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「誤解」という言葉の使い方

ある特殊法人が間違った税金の使い方をしたため、幹部数人が並んでお辞儀をして謝る場面をテレビで見ました。 このとき「今後こういう『誤解』を招くようなことは、一切致しません。」とのお詫びの発言がありました。 「誤解」という言葉の使い方は、これで合っているんでしょうか。 間違った行為をしながら、「誤解を招いた」というのは、おかしいような気がします。 しかし、いつも辛口のテレビコメンテーターも、変だとは指摘しません。 そして、このような「誤解」という言葉の使い方については、過去にも同様の謝罪会見で、何回か耳にたことがあります。 やっぱり、「誤解」という言葉の使い方は、これでいいのでしょうか。

noname#56773
noname#56773

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  • neko_noko
  • ベストアンサー率45% (146/319)
回答No.3

その特殊法人がどんなことをしたのかにもよりますが、 「間違った行為をした」のならば、「誤解を招いた」という言い方は間違っています。 ただ、お役所が行う謝罪というのは「間違った行為」に対して謝罪をしている場合は少なく、 「社会問題になったこと」に対して謝っている場合が多いです。 謝罪の言葉も、「間違った行為をして申し訳ありません」という言い方より、 「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」という言い方が圧倒的に多いですね。 つまり、「間違った行為をした」のではなく、「間違ったと『思われる行為』をした」という認識です。 これは「自分たちは間違ったことをしたつもりはいないが、間違ったと思われる(誤解される)行為をして、 それが社会問題になり、(結果的に)国民に迷惑をかけてしまった」という考えになります。 こう言えば、本来処罰されるべきである間違った行為そのものに対しては、責任が問われないことになります。 そして、「国民に迷惑をかけたこと」という事に対してのみ責任を取って、幹部などの座を退く、 これで処罰は免れることができます。 特に、その行為が刑事罰の対象になるような場合、そこは徹底的に隠し通して、 マスコミや世論の責めを回避するために、その行為に対して責任をとったように見せかけて 事をうやむやにして終わらせようとしているのです。 >しかし、いつも辛口のテレビコメンテーターも、変だとは指摘しません。 確かにこれもおかしいですね。 本来、責任を取るというのは、その行為の詳細や原因を明らかにし、 二度とこのような「行為」がおきないように、対策を講じるのが本来あるべき姿です。 やめるかどうか、処罰されるかどうかなどはその後の話です。 しかし、日本ではこのようなことをしても評価されず、自ら退くのが善いとされています。 少なくとも政治やビジネスの場ではこのようなことはよろしくないですね。

noname#56773
質問者

お礼

わかりやすく詳しくご説明いただきましてありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

> 「間違った税金の使い方をしたのは事実である」という前提で、 > 「誤解」という言葉使い方が正しいかどうか、ご回答いただけれ > ばと思います。 誤解でないのならば、誤解と言うことがおかしいという点について国語的には議論の余地はありません。 ただ現実問題として、誤解でないことは十分承知の上で、敢えて「誤解だ」と言う場合があるのは、monoshirazさんもご存知だろうと思いますが、いかがでしょうか。 ではなぜ、誤解ではないのに誤解と言うのか‥? その辺の議論は、国語と言うよりは、むしろ心理学のカテゴリでご質問なさるべきだと思います。

noname#56773
質問者

お礼

二度もご回答いただき恐縮至極に存じます。

回答No.5

> やっぱり、「誤解」という言葉の使い方は、これでいいのでしょうか。 当該法人において誤解であると主張する以上、誤解と言うのは当然です。 問題は「間違った税金の使い方」という指摘が事実であるかどうかですが、それについては、国語のカテゴリの議論に馴染まないと思います。

noname#56773
質問者

お礼

ご指摘の通り「間違った税金の使い方をしたのは事実かどうか」を論議するのはこのカテゴリーに馴染みません。 「間違ったことをした」と言って謝っていますので、「間違った税金の使い方をしたのは事実である」という前提で、「誤解」という言葉使い方が正しいかどうか、ご回答いただければと思います。 ありがとうございました。

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.4

いわゆる「お役所言葉」です。世間一般的な意味とは異なった使い方が珍しくありません。だれも責任を取りたくないという発想の裏返しからくる「はぐらかし・のらりくらりの表現」です。全員がそうとは言えませんが、仕方なく謝っているといってもいいと思います。 「善処します」「遺憾です」など、同じような使われ方の表現は多々あります。 もっと問題意識の高い義憤にかられたような政治家を選挙で選び、そうでない人には投票しないといった行動を国民ひとりひとりがとっていくことが必要かと思います。

noname#56773
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • sasami333
  • ベストアンサー率40% (138/341)
回答No.2

たしかに、誤解を招いたという場合は、当事者以外、第三者が間違って解釈したと取られますよね。 その特殊法人は正しいことをしたのに、第三者が間違って捉えてしまうような使い方をしたと・・・ これでは100%の謝罪ではなく、責任転嫁のような感じですね。 こういう言葉を使っている間は、自分たちは悪くないと主張しているようなもの。 そういった細かいニュアンスを視聴者は捉えられず、頭を下げていれば謝罪していると勘違いをしがちです。 なんか都合のいい言葉ですよね、誤解って・・・

noname#56773
質問者

お礼

>なんか都合のいい言葉ですよね、誤解って・・・ 連中は謝っているフリをしているだけのような気がします。 ありがとうございました。

  • falao
  • ベストアンサー率15% (30/194)
回答No.1

特にお役人は素直に謝ることが嫌いなようです。 せめて「誤解を与えたことに対して謝罪します。」と言って貰いたいです。

noname#56773
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。

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