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戦前の首相指名について

戦前戦中の歴史を見ていてよく疑問に思うのですが、 当時の内閣総理大臣というのは 議員であるか否かといった点にこだわらず、 元老らの指名によって全国民の中から選ばれていたのでしょうか。 今は議会第一党の党首が自動的に首相となっていますが、 当時の歴史を描いた本などを読むと、何やら違うようです。 原敬の意義なども今ひとつ分かりません。 どなたかご教授お願い致します。

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回答No.4

再度失礼。 御丁寧なお礼ありがとうございます。 せっかくですので、補足しようかなと思い、やって参りました。 > そうすると大正デモクラシーの政党政治というのも、 > 民衆代表の議会が国政をリードするようになったとも言えはするが、 > 一方でその最終的な部分は元老たちが相変わらず握っており、 > 彼らの温情・理解による部分も大きかったという事なのでしょうね。 > 「民衆がコイツがいいというんだからコイツにしといてやるか」的な。 > 密室の話し合いはよろしくないですね。オープンにしないと。 「内閣総理大臣は元老達の推挙によって決められていた」 などと書きますと(まあそれはそれで事実なのです) うっかりすると「元老」という存在が、  「天皇の影に隠れて政治を操っていた悪の枢軸連中」 のように思われがちになるのですが、 必ずしもそういうわけではないことを説明致します。 なぜこんな決め方をしなければいけなかったかについては、 「元老の権力温存」うんぬんもあるでしょうけど、実際は、   「 戦前日本の政府中枢のシステムが悪かった 」 としか言いようがありません。   この場合の注目ポイントは3つあります。 1)内閣総理大臣に関する記載およびその権限が少なすぎる 現在の日本国憲法には内閣総理大臣の決定方法が明記されていて、 「議院内閣制」というシステムが整っています。 内閣総理大臣は内閣および政府の長として決定権をもち、 大臣が反抗したら罷免にもできます。 しかし、 大日本帝国憲法(明治憲法)の下では、 明治憲法や各法律には内閣総理大臣の決め方は書かれていませんし、 内閣総理大臣は決定的な権力者ではなかったのです。 その例として、ある国務大臣に反抗されたら罷免できません。 関係する法令の署名を全部拒否され、自発的辞職も拒否されたら、 やめさせるには一回総辞職して組閣し直すしか 方法がなかったと思います(記憶違いだったらごめんなさい)。 2)天皇は独裁者ではない、政治の意思決定は不可 大日本帝国憲法では、最高権力者として明記されていた天皇。 「統治権」「立法権」「陸海軍の統帥権」などと語句が並ぶと 何やら独裁者のようにも感じられますが、  ・天皇の権力の行使には、必ず「諸国家機関の助け」が必要  ・天皇は政治には口を出さない慣習=「宮中・府中の別」 この2つの理由により、独裁は事実上不可能でした。 最終決定を行なうのは形式上は天皇ですが、 実際は「諸国家機関」の意思を尊重し、 どの機関の決定に関しても、「じゃあそれで」と言うしかない。 つまり積極的に権力を行使する存在ではありませんでした。 (ちなみに、この文章には「天皇に戦争責任はあるかないか」  という話をからませる意図は一切ありませんので、あしからず) 3)政府の意思決定を行なう「諸国家機関」は対等  ○ 帝国議会(衆議院/貴族院) :法律/予算  ○ 内閣 :行政  ○ 枢密院 :条約/勅令  ○ 軍(陸軍参謀本部/海軍軍令部) :作戦/用兵 このように天皇の権力行使を助ける諸国家機関があり、 それぞれ担当する仕事が異なるわけなのですが、 (2)で述べた理由により、 各機関の決定はそのまま天皇の意思、つまり国家の決定になります。 で、ここで何が問題となってくるかというと、 これらの機関が異なる意思決定をして対立してしまったら、 形式上は解決する方法がないのです。 天皇は慣習により、政治の世界の利害調整などは行ないません。   話が長くなってしまいましたが、 ここからが「内閣総理大臣の決定」と「元老」との関係の話です。 仮に、  「議会政治を目指す人々が選挙に圧勝し、   天皇に「国民のための政治を行ないたいので任せて!」   と請願して、与党の党首が内閣総理大臣に任命された」 とします。 しかし、いざ内閣を組織して政治を行なおうとしても、 もう一方の貴族院で否決されたり、 あるいは他国と条約を結びたくても枢密院に拒否され、 仮に同盟国を助けようとして出兵しようとしても 陸海軍の同意が得られず、 結局はどうにもならなくなって「総辞職」ということに。 逆に、  「国民の意思など知ったことか。   日本をより良く、より強くするために我々が……」 という場合は実際にありました。 帝国議会の衆議院選挙の結果(=政党)を無視して 独自に政治を行なおうとする『超然主義』の方針をとる内閣と、 衆議院で多数を占める政党が対立して混乱した、 1890年代の『初期議会』の時期です。 この場合は、内閣や軍や枢密院を押さえていても、 帝国議会が事実上、法律と予算の決定権を有していたので、 予算案や増税法案が次々と否決され、 どうにもならなくなって内閣が総辞職しています。 このように、国家諸機関のどれかに基盤をもち、 またどこかの機関と対立するような内閣になってしまうと、 政治を行なうこと自体が困難になるわけです。 形式上のトップである天皇も政治の世界には不干渉です。 そこで、 「明治政府をつくりあげ、  政・官・軍の各界に強い影響力を持つ元老さん達に、  行政のトップの内閣総理大臣や国務大臣になってもらうか  適当な人物を選んでもらい、  各機関の利害を調整してもらうしかない」 ということになったのです。 過去に元老の後輩や部下だった人間が、 次の世代の国家諸機関の大幹部だったりするのですから、  「元老の方々が決めた人間なら、協力するか」 となったのではないかと。 > 一方でその最終的な部分は元老たちが相変わらず握っており、 > 彼らの温情・理解による部分も大きかったという事なのでしょうね。 > 「民衆がコイツがいいというんだからコイツにしといてやるか」的な。 元老は、このような「闇の実力者」というよりは、  「まあ、君たちには思うところもあるだろうけど   今度の総理大臣とは上手くやってくれよ」 みたいな裏の調整役の役割も大きかったと考えられています。 (「権力を欲しいままにする意思」が100%無かった、とは言いませんが) 現在の総理大臣が与党の派閥のボス達の密室での話し合いで… という話とは、状況が全く異なるので注意が必要です。 以上述べてきたことからわかるかもしれませんが、  「各国家機関と対立せず、上手くやっていける政治家」 という人間がいるなら非常に重要で、 その一人が、原敬でした。 「平民宰相」であるのに内閣総理大臣に任命されたのは、 その理由が大きかったとも言われています。 以上の話を加味して、原敬内閣の意義について 考え直してみると、さらに見えてくるかもしれませんね。 こういうシステム下で「本格的政党内閣」を作ったのですから。   以上、長くなりましたが、 結論としては、そもそも根本のシステムが悪かったので、  「元老を廃止すれば政治は良くなったはず」 というものでもありませんでした。 根本的に解決するには憲法を変えるしかなかったのですよ。 まあ、諸国家機関の利害を調整する元老さん達も大変でしたが、 そもそも誰がこんな憲法を作ったかというと、 内閣総理大臣       伯爵 黒田 清隆 枢密院議長        伯爵 伊藤 博文 外務大臣         伯爵 大隈 重信 海軍大臣         伯爵 西郷 従道 農商務大臣        伯爵 井上  馨 司法大臣         伯爵 山田 顕義 大蔵大臣 兼 内務大臣  伯爵 松方 正義 陸軍大臣         伯爵 大山  巌 文部大臣         子爵 森  有礼 逓信大臣         子爵 榎本 武揚 ……こんなところで。   

