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日露戦争

noname#152865の回答

noname#152865
noname#152865
回答No.5

日露戦争は日本の勝利です 初めに述べておきますが、日露戦争は引き分けだった、運が良くて勝てた、ロシア軍は戦略的に後退して最後には大戦力を動員して勝つつもりだった、クロパトキンが無能だから勝てた、などと言うのは反日家やロシア側の見苦しい言いわけであり、ただの負け惜しみです 日本陸海軍は、その実力を持って連戦連勝したのです 海軍は東郷平八郎と秋山真之の活躍で連戦連勝で日本海海戦でも圧勝しました 陸軍は大苦戦しましたが天才児玉源太郎と黒木大将の活躍で連戦連勝でした そしてロシアを満州・朝鮮半島から追い払い、賠償金は取れませんでしたが樺太の南半分と遼東半島と南満州鉄道を手に入れることができました なぜ世界最強のロシア帝国に勝てたかと言うと明治日本には優秀な人物がたくさんいたからです やはり 1位は児玉源太郎でしょう 日露戦争最大の功労者で判断力と洞察力にすぐれた天才です。 彼の作戦は世界の誰も思いつかない素晴らしいものばかりでした。 彼がいなければ勝てなかったと思います 2位は『T字戦法』『七段構えの戦法』を考えた天才戦術家、秋山真之です 3位は世界の英雄、東郷平八郎です ほかには ロシア帝国を内部から揺さぶり、暴動やテロを起こさせて戦争継続を困難にさせた名スパイ 明石元二郎 海軍の大リストラを実行し名将東郷平八郎を抜擢した、山本権兵衛 最強の軍団司令官、黒木為もと 日本陸軍最高の作戦家、藤井茂太 薩摩の名リーダー、大山巌 薩摩の猛将軍、野津道貫 桑名藩雷神隊隊長、立見尚文 騎兵の名将軍、秋山好古 海軍を陰で支えた、島村速雄 戦費調達を成功させた、高橋是清 いくさのプロ、奥大将 花の梅沢旅団、梅沢道治などです 日露戦争に勝利したことで世界の国々から認められ、幕末に欧米列強に結ばされた不平等条約を改正し、日本は世界の1流国になったのです

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