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キリスト教と目的合理性

「日本人のための宗教原論」小室直樹(著) 現在拝読中で理解力が乏しいためわかりかねる部分がありどなたか お教え願えますでしょうか 「魔術から秘蹟にいたる宗教における不合理性の根絶が伝統主義の一掃と目的合理性の確立を生んだ」 とあるのですがキリスト教における合理性、目的合理性とはどのような事なのでしょうか? お手数をおかけいたしますがなにとぞよろしくお願いいたします

みんなの回答

  • mapato
  • ベストアンサー率69% (493/705)
回答No.2

こんにちは。 私もその本を読んでいないので的確であるかどうかわかりませんが、その文章が言いたい「合理性」とは要は「価値観の統一」ということではないかと思います。 一神教以前の多神教世界では価値観というものは雑多です。 現代日本の状況を考えて頂いてもおわかりになるかと思いますが、例えば人が亡くなった時に弔う方法一つにしてみましても「仏式」が主とは言え「神式」「キリスト教式」「無宗教式」その他色々なやり方があり、どれか一つが正しかったりどれかに優位性があるということはありませんよね。 それが一神教の世界では唯一無二の神があまねく世界を創造したことになっていますから、雑多な価値観が入り込む余地が無いのです。 そうは言いましてもご存知の通りユダヤ・キリスト・イスラムのどの一神教にしても流れがいくつもあり、決して唯一無二の価値観で統一されているとは言い難い訳ですが、それにしても多神教の世界に比べれば根幹を一つにしている分ずっと合理的であるとも言えますし、時代が遡れば遡るほどその価値観の差異も小さなものとなる訳です。 一神教がここまで世界中に広がったのはその構造が明瞭であることも大きいのではないかと思います。 祈りを捧げる対象が一つであるというのはこんなにわかり易いことは無い訳です。 例えば神道の世界であれば「病気を治したい」と祈りたい場合、こちらで聞けばあそこが良い、あちらで聞けばあそこが良いと聞く人によって答えが違うようなことがあって「結局何を信じたら良いのだろう」などということにもなり得る訳ですが、統一された価値観があれば少なくともそのようなことに悩むことは無くなりますよね。 まあ、キリスト教の場合はその対象が父なる「神」なのか子なる「キリスト」なのかそういった大きな問題がある訳ですが、やや強引ながらも「三位一体」といったような解釈によってその問題も不完全ながら克服可能な訳ですし、「唯一」で無いにしても構造とすれば多神教よりずっとシンプルと言えるのです。 勿論「合理的」な裏には沢山の弊害もあって、価値観の幅が狭い訳ですからそれらは非常に排他的で他の世界の価値観を認めないというところがある訳です。 その為に「神の名のもとに」破壊を行うことが正当化されるようなこともありますし、異なる価値観を徹底的に排除するようなことも起きてきます。 ですから当然単純に「良い方向」への流れと言うことも出来ない訳ですが、少なくとも一神教の世界ではそう考えますし、確かに「合理的」と言われればそういう面もあるということは言えるかと思います。 そのようなことを言いたいのではないかと考えましたが如何でしょうか。 まったく見当外れでしたらすみません。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.1

読んでないので関係の無い解答かも知れませんが、 教科書を見る限りでは千年王国ローマの乗っ取りのせいでしょうか。 世間に認めてもらえなければ、宗教その物が世間になれば良い。 至極合理的なことです。 多様な世界ではなく、己の宗教が世界になれば良い。 この思考は聖人君主のものではなく、 汚れし覇者の思考ですね。 後は、ローマ帝国以降の時代の覇者を見れば分かるのでは?

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