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昔の「申す」の用法

一般に、「申す」というのは「言う」の謙譲語であり、相手が目上の場合、自分をへりくだって「先ほど申しました~~の件については、~~」などと使いますよね。 でも、時代劇を見ていて思うのですが、相手との上下関係にかかわらず、まるで「言う」の丁寧語であるかのような使い方をしていることがあります(具体的な作品やシーンはすぐに思いつきませんが、大河ドラマ「風林火山」などたくさんあります)。 例えば、君主が家臣に「そなたの存念を申してみよ」というのは、謙譲語で理解している自分としては違和感はあるものの、君主と家臣の関係性から分からないでもないのですが、家臣同士の会話で「親方様が申されるには、~~~とのことじゃ」とか、ある重臣が「ほう、○○殿(他国の君主)がそう申されたのか?」などと言っているシーンを目にします。 もしかして、謙譲語に近い意味(対目上専用)としては「申し上げます」であり、「申す」は上下関係にはこだわらなかったのでしょうか? よく家臣が「(外から急いでやってきて、ひざまづき、大声で)申し上げます!!」と言ったり、君主に向かって「(うやうやしく)おそれながら申し上げます」というシーンがありますよね。 昔は、「申す」というのは必ずしも謙譲語だけではなかったのでしょうか?

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回答No.2

以下は、以前調べて回答したものに加筆・訂正したものです。 参考になさってください。 >「申す」を単独で尊敬語として用いるのは論外ですが、それに尊敬の助動詞をつけた「申される」については、一考の余地がありそうです。 かつては「申される」のような言い方が広く行われていたが、「申す」は謙譲語であるという規範意識が強まり、現在では誤りと認識されるようになった、といえるからです。 私自身は、「申される」は誤った用法という教育を受けて育ち、この表現に強い違和感があるので、決して使いません。 ただ、歴史的には次のような経緯があったそうです。 謙譲語のうちのあるタイプ(補語=動作の向かう先を高めるのではなく、自分方を低めて聞き手を立てる謙譲語。先日発表された「敬語の指針」(平成19年2月2日 文化審議会答申 下記URL)で、謙譲語IIとされているもの。)は、時代とともに意味・使用法が拡大し丁寧語や美化語と認識され、使われるようになる傾向がある。「申す」「参る」「いたす」などはそういった語である。 現在使われている語にも、「食べる」や「あげる」、飲食の意味の「いただく」など、そういった語は多く見られる。 そうして丁寧語・美化語として定着すると、それに尊敬語の助動詞「る」「らる」を付けた、「申さる」「参らる」「いたさる」という形が使われるようになる。実際に江戸時代までには、そういった言い方が広く使われ、文献にも見いだすことができる。つまりその当時、「申さる」は、「申す」という丁寧語に尊敬の助動詞をつけたものと考えられていて、相手側の行為についても使われていたのである。 同じことは上記の「まいる」などについてもいえる。 よって、時代劇で、「そう申されましても」「あなたが参られたのは」などと演者に言わせることも、あながち間違いとは言えない。 それが、明治以降、標準語政策や、学者による敬語法の分類・整理(尊敬・謙譲・丁寧、の三分法)が行われるうちに、「『申す』は謙譲語だから尊敬語を続けてはいけない」という規範意識が普及した。戦後、中学校の教科書等を通してその規範が確定的なものになり、今日に至っている。「申される」と「参られる」は間違いであるとされるようになったのである。 ということのようです。敬語の研究者の中には、以上のような経緯を踏まえて、「申される」を擁護する人もいます。以上、下記参考文献の要約・引用を中心にまとめました。 「敬語」(菊地康人、講談社学術文庫) 「日本語文法大辞典」(明治書院)

参考URL:
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/keigo_tousin.pdf
gootaroh
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。確かに「申す」ではなく「殿が申されるには~~」かもしれません。「参る」もそうですね。なるほど。明治以前はアリだったんですね。納得です。

その他の回答 (3)

noname#39970
noname#39970
回答No.4

No3→ >時代劇の侍言葉 それはもしかして「候文」の事では? http://homepage1.nifty.com/~petronius/kana/saurahu.html でも「申し候」が謙譲語で出てるからどうなんだろう

noname#49020
noname#49020
回答No.3

 ↓ ここのサイトの12月21日のところをご覧になってください。 http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2005/index12.html  まあ、↑こんなところが常識的かと思います。  念のために古語辞典で「まうす」を引っ張りましたら、主力は「言ふ」「告ぐ」の謙譲語ですが、この項のお終いのほうに「言ふ」の丁寧語もあるとのことを書いています。  質問者さん仰せの通り(←こんな使い方が正しいんです(笑))、「殿様が申される」というのはチョッとヘンな感じがします。  なんで時代劇で使われるか想像して見ました。  時代劇の侍言葉はそれなりの雰囲気が出ていないといけません。  我々が日常使っている口語をそのまま使ったのでは、侍の貫禄もなにもなく興醒めです。  かといって当時の言葉をそのまま使ったのでは、視聴者にわかり辛くなります(当時の話し言葉がどうであったのか調べるのも至難のことです)。  そこで、今の言葉の後ろの方に、適当に「ござる」とか「申す」のような多少古めかしいのを付けて、時代劇の雰囲気を出しているのかな、と思いました。そんなことから誤用気味の「申された」が出てきたのかと想像します。  

gootaroh
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >当時の話し言葉がどうであったのか調べるのも至難のことです ・確かに。まず無理ですよね(笑) >そこで、今の言葉の後ろの方に、適当に「ござる」とか「申す」のような多少古めかしいのを付けて、時代劇の雰囲気を出しているのかな、と思いました。 ・私も時々、「武士とはいえ、普通の会話でも、本当にこんな堅苦しいしゃべり方をしていたのかな?」と思うことがあります。 ちょっと話はそれますが、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督は、昭和33年当時の街並みを再現するに当たり、「昭和の建物や自動車だから薄汚れているはず」という観客の思いこみを利用し、わざと建物や自動車を汚すことで、リアリティーと懐かしさを引き出したそうです。 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/49475/ 時代劇における言葉遣いも案外そうかもしれませんね。

noname#39970
noname#39970
回答No.1

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BF%BD%A4%B9&kind=jn&mode=0&base=1&row=4 これを見る限りでは「丁寧語」とも書かれている。

gootaroh
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございました。参考サイトをみると、少なくとも質問文にある「そなたの存念を申してみよ」は >(3)「言う」の尊大語。下位者が「言う」行為を上位者が低めて表現する。「冗談を―・すな」「名を―・せ/狂言・昆布柿」 ・なのでしょうね。「尊大語」というのは初めて知りました。ありがとうございました。

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