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芥川龍之介の『MENSURA ZOILI』について
芥川龍之介作『MENSURA ZOILI』という作品についての質問です。 「僕は木下杢太郎君ではないから、何サンチメートル位な割合で(以下省略)」 という文章がありますが、何故木下杢太郎がcmと関係があるのですか?
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Web上の図書館、青空文庫でいま一度読んでみました。 該当箇所、冒頭のところで出てくるんですね。 木下杢太郎は、これまたWeb上の百科事典、ウィキペディアで確認すると、 多彩な活動の一つ、というか、本職は医学博士でしょう。 このことから判断すると、科学者の目をもって物事を正確に記述する心がけ、ということと、 度量衡の基準は英米のヤード・ポンド法などではなく、フランス式のメートル法、ということに落ち着くでしょう。 それがサンチメートル(センチメートル)という言い方にかかわっているのかな、と思いました。 杢太郎に対する(または仲間内に対する)芥川の軽い冗談である、 それ以上でも以下でもあるまいと、とりあえず済ませることができると思います。 ふつう、それで十分でしょう。 ただ、深読みができないわけではない。それを以下、ちょいと書いてみます。 日本におけるメートル法の採用を手元の国語辞典で調べてみると、 大正10年に専用を決定しています。この短編が書かれたのは大正5年。 また、わが国古来の尺貫法は、その後なおしばらくメートル法と併用されつつ昭和34年に廃止されました。 (民間では今もって全廃になっているとは言えません。建物の間取りや農地の規模・収穫など、尺貫法によるほうが実用的であることしばしばだからに違いありません) この短編のテーマの一つは、ものごとの「価値観」です。 すべてのものの価値を数値にして表わす測定器、MENSURA ZOILI 。 ただ一つの価値判断基準だけで物事を解ってしまおうという「文明の利器」です。 ちょうど、尺貫法など他の基準をすべて廃して、メートル法だけで世界の大きさ、重さを決めてしまおうという『思想』のように。 それでいてゾイリア国民は自国内のいっさいの価値については、 この測定器に載せることを肯(がえ)んぜず、 「Vox populi, vox Dei」(民の声は神の声)とばかり、 何も知ろうとはしない、何も知ることができないのです。 いま一度、短編の冒頭へかえってみましょう。 「何サンチメートルくらいな割合で揺れるのかわからない」とは、 そうした、物事の価値を単一に決めてしまうことや、即断して済ませ疑問を想起しないことへの 警告、皮肉、反発、自嘲、するどく理知的な批判がこめられているのかもしれません。 以上、私見です。 「木下杢太郎君」に特にこだわることはないと思います。ご参考まで。
お礼
とても分かりやすい回答でした。しかも社会的なことから文章の説明までして下さり助かりました。木下杢太郎が医学博士なのは知っていましたがそれがcmと関係あるとまでは考え付きませんでした。 ご回答有難う御座いました。解決致しました。