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人の命は平等ではない!のが現実

なぜ、ひと1人を殺した人は、同じく1人の命をもって死刑とならないのですか?(一般的に1人で終身刑2人で死刑、少年にいたっては、ほぼお咎めなしに理解できません) 更正するのかどうかしりませんが、どうして命を奪った人には命や未来が保障されるのですか?無慈悲に殺して何がいけないのでしょうか? 皆さんの意見聞かせてください。

みんなの回答

  • aruke
  • ベストアンサー率47% (17/36)
回答No.2

弁護士でも、「人を殺したら死刑が当然」と考えている人もいるので、常識とは思いませんが… 過去の判例で、そのような基準が生まれているのは事実ですが。 現在の刑罰(刑法)に対する考え方として、「目には目を」ということではなく、「再教育することができないか(つまりは更生)」ということに重きがおかれていることも、理由の一つかとは思います。 人を殺した者は死刑になって当然、というのは私も賛同します。 ただ、近代の根底にあるのは、あくまでも「一人の大人として自律した個人」が自分の行為には責任をもつ、ということになっています。 (自律した個人とは、自分の力だけで合理的な考え方をすることができる人のことをいいます) ですので、殺人を犯した者が、それまでの生い立ちや環境などから、「物事を合理的に考えることができないような成長をするのも当然ではないか」ともいえるような人の場合は、「殺人」という結果だけを見るのではなく、それを改善する方法があるのではないか、ということを考えているのです。 例えば、有名な事件として「尊属殺法定違憲判決」という事件があります。 これは、実の娘が14歳のときから、父親が強姦し、以後、娘が29歳になるまで夫婦同然の生活を強いた事件です。その間、娘は子どもを5人(6人だったかな?)生み、3、4回の中絶をし、不妊手術を受けました。 そして、父親が酔っ払って姦淫しているときに「子どもを殺してやる」と言ったことから、娘が父親を絞殺した、という事件です。 結果を見れば、「殺人」であることにかわりはありません。それが、処罰を受けなければならないであろうことも。 しかし、ではこれで娘を「人を殺したから死刑」とすぐにいうことができるでしょうか。 そもそも、父親がそのような行為に及んでいなかったら?一人の女性として当然の生活を歩むことができていたのでは? そう考えると、これからの人生を更生して、生きていくこともできるのではないか。ということです。 すべての事件がこのような背景をもっているかはわかりませんが、少なくとも、国民の総意として定められている法律に、「人を一人でも殺した死刑確定」という条文がないのは、このような一件一件のなかみをみるためであろうと思います。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.1

>どうして命を奪った人には命や未来が保障されるのですか? 質問者さまが疑問に思うとおり、一人殺害は有刑期・二人以上殺害が死刑最低条件ですね。 これは「法曹界の、常識」が強く働いています。 「加害者の人権は、被害者の人権より重い」という(人権派を主張する)法曹界の不文律だからです。 「死んだ人間よりも、生きている人間の将来を保証する」事が、法曹界特に弁護士の重大な仕事なのです。 では、裁判官・判事はどうなのか? 裁判官・判事も「退官後は、弁護士会に登録し、弁護士業務」を行います。 ですから、「死刑判決が多かった過去は、人権を軽く見る」人間とのレッテルを貼られるのです。定年後は、安泰に過ごしたいですから避けたいですよね。 裁判員制度にしても、人権派弁護士は「反対又は延期」の要望書を提出しています。 「素人の裁判員では、加害者の人権が守れない」 ですから、裁判員制度に強烈な条件が付いていますよ。 「裁判員の意見は、一人以上の判事の同意が必要」 極端な話ですが、裁判員全員が「死刑」と断じても、判事・裁判官全員が「無罪」と主張すれば(その裁判所では)「無罪判決」となります。 口では「国民の意見と(法曹界と)のギャップを埋める」など奇麗事を述べていますが、法曹界のマスターベーションに過ぎません。 裁判員制度導入後、死刑判決が無くなると「死刑廃止は、国民多数の要望だ」と法曹界は主張する事が出来るのです。 一石二鳥の方法を用いたのですね。

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