先生は、相手によって説明を変えるべきではないか?(長文)
高校の数学教員です。
私がいうのも変ですが、教員って、
決まりきった説明を繰り返す人が多い気がしませんか?
私は昔、繰り下がりが理解できなくて苦労しました。
「隣の位から借りてくる」という言葉が、その原因でした。
「借りたものは、返さないといけないんじゃないの?」
今となっては笑い話です。
ですが、何度先生に質問しても「だから隣から借りてきて…」と、
マニュアルを繰り返すような説明を受けただけでした。
『借りてくる』という言い回しさえしなければ、
タイルやおはじきで数値を視覚化してくれれば、きっと分かったでしょうが、
そういうことをせず、先生は同じ説明を繰り返すだけでした。
子供心に「この人、説明下手だ。他の言い方を知らないんだ」
と思ったことを覚えています。
小学生に限らず、生徒は我々の想像もしない所で引っかかります。
●使われている用語が引っかかっていた。(昔の私のように)
●その分野の、全体的なストーリーを誤解していた。
●先生が当然だと思って略した前提知識を、たまたま知らなかった。
これらはランダムに発生し、学力とは関係がありません。
ですが私の知る限り、生徒の引っかかっている箇所を突き止め、
相手に応じて説明を変えようとされる先生は、ほとんどいません。
誰もがすでに「完成された説明」をもっていて、
それを理解しない生徒を「勉強不足だ」と叱るように思います。
この間も、生徒と社会科の話をしていると、
日付変更線の計算をできない生徒がいました。詳しく聞くと
●NYやパリなど主要都市との時差の公式は習うが。
一般的な時差の計算方法は、詳しく教わらない。
質問しても「だからパリの場合は…」と、都市を限定される。
●先生は「日付変更線を超えると、一日ずらして…」としか言わない。
日付が変わる理屈はまったく説明されないので、ずらす必要性が分からない
●でも、できないと怒られる。
そこで、時差の仕組みと計算の意味を教えると、大変感謝されました。
後で社会科の先生に聞いたところ、
「ずっとこうして教えてきた」
「そんなことで困っているとは、思わなかった」
「他の教え方があるなんて、想像したこともない」
いや、だって廊下で生徒が大声で「全然分からない」って言ってるじゃないですか…
私はそれとは反対で、わりと頻繁に
「分かった?え、分からない?」「うーん、これでは通じないのか」
「じゃあ別の説明は…」などと口にします。
しかし同じような先生を、(他の学校でも)ほとんど見ません。
時間がキツいからできない、などの理由ではなく、
そもそもこういうことに関心がないようです。
それが教師にとって、当たり前なのでしょうか?私の言うことは、甘いのでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
お礼
・・・。その質問の回答になってなぃです・・。