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般若経について教えて下さい
wikiによりますと、般若経とは「般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く多数の経典を総称した呼称」ということですが、そういう般若経という区分けは、いつごろ、誰が決定したのでしょうか? また、般若経の定義が「般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く」ということだけであれば、他の経典群の定義とカブってしまうこともあるように思うのですが、例えばあるお経が、般若経にも含まれ、○○経にも含まれるというようなこともあるのでしょうか? もし他に般若経の明確な定義があるのであれば教えて下さい。
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>般若経とは「般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く多数の経典を総称した呼称」ということですが、そういう般若経という区分けは、いつごろ、誰が決定したのでしょうか? いつごろ、誰が、というのが厳密に設定できるかどうかは分かりませんが、中国でかなりの数の経典が翻訳され、広く流布するようになると、それを体系立てて纏める作業というのが始められるようになりました。古いもので有名なのは、智昇という僧侶が纏めた『開元釈教録』で、唐代の開元18年(730)に成立したと言われています。 Wikipediaの「経典」の項には、『開元釈教録』に触れて、 大乗経典を般若、宝積、大集、華厳、涅槃の五大部とした とありますから、少なくともこの頃には「般若部」として、「般若波羅蜜」を説く経典をひとまとめにしています。この後、所謂「大蔵経」と呼ばれるものが編纂される時には、常にこの『開元釈教録』を基準にして纏めたと言われています。 >また、般若経の定義が「般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く」ということだけであれば、他の経典群の定義とカブってしまうこともあるように思うのですが、…… これは、かぶることはありません(たぶん)。もちろん、いろんな経典の中で「般若波羅蜜」は説かれています。けれどもそれはあくまでも脇の話で、それぞれのお経には、何かしら中心的な思想が説かれています。その中心をポイントとして、「般若部の経典」とか「華厳部の経典」というふうに区分けしているのです。たとえば『華厳経』の中にも「般若波羅蜜」の思想は説かれていますが、『華厳経』を指して『般若経』ということはありません。同じように『般若経』の中にも『華厳経』に説かれる思想と重なるようなことが説かれていますが、『般若経』を指して『華厳経』ということはありません。 >もし他に般若経の明確な定義があるのであれば教えて下さい。 Wikipedia「般若経」の項で言っている「般若経」というのは、“「般若波羅蜜」を中心的に説く、数ある「般若経」を纏めた「般若部」に属する経典”という意味だと思います。 ちなみに、同じくWikipediaの「大般若波羅蜜多経」の項では、「般若経(はんにゃぎょう)と略称することもある」とあります。 つまり、「般若経」と言われた場合には、「般若部に属する経典」という意味と、『大般若……』や『金剛般若経』などの略称の意味と、二つあるのだと思います。 遠い昔に大学で仏教学を学んだ知識からの回答です。不備な点もあると思います。 さらに詳しい方の回答があればと思います。
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- fuwapoyo
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経典の分類や成立については専門外なので参考までに述べますが、 >なんとなく皆が「般若波羅蜜」というトレンドに沿ってバラバラにお経を作っていたという感じでしょうか? 般若思想の出現は当時の大ブームであり、多くの経典がそれぞれ異なった場所で独立して成立しました。 『大般若波羅蜜多経』でも十六会中、十会まではサンスクリット本やチベット訳本の異本が確認されており、後世にそれぞれが整理されて成立していったことがうかがわれます。 『般若経』を含めた各経典群が後世に割と明確に区分できるのは、『大般若波羅蜜多経』の存在が大きく影響しています。 般若思想を説く経典は『般若経』に分類されるはずですが明確な定義はありませんし、経典編纂時に“般若部”という明確な認識を持って為されたとは考えられません。 『般若心経』でさえ、密教の般若菩薩が主人公であるから般若部ではなく密教部の経典だとする学者もいます。 『理趣経』と『理趣分』の違い等もすぐ思い浮かびますよね。
お礼
詳しい解説をありがとうございます。 >般若思想の出現は当時の大ブームであり、多くの経典がそれぞれ異なった場所で独立して成立しました。 当時の風景を想像する上で、電話も放送も活字も交通手段も無い時代の大ブームというものを現代人が正確にイメージするのは、なかなか困難なことのように思えます。 多分、現代の大ブームよりはずっとゆっくり、その分じっくり100年以上かけて咀嚼、熟成されたのかと思います。 その熟成の過程がそのまま般若部なのかなあと、そんなことを思いました。
- abiraunken
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大蔵経、一切経はいろいろな時代 いろいろな場所で編さんされたものだから 微妙に分類が違います チベット大蔵経などでも 分類の仕方が違っています 同じお経でも般若部に入ったり 密教部であったり 定義はないですね グレーゾーンのお経がたくさんあります
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですか、明確な定義はないんですね。 膨大な仏教経典の中には、いわゆる偽経や、全く出自の知れないものもたくさんあると聞きます。 また、お経の分類という作業自体がNo.1さんの回答によると千何百年という歴史があるわけですから、グレーゾーンのお経がたくさんあり、分類の仕方自体にも変遷があるであろうことは想像できます。 そうした区分の異動や、グレーゾーンのお経はあるにせよ、千年以上前に、明確な定義もなく成された分類が、現代でも基本的に通用しているのだとすれば、やはり分類される経典の側に、ある程度分類されるための素地が備わっていたのかなあと思いました。
お礼
大変よく分かりました。 そうすると、実際に般若経の作成が行なわれていた当時は、まだ般若部という明確な区分けは無かった可能性が高そうですね。 なんとなく皆が「般若波羅蜜」というトレンドに沿ってバラバラにお経を作っていたという感じでしょうか? もしくは、お経を作るのが教団単位の事業であったとするなら、般若経は「般若波羅蜜」を中心教義に置く特定の教団の作であったのかもしれませんね。 その方が、般若経を含めた各経典群が後世に割と明確に区分できていることに納得がいく気がします。 ご回答ありがとうございました。