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みなさんの思う美しい日本語の表現

sunoiseの回答

  • sunoise
  • ベストアンサー率33% (12/36)
回答No.4

日本語は絶えず変化しています。 カタカナという外来語を吸収しやすい文字をもっているため、新しい言葉が日々生まれつづけています。 僕が特に美しいと思うのはさ行変格活用以外の動詞があたらしく生まれるときが美しいと思います。 例えば ゆとらない、ゆとった、ゆとる、ゆとるとき、ゆとれば、ゆとっとれ(ゆとってろ←サ変と混じっていると思われる)、ゆとろう など 漢字からひらがなを作ったように、新しい文化をまろやかに噛み砕く日本語の特質、美しさが現れていると思います。 ただし、新造動詞については五段活用になるようで、下二段活用の新造動詞とかあったら知りたいですね。 また、若い女性が格式ばった言葉を避けて簡略化した言葉を発達させるのも面白い。 例えば平安時代に日記がひらがなで書かれたように、今の若い女性も絵文字や独特の言い回しを次々に生み出しています。 日本は韻文が歴史的に浸透していない国だったにもかかわらず、ヒップホップアーティストが日本語を用いた押韻の技術を急速に発展させています。 しかし、日本語にはひらがな、カタカナ、漢字と二種類の表音文字と、一種類の表意文字があるため、それらを吸収しきる事ができる。 例えば、ドイツでは若者のドイツ語離れが深刻化し、町では英語が普通に通じるようになっているそうです。 それに比べて、日本では、日本語がいやだから別の言語を喋る人はまずいません。 これは、言語の中でも難しい部類にはいる日本語を使う国民としては誇れる事実です。 「かなり」を「メガ」と言い換えるなど、副詞表現にメートル法を取り入れる手法や、「ウマス」「バカス」のように全く新しい終止形を今ここに来て提唱して、それが受け入れられる。 日本語って素晴らしい!

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