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神の概念のない地域に神を布教した歴史とかありますか

jamiruの回答

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

言語の落とし穴。 アフリカ奥地やアマゾン奥地には「神(GOD)」は居ない。 居るのは正確には「精霊(スピリット)」。 故に「神(ゴッド)」は存在しないので事実である。 アフリカ奥地もアマゾン奥地も日本も神ではなく精霊のレベル。 水木しげるに出てくる崇められる妖怪、手塚治虫に出てくる火の鳥。 これはある意味作中では神に当たるが、欧米視点では精霊となる。 ここで両者に決定的な溝が生まれる。 欧米の視点ではたまにこのようなひずみが生まれる。 それはあいまいな日本には神にはさまざまな回答があり、精霊も神の範疇に属しますが、欧米には解答が一つしかない。 これが、欧米化の思考が混ざると矛盾が生じる点でもあります。 そして、人類は元々精霊のレベルの宗教だったが、キリスト教はこの考えを棄て、新たな精霊よりも上位が存在する神の宗教を説いた。 当時の精霊信仰を壊すにはこうするしか民衆を説得できませんからね。 仏教やヒンドゥーも土着の精霊信仰の上位互換として制圧しましたからね。 その制圧方法の一つがNo3の述べられている手法ですね。 このような歴史を持っているので、大航海時代に太古の精霊信仰の土地を新興宗教のカルト教団が蹂躙するのにはさほど時間はかからなかったでしょう。 何百年と同じで変わらない宗教よりも、民衆が新鮮なカルト宗教に鞍替えしていったのもうなずけます。 日本の場合は多少異なりますが。

noname#184513
質問者

補足

ありがとうございます。 参考文献などご存知でしたら、よろしければお教えください。

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