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忠臣・忠義の逸話を教えて下さい。

87'大河ドラマの『独眼竜政宗』を見ていたら、伊達政宗の腹心の片倉小十郎(景綱)が「政宗の失明した右目をえぐった」「政宗より先に子が産まれたのでその子を殺そうとした」「五万石で引き抜くという秀吉の勧誘を断った」などのなかなかにインパクトの強い逸話が出てきました。 それで興味を抱いたのですが、この二人のほかの主君・家臣の信頼関係や忠義の逸話で『これはすごいよ!』というのをご存じの方がいらっしゃったらぜひ教えて下さい。 時代は特に戦国時代に限りません。逸話の信憑性もあまり問いませんので、よろしくお願いします。

みんなの回答

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

やっぱり幕末の会津藩ですかねー。(保科家として)初代藩主保科正之の教えを守りどこまでも徳川幕府に忠義を貫き白虎隊の悲劇まで生んだ上に明治維新で新政府にたてついたために予算を回してもらえず戦後になるまで貧しいままを強いられた辺り涙なしには語れません。

  • AUGQX-MAN
  • ベストアンサー率28% (39/139)
回答No.2

徳川家康の忠臣・鳥居元忠の話は涙なしでは語れません。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/retuden/retu00118.htm 鳥居関連で、鳥居強右衛門の話も良いですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E5%BC%B7%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80

  • john_john
  • ベストアンサー率30% (75/245)
回答No.1

こんばんは。 「忠臣蔵」は有名だから他の方も書くと思うので、 徳川家光の乳母春日局は如何でしょう。 家光が病に倒れた時、局は 「家光様のお命をお助け下さるなら、私は一生薬を飲みません」 と祈願し、実際にこの願を一生忠実に守ったそうです。 そうそう、赤穂藩浪士には含まれませんが、 浪士達に武器を提供した天野屋利兵衛の逸話も壮絶です。 商人が武器を注文→逮捕→拷問。 背中を切り裂いてそこに溶けた鉛を流し込むという拷問を受けても 絶対に口を割らず、討ち入り成功を知り、やっと真実を語り始めました。 その時には、居合わせた奉行所の人々も涙を禁じ得なかったそうです。 利兵衛はその後、無残な拷問の傷跡を人に見せたりしていたようですが、 誰もがおののくほどの傷だったそうです。 また源平合戦の頃の老将斎藤実盛の、 白髪を黒く染めて出陣、討死した話も哀愁を誘うものです。

参考URL:
http://www.minamikaga.com/yoshitsune/yuka_sane.html
qseft
質問者

お礼

春日局> 女性の逸話はほとんど知らなかったので嬉しいです。家光は病弱だったようなのでよりいっそう尽くしたのだと思いますが、それにしても一生薬を飲まないという誓いを実践するなんてまるで母親のようで、忠義と言うよりも愛情を感じる逸話ですね。 天野屋利兵衛> 読むだけでも目に余る凄惨さですね……!文学講義で『仮名手本忠臣蔵』の判官切腹が資料に出たとき、胸に迫りすぎてろくすっぽ授業聞いてなかったんですが、赤穂浪士以外にもこんな逸話があったんですね。 斎藤実盛> Wikiで見たんですが芭蕉の『むざんやな…』という句はこの人がもとだったんですね!こういうのにもかなり弱いです……。老将といえば『独眼竜政宗』の鬼庭左月(良直)の最後も印象的でした。 色んな範囲をカバーした回答&URL貼付ありがとうございました!

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