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江戸時代の寺小姓について

江戸時代の寺小姓は、成長したら、出家しそのお寺を継ぐものですか? それとも、他に道が許されていたのでしょうか? (結婚とか・・・)

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みんなの回答

  • cobamax
  • ベストアンサー率41% (157/381)
回答No.2
gogomyfd3s
質問者

お礼

2度もありがとうございました! とても役立ちました。また何かありましたら、よろしくお願いいたします。 この度は、本当にありがとうございました。

  • cobamax
  • ベストアンサー率41% (157/381)
回答No.1

そもそも寺小姓は 貧しい武家の次男三男が口減らしのため寺にうられ僧の身の回り 「男色」の相手が仕事であった 成人すると 1「御家人株」「足軽株」を購入して武家にいく 2身請けされ町人になる 3妻子を持ち町人になる のいずれかで寺に残り僧侶になることは無かったようです 「例外」 八百屋お七の相手の寺小姓は法名「西達」という名僧になりました

gogomyfd3s
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! とても助かりました!! この様なことを詳しく載せている、文献はあるのでしょうか? もし、ご存知でしたら教えてください。

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