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《絶対》の概念をなぜ日本人は理解したという姿勢を見せないのでしょう?

 一般論です。つまり 一般論として提出することができるほどだという観察があります。  すでに一度 問うたことがあります。   Q:《絶対》の概念を日本人は理解していないのですか    http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3061598.html  たとえば 仏教では 人間を初めとして有情には 仏性があると言います。例外がなければ この事態は 絶対なのではないですか。  八百万の神々は 絶対でしょうか。そうでないでしょうか。あるいは わざと あいまいにしておくのでしょうか。もしそうだとすれば それは なぜでしょう?   曖昧にするということは 絶対と相対との区別を知らないわけではない。知っていて 最後の結論を言わないという事態であるはづです。    司馬遼太郎が 短い文章として 《絶対》の概念と日本人という主題で語っています。参考にどうぞ。   http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/S/sibaryotaro.html (第一段落の《(開高健への弔辞)》のみで いいと思います)。  このように効用もあるはづですが もし理解したという姿勢を見せないのだとすれば それは なぜでしょう? おしえてください。

noname#80116
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  • pojipoji
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回答No.29

「鬼頭秀一氏は、ちゃんと『自然保護を問いなおす』(ちくま新書1996)のP21でちゃんとこう指摘してくれている。  「ただし、ツイアビの演説はサモア人の普通の話し方とは異なるし、サモアの演説の形式も踏んでいないことから、文化人類学者の間では疑問視されてきた。そして、最近これが偽者であることはほぼ明らかになっている」 」 「そう、鬼頭氏が指摘するように文化人類学者の間では、パパラギが偽者であることは常識だったのだ。パパラギ・ブームもあいまって日本のサイトには、こうした写真が掲載されているのだが、「ツイアビ」という人物も存在しない。ツイアビとはただ「酋長」を意味する言葉にすぎず、ツイアビの本名はアガエセ(Agaese)といった。そして、実際のアガエセは、反文明思想とはほど遠い人物で、当時サモアにいたドイツ軍の軍属でキリスト教徒ですらあった。加えて、アガエセは、ヨーロッパを一度も訪れたこともなければ、仲間のサモア島民にスピーチもしていないのだ。このことは、実証もされている。オーストラリアのシドニーのニューサウス・ウェールズ大学のグラント・マッコール(Grant McCall)教授が、サモア島民にパパラギの内容を講義してみたところ、サモアの人々は、その内容に首をかしげるばかりだったのである。」 「では、パパラギを書いたのは誰なのか。そもそもパパラギが誕生したサモアがどのような地なのかその背景から探ってみよう。」 「サモアは、ニュージーランドの北2,300km、ハワイの南3,700kmの南太平洋上に位置しする。東はクック諸島、南はトンガ、そして北にはトケラウ諸島が連なる。海峡を挟んで18km離れたサバイイ島とウポル島の2つ島を中心とした群島だが、全部合わせてもその広さ2,935平方キロで鳥取県ほどでしかない。人口も9割以上がポリネシア系のサモア人で、残りは、サモア人とヨーロッパ人の混血である。」 「農業と沿岸漁業中心で、タロイモなどが生産されているが、その80%以上が自給用である。宗教は、キリスト教がほぼ100%である。」 「さて、サモア諸島には、紀元前1000年から人々が定住し始めていた。だが、西洋史に登場するのは、1722年にオランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが「発見」してからである。その後、1768年にフランスの探検家ルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルが訪れ、「イール・デ・ナビガトゥール(船乗りの島々)」と名付けている。1828年には、メソジスト派宣教師上陸、その後、各派宣教師が上陸し布教活動が活発化していく。そして、1850年以後は、商売を目的とした移住も増えた。」 「1839年には米国のウィルケスがサモアの部族と通商協定を結び、1878年には米国は海軍の石炭供給所確保のため、東サモアのパゴパゴを併合した。イギリスもサモアに通商の拠点を置き、捕鯨船の補給港として栄えた。」 「ここで、ドイツが登場する。植民地政策で他の列強に大きく後れをとったドイツは、その隙間を埋めるかのように、アフリカや南洋諸島に進出し、植民地を建設していく。1857年、ハンブルクのゴーデフフロイ商会が南洋事業の拠点をサモアに置き、南洋各地の商人と取引を始めたことから、イギリスや米国と権益が衝突する。」 「1888年にサモアの2部族間で起こった争いに米、英、ドイツが介入したことから、混乱が広まる。事態収拾のため、翌年ベルリンでドイツ・アメリカ・イギリスが協議し、サモアでの3国の権益に制限が設けられ、形だけは住民自治が認められた。だが、部族たちは押しつけられた自治を認めず、パパラギの謀略も手伝って、再び1899年に内乱が発生。この混乱に乗じた米国は、イギリスと同盟を結び、ドイツが本拠地としていたウポル島のアピア(Apia)を攻撃した。」 「事態収拾のための協議が再び1899年12月にワシントンで行われ、ドイツは西サモアを、米国は東サモアを、そして、イギリスはサモア諸島から退く代わりにトンガ諸島とソロモン諸島を分割統治することで折り合いがついた。」 「こうしてドイツはニウエ、トンガ、ソロモン諸島から撤退し、ドイツ人知事が西サモアを統治することになる。当然のことながら、これに反対する住民運動も活発化した。」 「さて、アガエセの演説をドイツ語に翻訳したというエーリッヒ・ショイルマン (Erich Scheurmann)は1878年にハンブルグで生まれ、画家、作家、童話作家、人形使い、教師と様々な面を持つ人物だった。19歳のときには全ドイツを放浪し、1903年からは、ボーデン湖畔で暮らしていた。このショイルマンが、サモアや南洋のドイツの植民地を訪れたのは、1914年のことだった。だが、1914年8月、第一次世界大戦が勃発すると、同月に早くもニュージーランド軍がイギリス軍、フランス軍、オーストラリア軍の援護を受けてドイツ領のサモアに侵攻。ドイツはサモアを失い、1919年からはニュージーランドの委任統治領となっている。」 「ショイルマンも第一次世界大戦が起きると抑留された。パパラギを書いたのは、まさにショイルマンである。つまり、自分の思想を売り込むために、ツィアビが語ったことにしたのである。しかも、ショイルマンの思想もオリジナルなものではない。パパラギの基調をなす思想は、同じくドイツ人であり、アフリカや南洋諸島を調査していたハンス・パッシェ(Hans Paasche)の「pacifistic Tolstojan」に基づいている。しかも、ショイルマン本人は、植民地主義を正当なものと考え、後には、ナチのための宣伝文さえ書くような人物だった。」 「ショイルマンは、1918年の戦争終結の直前にドイツに帰国し、1930年からはアルムスフィード(Armsfeld)で暮らし、1957年に79歳で死んだ。」 「南の理想郷は、まさに第一次大戦の厭戦気分にかられたショイルマンの空想のものだったといってよい。」 「ショイルマンが自ら吐露したように「パパラギ」は嘘つきなのである。西サモアが独立したのはその後の1962年で、東サモアは事実上、今も米国の統治下にある。パパラギの中に描かれた理想郷とはほど遠い。だが、スロー・ライフ・ブームに乗って、「へぇー、やっぱり伝統的な民族の文明批判力にはすごいものがあるよなー」とその嘘にだまされてしまっている日本の若者たちは、サモアの人々よりもさらに不幸としか言いようがない。」 http://pub.ne.jp/cubaorganic/?entry_id=293974より引用 「Actions speak louder than words.(人はことばより行ないで判断される)」 http://www.mock-examination.com/mosi_kotowaza.htmlより引用

