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フランス語の訳をお願いします。
Daniel Halevyの「Pays prisiens」(1932)という作品の一部(28ページから29ページ)です。 きれいに訳せません。どなたか、訳出をお願いします。 Sans doute, en 1867, il n'y avait plus de fermes dans Montmartre, mais il y avait encore des espaces, de l'herbe et des arbres. C'etait une sorte de Passy, tel qu'il y a vingt ans nous connaissions Passy. Des artistes, quelques gens du monde, s'y etaient installes et formaient une petite republique active, agreable, a quinze minutes des boulevards. Des amis nous y attiraient: les Gounod, Degas, Fromentin que mon pere aimait beucoup; d'autres encore, moins connus (tout a l'heure je les retrouverai). Il fallut opter enfin, on opta pour Montmartre. Un, deux, trois appartements furent cherches, trouves dans une meme maison, pour mes grands-parents, mes parents et ma cousine Halevy qui epousait Georges Bizet. Et un jour, jour triste assurement, il fallut sortir les meubles, emballer les tableaux et les livre, cherger tour cela dans des voitures et, tournant le dos au cher Institut, essayer un pays nouveau.
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- Botticellian
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> おそらく1867年に、モンマルトルにはもう既に農場はなかっただろうが、そこにはまだ広場や野原や林は残っていた。 ⇒ この訳で正しいと思います。 > それは20年前に私たちがよく知っていたPassyのようだった。 ⇒ これも正しいと思いますが、20年前のPassyを見たことはないのでそこらへんは何とも言えませんが。 > 何人かの芸術家や、社交界の男たちがそこに住みつき、小さな活発で居心地のよい共和国(集団)を大通りから15分ほどのところに形成していた。 ⇒ gensは現実を踏まえると男でも間違っていないですね。 直訳としては間違っていないと思いますが、活発な共和国というよりは、そのメンバーには居心地のよい芸術活動集団を形成していたということが現実だったのでしょうね。 > 親愛なる友達は私たちをそこに引き付けた。父がとても愛していた、Gounod、Degas、 Fromentin…。 ⇒ 親愛chersは出てこないので不要と思います。グノー、ドガ、フロマンタンは既に固有名詞が日本でも知られているので日本語にしてよいと思います。その当時父がこよなく愛していたグノー、ドガ、フロマンタンがわれわれをそこに引き入れたということですね。 > 他の人々はまだあまり知られていなかった ⇒ この訳だとちょっと誤解を生むかもしれません。おそらく父が他にも無名の技術家を愛していたと言うことだと思います。 > (もうすぐ私は思い出すだろう[あとで語ることになるだろう])。 ⇒ これは違うと思います。その後すぐに私も彼らを認めることになるということを言っているのではないのでしょうか。 > 結局選ばなければならなかった。私たちはモンマルトルを選んだ。 ⇒ 直訳としては間違っていませんが、唐突にこれを書かれると、は?という感じです。 過去に、とある事情により居住地としてモンマルトルを選択せざるを得なかった、ということを次に説明することを分るように訳した方がよいと思います。 > おじいさんたちと両親とGeorges Bizetと結婚していたいとこのHalevyのために、ひとつ、ふたつ、みっつとアパルトメントが探され、同じ建物の中に探し当てられた。 ⇒ これを読んでも日本語として意味が通らないように思います。 要は、私の祖父母、両親、作曲家ビゼーと結婚していた従妹のアルヴィーが一緒の建物に住むことになるアパルトマンを3つ程物色したということではないのでしょうか? 別の言い方をすれば3つ程アパルトマンを物色して結局はその3家庭が同じ建物内に住むことになったというのも考えられますが、そこまで偶然性はないように思いますがいかがでしょう? > そしてある日、本当に悲しい日。彼は家具一式を外に出し、絵と本を梱包し、それらすべてを車に積間泣ければならなかった。かれは、いとしい学校に背を向け新しい町へ旅立たなければならなかった。 ⇒ 訳としては間違っていないと思いますが、小説の訳としてはもう少し工夫があってもよいのではないかと感じます。ところで「彼」とは誰のことだか分っていますか? これは印象派の画家たちがいた有名なアパルトマンの話ですよね。 それにしてもこのコメントを書いていて自分で訳すよりはるかに時間がかかるのが分りました。 もう少し短文にしてください。 長文お付き合いは今回だけと言うことにさせてください。 では頑張ってさらに勉強を続けてください。
- Botticellian
- ベストアンサー率46% (15/32)
予想通り回答がないようなのでコメントいたします。 別に訳してもよいのですが、その前にいくつか述べておきます。 最近ドイツ語の質問でも同じような意見があったのですが、上手く訳せないなら自分の訳を書いてコメントしてもらうのではいけないのでしょうか? きれいな訳かどうかは見てみない限りは誰一人分りませんし。 あとよく出てくる意見ですがOKWebは宿題回答サイトでないとのコメントが見られるのと同様プライベートな翻訳サイトでもないように思います。 それが一文や二文ならいいですが、これはちょっと長すぎるようでプライベートな翻訳依頼と取られても致し方ないかもしれません。 と言うわけであなたの訳を書いて、意見を求めてはいかがでしょうか? 余談ですが、以前あなたの仏文の質問に回答したことがありますが、何らコメントがなかったので役に立ったかどうか分りませんでした。信用というのは些細なことから左右されることもあるのではないか、というのが私の意見ですがいかが思われますか? 特に狭い世界では特定の人物には回答したくないという風潮は個人的には好ましいとは思いません。
お礼
すいません。 無礼とは思いながらも、急いでいたのでこのようなぶっきらぼうな 質問形式になってしまいました。 これからは、このようなことは控えようと思います。 自分の訳をお礼のところに書こうと思います。 フランス語の文章を訳すのはどうも苦手であまりうまい表現 にはなっていないと思います。 変なところや、ちょっとおかしいところを指摘していただけるとうれしいです。
補足
おそらく1867年に、モンマルトルにはもう既に農場はなかっただろうが、そこにはまだ広場や野原や林は残っていた。それは20年前に私たちがよく知っていたPassyのようだった。何人かの芸術家や、社交界の男たちがそこに住みつき、小さな活発で居心地のよい共和国(集団)を大通りから15分ほどのところに形成していた。親愛なる友達は私たちをそこに引き付けた。父がとても愛していた、Gounod、Degas、 Fromentin…。他の人々はまだあまり知られていなかった(もうすぐ私は思い出すだろう[あとで語ることになるだろう])。結局選ばなければならなかった。私たちはモンマルトルを選んだ。おじいさんたちと両親とGeorges Bizetと結婚していたいとこのHalevyのために、ひとつ、ふたつ、みっつとアパルトメントが探され、同じ建物の中に探し当てられた。そしてある日、本当に悲しい日。彼は家具一式を外に出し、絵と本を梱包し、それらすべてを車に積間泣ければならなかった。かれは、いとしい学校に背を向け新しい町へ旅立たなければならなかった。
お礼
丁寧に回答していただき本当に有難うございました。 最近、あまり自分で省みることなく質問をしてしまっていたことに、反省しています。 これからはもう少し余裕を持って、いろいろ考えてから質問していくつもりです。 回答有難うございました。