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元老

1885年に内閣制になり総理大臣は会議(通称元老会議)で決まっていたと本で読みました。出席者(通称元老)はどうやって、いつ決まったんですか? 三条・大隈・板垣といったところは、なぜ会議に出席できなかったんでしょう。

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  • shoyosi
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回答No.1

 元老は天皇陛下が国政の最高顧問として天皇の大政を助けるため、原則として勅語や勅命により就任しました。維新に貢献した長老が選ばれていますが三条は公卿出身で発足時内大臣や首相という国家の中枢のメンバーだったであえて、元老という顧問にする必要がなかったのでしょう。首相後しばらくして亡くなっています。大隈・板垣は肥前・土佐出身ですので薩長中心の藩閥政府とはそりがあいません。元老で薩長出身でないのは公卿出の西園寺だけです。

参考URL:
http://www.netlaputa.ne.jp/~house/ichiran/genrou.htm
napoli
質問者

お礼

おおっ!参考URLも見ましたが、とても為になりました!! 薩長閥が総理を選ぶ権力まで独占していたとは。。。。 ありがとうございます。知りませんでした。 三条は維新の功労者と割に歴史としてはあまり注目がうすいですね。その理由などわかりましたらそちらも知りたいです。

napoli
質問者

補足

あ、それと一番早く元老となった伊藤と黒田で1889年からですが、内閣制がスタートするのは1885年からです。その4年間の首相(伊藤、黒田)は誰が、またはどの機関で決めていたのでしょう。

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その他の回答 (1)

  • shoyosi
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回答No.2

 内閣制度が始まる前は太政官制でした。太政官は天皇による親政政治を目指したものでした。親政政治では天皇が全てのことを取り仕切っていました。絶対君主の時代でしたら、それでもいいですが、日本において憲法を施行し、絶対君主から立憲君主になりますと、天皇が選んだ指導者が不手際なことをしますと天皇の責任になります。内閣制度は憲法の施行を予定して、元老が決定されるまでの当初は太政官のトップを決めると同じようなやり方(参議で候補者を決め、天皇に決定してもらう)を踏襲しましたが、「聖慮を煩わす」ことによる責任から天皇を解放するために元老に決定させることにしたと思われます。

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