noname#80116
質問者

補足

 そうですか。パパラギがそういう作り話だったとは知りませんでした。ていねいに貴重な資料をおしえてくださって ありがというございます。お礼申し上げます。  いちおう 正確を期して 細かい点をも添えたいと思います。 ・鬼頭秀一の著書について まだわかりませんが それを紹介するこの《嘘付きパパラギ》の文章にかんして 作り話であることを 決定的に論証しているとは言い切れないうらみがあります。 ・つまり 本人であるアガエセから ショイルマンが聞いた話という要素は まったくないのかどうかです。それに基づいていると言われる《ハンス・パッシェ(Hans Paasche)の「pacifistic Tolstojan」》では どうなのかです。 ・わたしが このパパラギをここで引用したのは 文明批判そのものの問題ではなく 全体として ひとつの・《絶対》なる概念の受容の仕方を示していると思われたからです。ましてや 《南の理想郷》うんぬんというのは まったく 別の問題です。 ・《絶対》に相い対するとき そのようなたぐいの受け留め方もしくは受け容れ方を ニホン人も していて ちっともおかしくない。あるいは さらに別の対応もありうる。こう言いたいためでした。その点は まだ有効だと思います。   (いやいや ちゃんと別の対応をしているではないかというとき それに対しては いまの概念を あくまで概念としては受け取ったということまでは はっきりと触れて 明らかにしていることが 望まれます)。 ・サモア人の話しではなく ひとりのドイツ人の受容の仕方であるのなら まったく話しがちがってくるのですが それでも われわれニホン人は われわれなりにその欧米の文明を受容してきているのですから けっして 問題のあり方が 消えてしまうとは考えられません。 ・《「Actions speak louder than words.(人はことばより行ないで判断される)」》というとき 過去のおこないを 何の留保条件もつけずに そのまま持ち出すのは 考えものだと思います。つまり 極端にいえば あたかもニホン人は いまも 過去と同じだから かれらを拉致してきても 行ないで判断したのだという言い訳を聞かされるような感じが うっすら してきます。 ・問題は 概念を受容することであって そのあと じつは必然的に伴なわれる《信仰》についても それは 有と無との選択があるのですから 何ら問題はないはづです。という質問趣旨なのですが。ですから わざわざパパラギを出してしまいましたが 大航海時代以降の西欧・米のおこないの歴史と 直接の関係はないとお伝えするべきでした。 

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noname#78143
noname#78143
回答No.2

議論が苦手なんでしょう。国民性じゃないかしら?

noname#80116
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ただ ここでも 議論は華やかなほどだと思うのですが どうなのでしょう?  理解したという姿勢を示さないのが 国民性であったとしても 議論はするわけですから そのときには とうぜん 絶対ということばを使ったりすると思うのですが どうでしょう?

