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学問を好きになる心理について

こんばんは。 英語カテゴリーにしようか迷ったのですが、h場広いご意見が聞きたかったのでこちらのカテゴリーに投稿させていただきました。 かくいう私もそうなのですが、英語を好きな方っていると思います。 では、何故英語が好きなのですか?何故英語を「好きになった」のですか? 「好きだから」や「文化が違うという背景を知れて、自分の視野が広がるから」という意見は勿論わかりますし、私も同感です。 しかし、何故英語が好きなのでしょう・・・。 英語に限らず、数学、歴史でもなんでも、その学問を好きになる心理について、“論理的”に知りたいのです。 質問の意図を詳しく伝え切れてない気もしますが・・・・ご回答お待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

大きく言えば、心理学も含まれるかも知れませんが、いまは大脳皮質生理学の問題かも知れませんね、 近頃テレビなどで盛んに取り上げられる、「A-HA!体験」がありますが、 何かを理解し、考えなどが頭の中でまとまった瞬間に人間の脳は、快感を覚える(※)そうです。 快を感じたい、不快を避けたいのは、人間の基本的な要求ですので、 小さな成功体験を繰り返すことで、快感を得て行き、問題が解ける⇒心地良い⇒ 頑張って覚える⇒さらに問題が解ける⇒成績があがる⇒他人に認められる。 こういった循環を通して、人は、ある学問をさらに好きになって行きます。 最初のキッカケは、小さなことだったかも知れません、 偶々知っていた問題が出たとか、教えていた教師が好きだったとか、褒められたとか、 その小さな快感の積み重ねが、モノや人に対する全体的な印象を作って行きます。 ある程度、得意に成ってからは、他人に負けたくないとか、自己顕示欲とか、 得意分野を通じてのコミュニケーションとが楽しい、とか様々要素が出て来ると思います。 ※何故、快感を覚えるか?については、他の動物としての生き残り戦略の中で、  運動能力や体力で劣る人間は、脳を鍛えることで、生存競争に打ち勝って来た所為だといわれています。

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  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.5

