• ベストアンサー

「不条理」が文学作品のテーマに用いられる理由

カフカを初め、「不条理」をテーマにした小説等は多く見受けられますが、なぜ「不条理」は文学作品のテーマとして用いられるのでしょうか? もちろん作者によってその理由はまちまちでしょうから、一般論で結構です。 ご回答頂ければ幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

不条理は誰でも経験する事ですから、作家本人の創造能力に余り依存せずに説得力の在る作品が書きやすいからではないですか。皆さんに受け入れやすければ、名作としても残りやすいですよね。 他の例では、どこの国の話でも地獄の話は面白く、また、描きやすいですね。苦しみは誰にでも共感できるからです。一方、退屈しない天国を描くのは、それこそ、その著者の能力が試されます。ですから、行ってみたくなるような天国の描写は滅多に在りませんね。私の経験では、ダンテの『神国』の地獄は面白かったが、天国なんて行ってみたいと思えませんでした。個人的には源信の『往生要集』の極楽なら行ってみたいと思えましたが、こんなのは例外中の例外です。 悲劇を描けば古典として残りやすいですが、喜劇では中々説得力のある古典が在りませんね。不条理と同じで、悲劇は人間の脳味噌のなかでも最も原始的な部分を感情的に刺激するので、誰でも簡単に納得させられてしまうのですが、一方喜劇を理解するには、その時の文化を理解している必要があり、相当な知的訓練を受けていないと、中々楽しめるものでは在りません。外国語で話される冗談がすぐ分からないのと同じです。喜劇役者になるには相当頭が良くなくては成れませんが、二枚目役者や美人役者などは、そんなに頭が良くてもなれるのと同じです。不条理や悲劇をテーマにした作品は、二枚目役者みたいなもので、皆さんの動物のレベルの感情ですぐ共感できますが、喜びをテーマにすると、喜劇役者並みの知的能力が在っても、中々納得してもらえないのです。 勝手な想像ですが、優れた作家は多分一生に一度ぐらい、喜びをテーマにした作品に挑戦するかもしれませんが、ほとんどの場合失敗しているか、あるいは、それに挑戦するだけの勇気がないのではないですか。そんな賭けをするよりも、きっと、誰にでも簡単に受け入れてもらえる、悲劇や不条理に流れて行ってしまうのだと思います。 何か、作曲家が滅多にバイオリン協奏曲を書かないのと似ていますね。ただ不思議な事には、そんなに珍しいバイオリン協奏曲には名曲が多い。ところで、喜びをテーマにした文学作品には滅多にお目にかかれないと思いますが、それにもやはり名作品は多いのでしょうか。単なる経験不足かもしれませんが、文学に疎い者の独断と偏見に満ちたコメントになってしまいました。悪しからず。

その他の回答 (1)

  • kt1965
  • ベストアンサー率34% (116/339)
回答No.1

回答しておきます。 「人生を意味あるものと捉えるのか、それとも意味の無いものと捉えるのか」だろうと思います。「不条理劇」が盛んな頃、世界大戦の前夜だったりします。平和で未来を謳歌していた時代、どこかにある不安を表したのだろうと推定されています。 文学作品では、基本的にその時代の不安や葛藤を描いた作品が多いように思います。それが個人に適応された作品が、日本では個人主義文学と呼ばれた時代の作品群。同じようにして、社会学でも世界大戦と世界大戦の間の時代、そして世界大戦の後の時代、「孤独な群集」という書籍が話題となり研究が盛んに行われました。 それらを含んで文学作品が書かれているという事実からすれば良いのかも知れません。ついでに、文学作品中において、著者は「神」の存在でもあります。そこに生み出されたキャラクターは時として、作者の分身だったり、作者が取材などで生み出したものであったり、完全にはありえないキャラクターを生み出したりします。 それゆえ、それらのキャラクターに様々な試練を与えるのが神である作者の使命ということもあるのかも知れません。丁度、聖書にある「ヨブ記」のように。 では。

関連するQ&A

  • 不条理な作品探してます

    小説、映画、戯曲、漫画、コントなどで、不条理なもの、ブラックユーモアな作品を探しています。(特に漫画作品)おすすめの作品があれば是非教えてください。

  • あまり長くない文学の中でも高く評価されている作品

    フランツ・カフカの変身の3倍以下ぐらいが妥当だと考えています。 そのぐらいならば短い小説でもなんでも、最も良いと言われる部類の文学作品を教えてはいただけませんか。 ただし世界的に有名であることを条件とします。主に日本だけで高く評価されているといったものに関してはこの質問の対象外とします。

  • 文学作品で、「恋愛」のテーマが最も多く取り上げられる理由(早めのご回答をお願い致します)

    文学作品の中で、どうして「恋愛」のテーマが最も多く取り上げられるのでしょうか? 分かり易くて、なるべく詳しくご回答をお願い致します。 *宿題なのですが、自分なりに調べても分からなかったので、ご存知の方お願い致します。

  • 純文学作品

    純文学作品の定義ってなんですか? 例えば ドラマ 北の国から これはテレビドラマで映像があります これを文字だけの小説にしたら純文学作品ですか? 純文学って何をさしてそう呼ぶのですか? 普通の小説と何が違うのですか? ここ5年 10年以内の純文学作品はなんですか?タイトルを教えてくれませんか? 質問が下手くそかも?ごめんなさい