参考URL:
http://www.edogawa-u.ac.jp/~kiuchih/home/statutes/teikokukenpou.html
teketonton
質問者

お礼

ずいぶん前に答えていただいたものに 今更お礼を申し上げるのも何なのですが、 大変勉強になりました。ありがとうございました。 返事が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

その他の回答 (3)

回答No.3

こんにちは。 同じような質問は過去に何回かあって、 この質問に対する回答がわかりやすいでしょうか。 質問:原敬の内閣が日本初の本格的な政党内閣と言われるのはなぜ?(のNo.3) http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1788820 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1788820 まとめると、  ・明治憲法や各法律には内閣総理大臣の決め方は全く書かれていない  ・天皇は政治には口を出さない慣習なので(「宮中・府中の別」)、   天皇が「こいつにしたい」などと勝手に決めるのは事実上不可能  ・なので、政界の偉い人が自分で内閣総理大臣になるか、   偉い人たちが内閣総理大臣にしたい人物を天皇に推挙することで決定    (公表される時は「天皇から組閣の勅命が下る」という形に)  ・偉い人たちがどういう基準で選ぶかは、その時の情勢による 追加すると、大正から昭和にかけてのあたりで、 衆議院の第一党の党首が内閣総理大臣になり、 その内閣が倒れると野党の党首が次の内閣総理大臣に、という 『政党内閣期』と呼ばれる時期がありましたが、 上で述べたように、 戦後~現在の内閣総理大臣の決め方とは異なり、  「あくまでも、元老(西園寺公望)が衆議院の第一党の党首を   内閣総理大臣として適当な人物として天皇に推挙して、   天皇がその人物をそのまま任命していた」 というだけで、 上で述べた首相決定システムは日本国憲法の公布まで変わっていません。 もともと政党の党首になっていたこともある元老・西園寺公望が、 「政党内閣」というシステムに理解があったため、 加えて、当時の日本や世界の情勢および政界の情勢が平穏だったため、 政党党首の内閣総理大臣就任でも問題がなかったのです。 原敬の意義については、上の過去質問に対する回答を参照のこと。   