人間の思考パターンなど数が限られており、本質的な議論は、ギリシャ時代や中国の諸子百家で、出尽くしています。 他方、人間の知性には、色々な要素が混ざっており、全ての点において他人よりすぐれているとか、全ての点において他人より劣っているとかの人は、非常にまれです。たとえば私の父は大学では整数論専攻なのに、暗算はほとんど出来ません。その代わり、フォートラン(コンピュータに数学的問題を解かせるための古いプログラム言語)を使わせたら、一流です。他方、私は超のつく文系頭で作文や概念把握は得意ですが、単純・大量記憶はほとんどできません。結果として、私立大学2つに落ちましたが、世間では格が上と思われている国立大学に受かりました。国立の2次試験は、筆記式の出題が多いですから、2つ落ちた後も「大丈夫、あそこは絶対受かる!」と言っていました。 ポイントとして言えば、生まれ持った性格や、経験に基づき作り上げてきた思考様式に、ぴったり合致する学問分野と出会った時、学問を好きになるのだと思います。 ここでひとつ、質問をしてみます。大哲学者のカントがこんなことを言っています。「経験とは無関係な純粋な理論というものは、存在するだろうか?私は、存在すると考える」。この意見を見て、「まさにその通り」と思う人はカントと思考様式が近いのです。他方、私のように、「は?経験とは無関係な理論?んなものあるわけねーだろ」と考えるタイプは、カントの問題意識を共有できるレベルに達していないのか、もしくは、カントとは発想法が根本的に合わないのです。 私は哲学者の中では、ヘーゲル、キルケゴール、アドルノと親和性が高いタイプで、本を読みながら、著者の思考の過程を追体験するということを重視します。この、色々な思考様式を、あーでもないこーでもないとしながら読み進んでいくことは、私にとっては非常に楽しいことで、未知の友人と会話をしたような気分になります。外資系勤務につき、メールや電話でしかコミュニケーションしたことのない同僚が多数いるのですが、信頼できる相手かどうかは、メールだけでも十分に分かるのです。 大学でヘーゲルに出会ったのは偶然ですが、哲学の中でも、構造主義や現象学やマルクス主義ではなく、ヘーゲルが見事に自分に合うと気がついたのは、マルクス主義者が誤解している、「法の哲学 自然法と国家学」の序文の本当の意味に気がついた瞬間です。「理性的なもの、それは現実に機能し、現実に機能するもの、それは理性的なものである。あらゆる哲学は、とらわれのない意識と同じで、自然的宇宙を考察する時も、精神的宇宙を考察する時も、この前提から出発する」。マルクス主義者はこれを誤解し、「ヘーゲルは既存体制を賛美する保守反動だ」と世間に広めてしまったのですが、文脈をよく読むと、こういう意味なのです。「理論と現実は必ず合致する。現実は理論とは違うなどと言っている人は、偏見にとらわれているだけだ。それは、自然科学でも人文科学・社会科学でも同じだ」、と。これは、今の自分にとっても決定的に重要な信念であり、座右の銘となっています。なにしろ、サラリーマン生活をしていると、会社内の非常識なルールに慣れてしまい、物事の本来あるべき姿を忘れがちになりますからね。 そのほかの分野について語れば、歴史は大好きです。世間には「社会科は暗記科目だ」と言う愚かな教師が多いのですが、物事の大きな流れを概念的に把握し、その上に個別の知識を乗せて有機的な理解を構築しないと、社会科学の奥深さはわかりません。私が歴史にのめりこんだきっかけは、高校の世界史教師が強烈な人物だったことです。何しろ、期末試験に、「レーニンによる帝国主義の定義を論評せよ。400文字以内」、「ゲゼルシャフトとゲマインシャフトの概念の違いを説明せよ。400文字以内」、「ルネサンスを地中海文明という概念の枠内で説明するとどうなるか。400文字以内」などという出題を連発していたくらいなのです。理系の生徒には、いまいち受けがよくありませんでしたが。 私のいた高校には職員室がなく、教師が個室を持っていたのですが、大学では社会科学をやりたいと世界史教師に話したところ、個室に招かれました。入って度肝を抜かれたのが、いきなり目の前に飛び込んできたピカソのゲルニカ。さらに、天井まで書籍で埋め尽くされた本棚。教師は、自分の専門分野はビザンチン帝国で、現トルコ領イズミールに思い入れがあると話し、もうすぐ引退する年齢だというのに、「わしは最近、ロシア語を勉強しなくてはならないと痛く感じているんだ」などと発言、教師の衰え知らずの知的好奇心に私は圧倒されました。尊敬できる教師との出会いは、学問を楽しくする重要事項だと思います。

