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歴史認識と形而上の認識について
過去としての歴史を我々がとらえるとき、歴史という「観念」の把握という点で、歴史認識=形而上的なものの認識となるという考え方ができるのではないかと考えているのですが。 意見していただきたいので宜しくお願いいたします。
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歴史とは現代と過去の対話であるとするカーの本が岩波新書にありますので、ご一読をお奨めいたします。 歴史認識は別に形而上的なものではないと思います。カーと同じことを、マルクスは「意識が存在を規定するのではなく、存在が意識を規定するのだ」という言い方で表現しました。要は、人間の発想法など、生れ落ちた時代・環境・階級・社会情勢などで、大きく規定されてしまうものだというわけです。
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- shift-2007
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回答No.1
歴史=観念 ここの部分はどうでしょう。 過去に起こった事実を『観念』とは呼ばないと思います。 過去の事実が観念なら、昔付き合っていた彼女が形而上的な存在になってしまうんじゃないでしょうか。
質問者
お礼
どうも妙な考えだったようです。 意見ありがとうございます。
お礼
是非読んでみます。 ありがとうございました。