回答No.1

人間には仏性が在ります。悩んでいるときは、分かりやすいかもしれません。普通に暮らしているときにも分かります。それがそうさせているからです。在っても感じ難いものですが。無いと思っているのは勘違いです。それは「絶対の真理」です。 ですが、日本人は自分の考えを他人に押し付ける事はしません。私も貴方に、その事を、分かって欲しいとは思いません。気が付く時には気が付くかも知れない、と思うからです。人は自分の経験した事しか信じないように出来ています。自分の経験を、他人にしても、本当は信じていません。 お釈迦様の「悟りの世界」をどんなに本の中で読んだとしても、それを体験しないと、本当の事は、理解出来ません。ですがその事を体験すれば「絶対の安心」「絶対の心の自由」というものが手に入ります。その時は、仏性なるものが分かります。誰でもが、それのお蔭で生きているからです。

noname#80116
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ただ 《絶対》であるならば 誰もに共通のそういう想定ですから 人が人に対して 分かってもらうとか ましてや 信じてもらうという事柄とは 別のように思われるのですが。  つまり 数学の公理のようなものですから ただ その言葉を 表現の中に用いあって 意思疎通をはかるという性質のことだと思うのですが いかがでしょう。

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  • 日本人は・・・

     小説家の文章をふたつかかげます。  これらにわれわれが寄ってたかってツッコミを入れることをとおして 日本人論の深みを互いに問い求めることが出来れば さいわいです。  自由にご見解を述べてください。例によって質問者は自由に(つまり 互いに対等の立ち場で) 批判をも交じえて コメントを書き込みます。むろんそれに対して反論してください。  なお 次の遠藤周作における《黄色い人》は 特には われわれ日本人を指して言っているはずです。  ▲ (遠藤周作:黄色い人) ~~~~~~~~  神さまは宇宙にひとりでいられるのがとても淋しくなられたので人間を創ろうとお考えになりました。そこでパン粉を自分のお姿にかたどってこねられ竈(かまど)で焼かれました。  あまり待ちどおしいので 五分もたたぬうちに竈をおあけになりました。もちろんできあがったのは まだ生やけの真白な人間です。《仕方がない。わしはこれを白人とよぶことにしよう》と神さまはつぶやかれました。  こんどは失敗にこりて うんと時間をかけることになさいました。すこしウトウトとされているうち こげくさい臭いがします。あわてて蓋をおあけになると 真黒に焼けすぎた人間ができているではありませんか。《しまった。でも これは黒人とすることにしよう》。  最後に神さまはいい加減なところで竈をひらかれました。黄色くやけた人間が作られていました。《なにごとも中庸がよろしい》。神さまはうなずかれました。《これを黄色人とよぼう》。(童話より)    我 汝の業を知れり。即ち汝は冷ややかなるにも非らず 熱きにも非   らざるなり。寧(むし)ろ冷ややかに 或いは 熱くあらばや。然(しか)   れども汝は 冷ややかにも熱くも非ずして温(ぬる)きがゆえに 我は   汝を口より吐き出さんとす。(黙示録)    (遠藤周作:『黄色い人』 冒頭)  ▼ (司馬遼太郎:《絶対》なる概念と日本人)~~~~~  http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/S/sibaryotaro.html   近代以後の日本の文学者が、西洋の小説を読み、読みおえてから小説を書きはじめたことは、いうまでもありません。  ただ日本には「絶対」という思想、慣習、あるいは日常の気分がなかったということが、決定的に不利でありました。  日本に存在しつづけてきたのは、すみずみまで相対的世界でした。  神道、山々や谷々の神々、あるいは仏教という相対的世界を最初から是認した思想。  山々や谷々の神々が神遊びをするように、神遊びとしての日本特有の私小説がうまれても、絶対という大うそを、つまり絶対という「神」---これは聖書の「神」のことですが---という思想、又は文学的思考----大文字のGodと同じ次元での大文字のFiction---を中心にすえるという習慣は、日本においてはカケラもありませんでした。  いうまでもありませんが、"あの部分はフィクションです〃という意味の虚構ではありません。神が絶対なる、ごとく、同じ意味における絶対の虚構のことであります。  むろん、絶対などは、この世にありはしません。宇宙にも、科学の中にも、存在しないのです。  しかしある、と西洋人は、千数百年をかけて自分に言いきかせつづけました。  絶対、大宇宙の神は存在する、うそではない、ということを、哲学として、神学として、論理をきわめ、修辞をきわめ、思弁のかぎりをつくして説きに説きつづけてきたのです。  ヨーロッパの荘厳さというべきものであります。  (開高健への弔辞)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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