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男性でも感じてるフリってしますか?
20歳・女です。前戯のとき彼氏に腰舐めてみて?とか乳首触ってみて?って言われてそうしてあげるとそれだけで息遣いが荒くなってきたり「気持ちいい」って言うんですけど、本当にそれだけでそんなに感じてるんですか??あと服の上からあそこをゆっくり撫でてるだけのときとか。例えば私が同じことされると、彼氏にそうされてるって思うことで興奮したりちょっとぞくぞくってするけどその程度なのでちょっと不思議です。。 それと、そこから派生したもう一つに疑問が「男性でも感じてるフリをするのか?」です。よく女性は感じてなくても声出したりしちゃうって言いますよね。私の場合は気持ちいいからってわけじゃないけど愛おしさでかすかに声を出しちゃったりするんですけど。男の人はそのへんがどうなのか教えて下さい!
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男性だから、ペニス以外は感じないというのは、経験の少ない女性にありがちな勘違いです。男性ですら、自分の性感帯の大きさに気がついていない場合もあるぐらいですから、無理もありません 男性だって性器以外の性感帯が、全身にあります。例をあげれば、耳、唇、うなじ、乳首、脇、背筋、腰(わき腹)、手指、でん部、内モモ、アヌス(肛門)、ひざ、ひざ裏、ふくらはぎ、足裏、足指と、好みと程度の差こそあれ、およそ全身が感じるといって間違いありません。女性と何ら変わらないのです。ただし例えば乳首は女性よりは感度は低いかもしれませんが、快感はあります。一方アヌスへの刺激は、男性の方がより快感が深く、敏感であると思われます それ以外にも足指を一本ずつしゃぶられる快感は驚愕ものですし、一見鈍そうな背中やでん部、わき腹から腰にかけてのあたりを、触れるか触れないかの力で撫でたり、舌を這わされれば、実際は悶絶するほどの気持ちよさです。彼氏さんの要望は全く見当違いではありません。確かに性器以外の刺激で射精まで導くことは出来ませんが、そうした全身の刺激が男性の快感と興奮を高めることは間違い無いのです ただし、実際に感じているよりも、少し大げさに感じたフリをするということは、男性だって当然あります。しかしそれは演技というよりも、意思表示の一種と考えるべきです。自分の気持ちよさをハッキリ相手に示すことで、自分のより気持ちよい部位の確認、声を出すことによるお互いの興奮度アップ、そして何より大切なパートナーへの感謝の気持ちを伝えているのです。よく何をしてもあまり反応しないパートナーを「まぐろ」などと揶揄しますが、まぐろが嫌われるのは正にこうした理由からなのです セックスで大げさな声や態度でお互いに積極的なコミュニケーションをとることは、けっして恥ずかしいことではありません。むしろよりよい満足とより深い愛情でつながるための、重要な要素とお考えください あなたのパートナーさんは性に対しても明るく積極的な性格の方のようです。ぜひあなたも彼に負けずにどんどん気持ちを伝えて、お互いにステキな関係を維持していただければと思います
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そうですネ、こちら(男性側)から「こうしてみて…」と、女性に頼んでしてもらった行為に対しては、「ありがとう」の意味を込めて、気持ち良さを表す態度をとることがありますネ。 “フリ”とは少々意味合いが違うかも知れません。 やはり…、貴女が仰る「愛おしさ」でしょうね。 これが慣れ合いや、マンネリ化してきて二人のコミュニケーションが薄れてくると、どちらか一方の快楽を充たすだけの行為になり下がってしまいます。 セックスはどちらかというと、男性の性欲処理に有利(という表現はオカシイかナ)にできています。 お二人がそれぞれに感じる相手への「愛おしさ」を大切に、充実した気持ちいいセックスをして下さい。
- Kiriyama-taicho
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>男性でも感じてるフリをするのか? これはします。その辺の感覚って女性と同じだと思います。 実際の性感より彼女のへの愛おしさからそうするということです。 それから他の方も書かれているように男もカラダのあちこちに性感帯が あるし、開発すればより感じやすくなるのは女性と同じです。 某巨大掲示板には男性が乳首の性感開発を議論するスレがあるほどです。
- handsome47
- ベストアンサー率27% (10/36)
質問者さんは、性感帯が男性の場合は、女性にくれべて一極集中型 であることは存じ上げているでしょう。 射精してしまえば「腑抜けの殻」になるのが一般的な男性の性癖なの だ。だから射精が男の本命なんであって、他の極めて小さい性感帯に は、かいもく眼中にないと断言できる。 男性と言えども、意中の人にカラダを愛撫されることに無頓着なわけで はないけれども、それを持って「快感」を相手に意思表示しなければな らない必然性には乏しいのである。 なぜなら、究極の「射精」にこそ意識が集中している人間に、それまで の経過を丹念に応えなければならない必要が見出されないからである。 だいたい若いうちの性行為は「抜く」ことに全精力を傾けるのが男性の 本懐だ。だから他の快感を持って「抜く」ことに替えることは至難の業 なのだ。 その証拠は、「抜く」ことが拒否された場合、大方の男性は相手に激怒 して、その成就を達成させようと「暴力」さえ伴うほどの執着心を示す ことから判断できるだろう。 男が「快感」の官能を要求される場合があるとしたら・・・ 例えば、金銭の授受を伴う性行為を男性が乞われたとしよう。 セレブのご婦人に性の奉仕をする場合である。 さて、その男性は、女性の前戯の見返りとして「快感」を表示する手段 に出るだろうか? 「お金を貰っている立場」だからと言って、彼はご婦人に媚を売るため に「快感」の声を挙げることで、それに応えようとするだろうか? もちろん、それを要求するご婦人も皆無ではないだろう。 しかし、それを知った男性は、もう、この「おんな」と体を合わせるこ とを「金銭」に換えてまで実行しようとは思わないだろう。 あなたの彼のような「感じた振り」を表示して何がしかの効果があると 考えるとしたら、その目的はただひとつである。 あなたの前戯を「高く評価して」あなたを「その気にさせる」誘いの テクニックをする「狡猾」な手段を弄しているということだ。 これは何も、彼が「狡猾」な人間であることを意味しない。 自分の「射精」をある程度まで我慢してでも、相手とのコミュニケーシ ョンをとって、究極の「射精」を達成させようとする「老熟」なるセッ クスの手段を知っていると言う意味である。