祇園精舎はインドの祇園精舎だとする理由を知りたい。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり・・・
有名な平家物語の書き出しですが
子供のころは祇園精舎って京都の祗園にある寺のことだと思っていました。
授業でインドの寺のことだときいて「へえ~」と思ったものです。
でも最近になって調べてみたら、京都祗園に祗園寺という精舎があったらしいことがわかりました。
http://www.geocities.jp/shinsyaji/03/2003_02/317_gion.html
によれば
スダッタ長者が大金を投じて買い求め、釈尊とその教団のために僧院を建立した。この僧院が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)。
祇園精舎は、竹林精舎と共に二大精舎と呼ばれ、その後の教団発展の根拠となった所。
日本では、藤原基経(ふじわらもとつね:836~891)が京都の東山に移して牛頭(ごず)天王を祀る感応院を建て、祇園精舎にならって祇園寺と名付けた。その門前町が祇園。祇園寺は、のち八坂神社と改称した』
とあります。
これを読んで祇園精舎ってやっぱり京都祗園にあった祗園寺のことなんじゃないかなあ、と思いました。
平家の邸宅が建ち並んでいた六波羅蜜寺付近にも近く、
平家滅亡のとき自ら火をつけて焼け野原となっていたところへ
訪れた作者が感慨にふけり、その心情を書いたのではないかと思いました。
それは私の勝手な考えですが
なぜ平家物語の祇園精舎は京都祗園ではなくインドの祇園精舎のことだとされているのでしょうか。
その理由を知りたいです。
お礼
早速教えていただき、ありがとうございます。