「五島英吉」は命を守る為の偽名。役所には、何という名前で登録されて、最終死亡になっているか不明。神父に「本名は宋近治,五島列島出身」と語った形跡もありますが、これも偽らしい。○「蟠竜」に乗船したらしいが、江戸脱出時なのか、蝦夷参戦中か不明。 (本の記憶と自己の推論4種) ■(1830~1840年代位の生まれと想定される人物。 ■幕末、長崎の通詞に、ジョン万次郎同様に、漂流が原因で、他国船に救助されて帰国した五島列島出身の商人経歴者がいた。ジョン万次郎同様、正確な英語を話せることから、幕府に江戸近郊勤務人材として、直接スカウトされ長崎を去った。 ■彼は長崎で仕える事前段階で、武士身分取得する為に、 長崎の誰か(※)通事の養子になった。当時、英語通訳セクションがない為、一応阿蘭陀語の通詞の形で、通事でなく、通詞になった。(※_彼を養子にしてくれた人物とは、唐語の通訳者:東海徳左衛門氏の末裔=「宋氏」ではないか?と推測中!) ■【質問大別A】_出元、出身地側からの捜索:関連情報、本名、経緯、長崎から出た後の就職地名等。五島列島,福江藩,長崎情報から当該可能性有の人物の話。 ■【質問大別B】_【榎本自身が認知した上で、榎本蝦夷共和国に携わった通詞(但し、林薫三郎を除外)】_榎本プラン参加人物一覧中、10人外人担当通詞等の角度から、途中リタイア、死亡、逃走などに該当する通詞情報は?「東海さん」とか、苗字は別で、名前に「宋」が混入している人物等、 ■【質問大別C】 【榎本軍投降以前に、早々、船が沈没した時に逃げたかも?の角度から推察】_○1868/11/15江差で開陽沈没,○1868/ 11/22神速沈没_この時、誰か外人に専属通詞として乗船していて逃げた? ■【質問大別D】_【榎本がスカウトした以外のパターンで紛れていた英語が堪能な人物の推察】_巻き込まれて、通詞としてではなく、不幸にも戦闘部隊の一員にされていた場合、早々段階で逃走していたと仮定して捜索。もしかして、○○さんかも?系の情報。 ◆D_1_【中島系】_中島三郎之助は通詞とつきあいがある。誰か連れ込んでないか? ◆D_2_【三人の局外客人:藩主追従系】_4月に返された3人、板倉勝静(松山藩主),小笠原長行(唐津藩主),松平定敬(桑名藩主)の家臣達は、乗船人数定員オーバー。その為、新撰組に入隊(=戦闘部隊になる事)を条件に乗船した。戦闘苦手人物も紛れる可能性有?この中に英語を話せる人物は? ◆D_3_【伊庭系】_伊庭八郎は美嘉保丸座礁後、官軍の追跡を逃れ逃亡→イギリス船で蝦夷到着。その経緯中、横浜の英語教師「尺振八」に匿われていた。 ◇a◇_熟生徒の誰かが伊庭に影響されて追従したかも? ◇b◇_「尺振八」自体が「ジョン万次郎同等の経験から英語力を幕府に見込まれ、スカウトされた人物」かも?五島と名乗る人物はその弟子? ◇C◇_五島と名乗る人物は「本山小太郎」?松前の「折戸台場」で死亡した物語になっていますが、出生他詳細不明。武人というより、謎の役人肌だったらしい。実は、死亡は虚偽で逃がしてもらった?または、「本山」説とは別に、塾生徒の誰かが、伊庭に追従していたとすれば、大苦戦の「折戸台場」の時、戦闘不向きの「通詞肌のタイプ」であれば、不憫に思われ、逃がしてもらったか?逃げた?・・・の三方向から推測パターン】 「尺振八」氏自体、死亡までの後半情報は確実でありながら、出生などの詳細が不明。★「尺振八」自体が、「五島」と名乗った人物だと仮定した場合の推理は、 「五島英吉=宋近治」と名乗った人物が、神父達に語った内容とは、苦し紛れに、恩師「尺振八」の経歴を、我が身の経歴と偽って語ったと憶測。生徒であれば、阿蘭陀語、英語の他に、唐語もOKだった可能性有。 戦闘部隊に紛れていれば、通詞と異なり、抗戦派の一員として見なされ、斬首等重刑の可能性を怯え、神父達に対してのみ、内密に語ったとされる「本名=宋近治と経歴」も偽りだったとしても、仕方ない嘘だからです。或いは恩師=尺振八、または他の人物に迷惑をかけるため、生涯、本名出生を偽りのまま過ごした?
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- isa-98
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1700人はいたであろう通詞からこれを見つけるのは無理です。 大体は26家を探していますが、自分のテーマが大きいので誇大です。 幕府は唐、蘭、英語を通弁させていました。 ので、弟子と言っても格下の 内通詞、内通詞見習いともなると調べようがありません。 浜田彦蔵ではないし、仙太郎ではない。小栗 重吉でもない。 音吉、寿三郎、庄蔵は帰国していない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6
お礼
大変お手数おかけいたしました。ありがとうございます。
補足
根拠付けて特定して、決定する!などといった極端な願望はもちろん無かった!のですが、 「しんどい!設問」にご解答頂き、本当にありがとうございました。 【A】と【D】については、五島列島方面、または横浜近郊などに於いて、伝説や言い伝えなど抽象的な話も含め、「謎の人物伝説&話」を多くの人から聞いてみたかったのです。 【B】【C】については、 榎本認知系の通詞(戦闘部隊に紛れることはまずないチーム)からの脱走であれば、人数の絞込みは「全体からのとてつもない大捜索!」に比べ、或る程度限度があるのでは?と設定したのですが、この枠内でも困難のようですね?榎本が蝦夷へ連れ込んだ通詞のリストというものが、存在しないのが不思議でした。 【Q1】榎本軍が所持していたであろう人事書類系、帳簿系とは、どこへ行ってしまったのでしょうか?函館大火以前には存在したのでしょうか? 一人の人物が、高度の知性、語学力を持ちながら、生涯真実を書き残さず、本名に戻らず、人生を全うした理由に興味を持っていました。身の安全が確定した時期に至っても語らなかったのは、脱走時、自らのなんらかの裏切り、不名誉行為を恥ずところ、また、逃げ切る為に仕方なく、途中過程で戦闘以外の目的で殺生、或いは第三者への迷惑懸念など・・・「俗!な一般的想像」はつくのですが、★「架空の登録のまま、戸籍が成り立った事」が不思議でした。 【Q2】明治5年(1872年)に編製された「壬申戸籍」はいわば、本人の自己申請で架空の氏名、出生地でも成り立つ程度のものだったのでしょうか? 「偽名」や不都合が原因で、死亡済みの第三者に「なりすまし」も、無事登録成しえる程度の戸籍だったのでしょうか?潜伏が原因で、本人はそれよりも数年遅れて登録でしょうから、尚不思議です。 大変お手数おかけいたしました。もし、宜しければ、【Q1】【Q2】のみ、ざっくり、アバウト教えて下さい。