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1788820
teketonton
質問者

お礼

丁寧にまとめていただき、ありがとうございました。 過去の質問回答に同様のものがあったのですね。 もう少し丁寧に検索すれば良かったのですが、不備でした。 申し訳ないです。 やはり戦前の政党内閣というのは 元老の理解に負うところが大きかったのですね。 またそれを許せるだけの情勢でもあったと。うーんなるほど。 それにしてもその政党内閣ならともかく、 それ以前の、議会に基盤のない内閣というのは 法案や予算を通すのが恐ろしく難しかったわけですね。 そこから大正時代の元老らも妥協を始めたと。 だいぶ見えて来ました。 ありがとうございました。

  • oriyang
  • ベストアンサー率54% (46/85)
回答No.2

 少し長くなりますよ、覚悟してください(笑)。  戦前の総理大臣は「元老が天皇に推薦し、天皇がそれを受けて任命する」となっていました。  なので元老がいなくなったら天皇に総理大臣を推薦するものがいなくなり内閣が成立しなくなります。  そして元老は全部で明治の9人でした。何故か長生きする人が多く、西園寺公望90歳、山県有朋83歳などです。では全員死んでしまったらどうするか?  昭和9年84歳の西園寺公望(昭和に生き残ったのは彼一人)は元老以外の誰かに総理大臣の推薦件を与えるという方法をとりました。  「重臣会議」です。天皇に仕える内大臣、天皇の最高諮問機関・枢密院の議長、そして4人の元総理大臣です。西園寺はこのシステムを残し死にました。  元老という超法規的で特権的な存在は明治憲法と帝国議会の誕生とともに生まれました。明治憲法と帝国議会を作ったのは元老たちだったからです。彼らが権力の温存を考えたために総理大臣の任命権を握ったのです。  そんな特権的な存在がいたのを今の人はあまり知りません。  憲法と議会は元老たちが作りたくて作ったものではない(敵対勢力が作れといったから仕方なく)なので権力の温存を考えたのです。  大正デモクラシーの時政党政治を訴えたもの達は元老の廃止そのものを訴えるべきだった。なので元老の下の陸軍が肥大し暴走したんでしょう。山県有朋が陸軍のボスですから。  帝国憲法でも与党の代表者が天皇に忠誠を誓えばよく、元老支配は消えていったはずですが、政党政治を担う人々にその発想が無く、総理大臣は話し合いの中から生まれる事になりました。元老が消えても重臣の中で話し合いです。 さらに彼らも消えましたが今は、派閥のボスというものが出てきていまだに総理大臣が話し合いによって決められています。 今も言われている事ですが、その話し合いはそのトップの人たち周辺だけで起こるので密室会議のようにどういう密約などにより決定されるのか国民にはまったくわかりません。つまり何がその部屋で行われ、何が話し合われているのかがです。  こんな政治ですが西園寺公望から60年たってもあまりこの不自然さは気付かれていないですね。  

teketonton
質問者

お礼

覚悟して読ませていただきました(笑)。 でも非常に分かりやすくまとめて下さったので楽に読めました。 ありがとうございます。 なるほど、元老による首相指名という制度は、 議会や憲法設立の折、既に権力の座にあったものたちが 議会に対抗する必要から作り出したシステムだったわけですね。 そうすると大正デモクラシーの政党政治というのも、 民衆代表の議会が国政をリードするようになったとも言えはするが、 一方でその最終的な部分は元老たちが相変わらず握っており、 彼らの温情・理解による部分も大きかったという事なのでしょうね。 「民衆がコイツがいいというんだからコイツにしといてやるか」的な。 密室の話し合いはよろしくないですね。オープンにしないと。 ただどうも最近の政治家を見ていると、以前よりオープンになった分、 単純な人気投票だけで選ばれているような気もちょっとしています。 ルックスはいいけど言動は軽すぎるというか… まあオープンにした上で選ぶ国民の側が賢くならなくちゃいかんのですが… ともあれご返答ありがとうございました。 勉強になりました。

回答No.1

戦前の首相は「大命降下」といって天皇の命令で 内閣を組織していました。 元老・重臣がまずある人物を推薦し、それから 大命が下るということが多かったようです。 もちろん衆議院で第一党となった党総裁が首相に 就任することもありましたが、やはり元老・重臣の 意向は色濃く反映されていたようです。 ただ全国民の中からというには話が広すぎるでし ょう。 元老の意向も絶対というわけではなく、やはり 当時の各勢力の影響力に応じて、選ばれていた ということだと思います。 戦前は主に皇族・華族・士族・平民という4つの 身分があり、原敬は初の平民出身の首相で、 初めて衆議院第一党の総裁として政党内閣を 組織した人物です。 以上もっともらしく書きましたが、 誤りがあれば訂正願います。

teketonton
質問者

お礼

なるほど「大命降下」ですか。 元老らが「この人がいいですよ」と天皇にすすめ、 天皇が「じゃ、お前がやんなさい」 と薦められた人に大命を下したわけですね。 原敬の平民宰相というのも 4つの身分の前提があってのことなんですね。 (知らなくて恥ずかしいです) お答え、どうもありがとうございました。

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