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餅とあんこ

柏餅を食べていて疑問に思ったのですが、日本で餅のなかにあんこが入るようになったのはいつ頃ぐらいからなのでしょうか? 時代劇や大河ドラマでの餅は中身がありませんが、甘いこし餡や粒餡が入ったものはいつから登場するのでしょうか?教えてください。

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  • Willyt
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回答No.2

あんこが登場するのは何と日本書紀のようですから、8世紀です。下記に餡の歴史が書かれていますから、これを参照して下さい。ただ、砂糖が一般化したのは明治以降ですからあんこが今のように甘くて美味しいものになってからは100年未満だと思いますよ。

参考URL:
http://www.f-an.co.jp/anko/history.html
hirarno36
質問者

お礼

お礼遅れまして申し訳ありません。 あん、の定義が最初は肉類だっととは。案外(しゃれではありません)歴史が深いのに驚きました。また室町時代には砂糖を使用し甘くなったとのことですので、NO1様の「秀吉が食べたあんこ入りの餅」が美味しかったこともわかりました。 砂糖は貴重だったので一般化して庶民の口に入るまでは明治時代になるのですね。甘さも今より控えめだったのでしょうね。 甘党で庶民の私でも気楽に餡の入った餅を食べることが出来る今の時代に生まれて良かったです。 回答ありがとうございました。

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  • Willyt
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回答No.3

秀吉の頃の甘みは干柿についた白い粉を丹念に集めたものだという話を聞いたことがあります。ことほど左様に甘みというのは超貴重品だったようです。甘みでは水飴があり、これは狂言のブス(毒)という演し物に出て来ますね。 古今東西、水飴や飴、それから蜂蜜を料理の甘みには使わないのが不思議ですね。黒砂糖は8世紀に鑑真が持って来たという記録があるそうですが、真偽のほどは疑わしいですね。砂糖黍からとる砂糖は日本では江戸時代、亨保年間に奄美大島での生産が始まったという記録があります。ですから、秀吉も砂糖は味わわなかったのではないでしょうか。  しかし日本人は和三盆という世界に類例のない砂糖の芸術品を生み出します。日本の職人魂これにありというところでしょうかね。

hirarno36
質問者

お礼

実は昔、大河ドラマでやっていた「毛利元就」を見て、元就は酒を嗜まず、もっぱら餅を好物としていたと描いています。ですが、餅には餡が入っている様子がなかったのも記憶しておりました。 これはひとえに時代差と言うより中央から遠い西国の地だったからではと勝手に解釈している次第です。 秀吉が甘さを求めて柿の甘味を手間暇かけて集めさせているとのお話、興味深く拝見しました。また仰るように蜂蜜はどちらかと言うと西洋のニオイがしますね。砂糖黍の甘味も結構遅い伝わり方で驚いています。 ところで薩摩藩はその点どうだったのでしょうね。案外、中央(京や江戸)より早くに伝わっていたような気がします(憶測ですが・・・)。 砂糖は甜菜からも取れていますし、日本は甘味の種類が多い国なのでしょうか。餅と餡の話題を聞いてきましたが、大変参考になる回答が多く感謝しています。 回答ありがとうございました。

noname#150729
noname#150729
回答No.1

餡の発祥は820年とあります。↓ http://hamad.web.infoseek.co.jp/hass-col/food/OguraAn.htm http://www.n-hanafusa.co.jp/goods/gogatu/004.html なので 結構古くから 餡は用いられていたようです。 秀吉の時代の銘菓にも 餡が入っています。↓ http://www.digistyle-kyoto.com/hyakumikai/hyakumi_54.htm

hirarno36
質問者

お礼

お礼遅れまして申し訳ございません。 820年ですか。思っていたより古いので驚きました。空海上人も一役買っていたのですね。小倉粒餡というのを良く聞きますが小豆畑の発祥の地でもあったのですね。京都といえば公家ですのできっと高級和菓子だったのでしょう。 小倉の和三郎と同じ京都の長五郎餅、時代を超えて京の高級お菓子として珍重されていたのが良く分かりました。 回答ありがとうございました。

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