  • いわゆる純文学(小説)作品を深く読解するには

    文学人間を気取るつもりはまったくありませんが、本を読むのは嫌いではありません。 しかし純文学など小説を読んでも「あらすじ」を理解するのが精一杯で作者の言いたいことや作品の真髄みたいなものがまるでわかりません。 その点、ノン・フィクションやそれに近い歴史小説は字面のとおり理解すれば良い思うので読みやすいです。 こういう読解能力は本を読むことで培われるという甘いものではないのすか? はたまた能力だからあきらめるしかないでしょうか。 日々読書三昧ではありませんが、一般より活字を読む時間は長いとは思います。 「こうなふうにして読むと良い」とかコツや工夫があれば知りたいです。 よろしくお願いします。

  • お勧めの日本文学作品

    皆様のお好みで結構です 何かお勧めの日本文学作品ありますか? 作者名、作品名、簡単なお勧め理由を 教えてくれませんか? 私は40オーバーになり なぜか急に日本の文学作品を読みたくなりました 年代問いません お願いします

  • 不条理系でお勧めの小説を教えてください。

    不条理と言われるようなジャンルで、お勧めの小説を教えてください。 ちなみに好きなのは、 カフカ、安部公房、芥川龍之介後期、夢野久作、 あとは漫画ですが、つげ義春「ねじ式」、松本次郎「フリージア」 です。これらの世界観と共通するような作品を探しています。 宜しくお願いします。

  • 作者論と作品論について

    小説のあとがきを読んでいると、 『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』 『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』 というような意味合いの文句をしばしば見かけますが、 どうもしっくり来ません。 小説を読解して評価するのに必要な情報は、作者本人が小説本文内に示しておくべきものではないのですか。 上に挙げた作者の実生活の情報が物語に要るなら、それは小説の本文中に書かれるべき事柄ではないのですか。 読者がわざわざ作者のプライバシーを詮索して物語本編と重ね合わせて理解しようとする、というのはどうしたものでしょう。 私はできるだけ小説の本文のみで小説を評価したいと思うのですが、 一方で、小説本編を読むだけでは理解できない事柄もあると思うのです。 やむを得ず小説本文外から情報を引っ張ってきて読まないと分からないことはあると思います。 たとえば小説が書かれた時代の情報のうち、 その時代の読み手なら当然知っているべき情報、というのはあるでしょう。 その説明は小説本文内では省略されることが多いでしょうから、 作者の後の時代の読者が読む際は、それを補って読まねばなりません。 これに限らず、作者の想定していなかった読者が作品を読むときは、似たようなことがあると思うのです。 しかし、作者のプライバシーとなると話は違うと思うのです。 プライバシーは『当然知っているべき情報』には該当しないと思うのです。 言わば情報に一般性がないのです。 プライバシーを知ろうとすることは、作品を読み解くことを差し置いて作者論に行ってしまう気がするのですが。 皆様はどう思われますか? 皆様はどのようにして作品論と作者論の線引きをなさっていますか? もしかしたら読書人の皆様の中には『作品を読み解くこと』よりも『作者を知ること』に重きを置いて、 作品を『作者の人間像を形作るための資料』と見做している方がいらっしゃるかもしれません。 そういう方のご意見も頂戴したいです。 私個人は、できるだけ『小説本文内に書かれている情報』のみで小説を読みたいと思っています。 作者個人の性格だとか事情だとかを考慮しないと面白くない作品というのは……正直、あまり評価したくないですね。 作者論と作品論を完全に分けることは無理にせよ、 基本的には違うものと見做したいです。

  • ある文学作品の作品名を探しています。

    以前ここで同じ質問をさせていただいたのですが、その時は判明しませんでしたので、もう一度同じ質問をさせていただきます。 ある文学作品の作品名を探しています。 多分、作者は森鴎外だと思うのですが、はっきりしません。 文章は口語文でした。 読んだのは関西大学の入試問題を解いていた時でした、 ストーリーとしては、 「主人公が富士山(これもあやふや)に登り、山頂に登りきれず7~8合目の山小屋から日の出を見る」 というシーンがありました。 そこの日の出を見る場面の文章が非常に心に残っており、どうしてももう一度読みたいです。 どなたかご存知の方は宜しくお願いします。 また、確証は無くとも上記のようなシーンのある近代日本文学小説をご存知でしたらお知らせ下さい。

  • 純文学作品の読み方

    どう説明して良いものかわからないのですが、私には、純文学作品の読み方がわかりません。 そういう技術がない、という事です。 例えば、安部公房の「方舟さくら丸」についてですが、こう評されている方がいました。 ・構造としての特殊性をわざと設けていない ・副詞を削るレトリックを最低限に抑えている ・平易な文体を意識して心がけている  ・これらの意図を実施する事で、全体を通して現代の人間社会が陥ったアナロジィーの特殊性を  現実以上にリアルに創造することに成功している ・それがこの作品の狙いの一つである どういう訓練を積めば、このように文学作品を読み砕き、作品の構造を捉え、作品の作られた狙いがわかるようになるのでしょうか? 純文学作品を本格的に書いてみたいという願望がありまして、小説の構造、組み立て方をはじめ、これから勉強したいと考えています。 純文学にお詳しい方、何卒、ご協力ください。