  • doi3desu
  • ベストアンサー率61% (230/376)
回答No.4

難しい質問ですが、私見を述べたいと思います。カテゴリーがあくまでも、心理学になっているので、そういった視点からできるだけアプローチしてみたいと思います。 まず、本論に入る前に、除外させていただくことがあります。たとえば、「フランス語が好きなのは、フランス語を話したりすることによって人とコミュニケートできるため」であるとか、「英語が好きな理由は、海外のニュースを直接読むことができるからだ」といったものは、「学問」としての「フランス語」や「英語」から除外させていただきます。勿論、広義の意味での「学問の範疇」には属しますが、学問の専門性という観点から、論議の対象外といたします。 まず、「学問」とは何かということを考えてみたいと思います。「哲学」、「医学」、「物理学」、「心理学」など、学問は非常に多岐にわたります。その中で、「英語」というものを一例として考えてみます。単に、「英語」と言っても、それは狭義の意味での「学問」です。何故なら、英語の中には、「文法論」や、「音韻論」、「統語論」などの細かい分野があり、これらを総称して「英語」という学問になります。単に英会話を学ぶことは、学問するというよりは、興味を持っており、好きだから学習しているという行為に属すと思います。勿論、「好きで学習すること」を卑下しているのではありません。ここでは、「論理的に」ということでのご質問ですから、「学問」の範疇から一時的に除外します。 逆にお聞きしたいのですが(意地悪で言っているのではありません)、ある人がこう言ったとしましょう。「サンスクリット語が好きです」という質問と、「英語が好きです」という言葉を耳にしたとき、質問者さんはどういう心理状態になりますか?一般論から述べます。「サンスクリット語か、何か高尚そうな言語をやっているんですね」という感想をお持ちになると思います。英語に関しては、「そうか、この人は英語が好きなんだな」程度の心理状態でその先には進まないと思います。つまり、同じ「語学」にもかかわらず、固定観念から、無意識に、二つの語学間に上下関係をイメージしているのです。もしかすると、「英語が好きです」と言った人は、非常に高度な「変形生成文法」を学問している人かもしれません。一方、「サンスクリットが好き」と言った人は、単に、古代インドへのあこがれから、あまり詳しくはないけれど、コツコツと初級サンスクリットを学習している場合もあります。質問者さんが英語のカテゴリーで質問しようかどうか迷った理由をご自身の心理を分析してみてください。 量子力学を学ぶ人は、なぜ一生懸命に未知の微粒子世界を探索するのでしょうか。その研究者も、高校時代は単なる物理が好きな生徒であったと思います。大学に入り、やがて博士号を取り、学問自体を生業にした時、人は、その方に対して、「なぜ、量子力学が好きなのですか」と尋ねたとします。質問する側の姿勢、量子力学を知っているかどうか、大人か子供かなどを判断したうえで、その研究者は様々な答えを質問者に伝えるでしょう。子供に対しては、「面白いからですよ」とか答えるかもしれません。量子力学を知らない大人であれば、「難しい質問ですね。何と答えればよいかな。ま、好きだからかもしれませんね」と答えるかもしれません。しかし、ある人には、「理由はありません」とそっけなく言う場合もあるでしょう。 哲学者に、「なぜ哲学を勉強しているのですか」と尋ねたら、無視されるかもしれません。宗教学を実体験で研究している人からは、笑顔で、じっと目を見つめられるかもしれません。 「どうして生きることが好きなのですか」という問いに論理的に答えられますでしょうか?「なぜ、そんなさほどお金にもならない仕事を好きでやっているのか」と誰かが本音で昆虫学者に尋ねたとしたら、あなたはどう感じますか?あなた自身の心理を客観的に内観してみてください。そこから、質問者さんは、何かの答えをご自分で見つけられるのではないかと思います。 最後に、嫌味ではなく、質問者様への質問です。「あなたは、なぜ、学問を好きになる心理について論理的に知りたいのですか?」。これが私の拙い答えです。

回答No.3

飽くまで素人考えですが。 昔、著名な登山家が、何故山に登るのか?という質問に対して、「そこに山があるからだ」と答えた有名な逸話があります。 これを私的に解釈すると、 ・(特定の)山、という存在の認識。 ・その頂上に立った時の達成感、眺望や爽快感の悦楽などへの期待と確信。 ・その期待と確信から来る登山への衝動 他にもあるかも知れませんが、これらが人を山に登る行動に駆り立てるのではないでしょうか? 学問も、この「山」と同じだと思うのです。

  • v7nV1dZjx
  • ベストアンサー率10% (7/64)
回答No.2

英語が好きといっても中学で穴埋め問題が良く解けて 自身をつけ、「自分は英語が得意」だと思い込んでいる 日本人がほとんどでしょう。クイズみたいな英語の問題 ができて点数が取れるので英語に好印象を持つのです。 他の教科も同じ。 英語が好きくらいの実力で海外に行って生活でもすると とたんに周りで何を話しているのかさっぱり珍ぷんかん ぷん。それでまたアングロサクソンの日本人やアジア人を 見る本当の姿がわかって幻滅。こんな連中の言葉を何で 一生懸命徹夜までして勉強したんだろうか、と自問。 そこまで来てはじめて英語という位置づけが自分の中に できるわけです。 あこがれで英語を話す黒人と付き合う日本人もいるでしょ。 でも、本当の姿をしって幻滅ということも少なくない。 いずれにしても、日本人の教育程度は本当に低いですから。

回答No.1

的はずれでしたらごめんなさいm(__)m 論理的でも何でもないですが、 自己顕示欲の一種だと思います。

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