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仲間作りに努力は必要か?

人望があり、ある趣味の仲間達と楽しく過ごしている友人がいます。 彼女の周りは賑やかで笑いに溢れています。 彼女の良好な人柄で、自然と周りに人が集まっているように思っていたのですが、彼女いわく、仲間作りの努力をしているとのこと。 例えば、人にしてあげることが多いんです。〔写真をアルバムにしてあげたり、車を出したりなど面倒なことを引き受けている〕 合わない人やトラブルになる人も仲間に入ってこようとするので、そのてのいざこざはよくあり、楽しい反面のこともあるようです。 そこで思ったのですが、仲間作りに努力はやはり必要ですか? その趣味の仲間に誘われたのですが、私は面倒なことを引き受けたり、ギブアンドテイクのようなことは苦手です。よって今も人望はありません。賑やかに楽しく仲間といる友人を見てると羨ましく、見習いたいとは思うのですが、努力して仲間を作るという感覚がどうもピンときませんでした。 皆さんのご意見聞かせてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • CP20
  • ベストアンサー率30% (17/56)
回答No.9

シンプル回答をして見ます。 >ギブアンドテイクのようなことは・・・ 人間関係はギブアンドテイクではありません。 (この前あれやってやったのに、俺のこれはやってくれなかった!という関係は仕事上では必要な考え方ですが、その考え方では関係の中に安心感がありません。見返りを求めない親切が必要です。また親切をされたら心から感謝の気持ちをつたえることも重要です) >仲間作りに努力はやはり必要ですか? 努力は必要ですが、「よし、今日こそは一生懸命仲間を作るぞ~」 という努力は無意味です。 必要な努力はまずしっかり自分自身を信じること、あとは誠実さ(ウソをつかない等の)、心を開くことですね。

fprwb589
質問者

お礼

単刀直入なご意見まさにその通り、それこそ全てのように思いました。 日ごろギブアンドテイクのようなことは考えて行動していません。 無償の愛こそ本来の愛ですよね。 自分自身を信じることって簡単なようで、案外難しいように思いました。 素敵なご回答有り難うございました。

その他の回答 (9)

  • phobos
  • ベストアンサー率49% (515/1032)
回答No.10

> 仲間作りに努力はやはり必要ですか? 他のご回答同様、そう問われれば私もYESとしか答えようがありません。 ただ、ご友人が「こう見えても私なりに努力してるのよ~(^_^)」と言う場合の「努力」と、仮に質問者さんがご友人と同じ行為をしようとする場合に要すると思われる「努力」とは、質も量も意味合いもずいぶん違うものだと思います。 「仲間作りにはそれなりのアクションが必要」程度の意味でとらえておけばよろしいんじゃないでしょうか。 ご友人は、周囲の人に気配りをしたり世話を焼いたりすることが元々好きな方なのでしょう。その方の「努力」は、自然体の延長であり実は楽しみにつながっているのです。 一方質問者さんの場合は、そう言うことは苦手とのことですから、ご友人と同じやり方で「努力せねば」となったら不自然で苦痛につながりますよね。 ご友人のような方を羨ましく思う気持ちはよくわかるつもりです(私も若い頃は、気の利いたことを次々言っては女性達を笑わせて座の中心になるヤツが羨ましくてたまりませんでした)が、ご自分に合わないやり方で「努力」を強いてまで「見習う」ことは無いと思いますよ。 質問者さんはご自分の自然体で行けばよろしいのではないでしょうか。友達の数というものはそもそも他人と比べて多い少ないを比べる筋のものではなく、ご自分で満足できる数かどうかだけの問題だと思います。 もし質問者さんが「自然にできる数よりもう少し仲間を増やしたい」と希望されるのでしたら、ご友人のやり方のうちでご自分にも無理なくできそうなことを取り入れてみたらよろしいのではないかと思います。 基本的には「仲間(友達)が喜ぶことをするのは、自分にとってもうれしい」と思えるかどうかがカギになると思いますが……。

fprwb589
質問者

お礼

確かに真の自分を偽ってまで、他人のために何かをしてあげることは自分では無理です。 よく、忙しい忙しいと言っていながら、いらない用事まで引き受けちゃう性分の人っていますよね。もともと器用な人に多い気がしますが。その友人もまさにそういうタイプなんです。 でも彼女から学ぶことは多いので、少しは取り入れてみて人間関係の幅が広がり豊かになればいいなあと考えています。 ご回答丁寧に有り難うございます。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

#4です。 『最大の「他人のため」は、自分が幸せになることです。 これが最低必要条件です。』 と述べました。 このように言うと、ひょっとすると、 『二股かけてあげくに金持ちと結婚して幸せになった女性はとても他人のためになることをしたことになってしまいます』 というように勘違いされる方もいらっしゃるかもしれませんので、ちょっと補足させてくださいね。 この場合で言いますと、 「二股かけてあげくに金持ちと結婚すれば幸せになる」などという誤った考えに陥らないように自分自身を磨くことが大事だ、ということです。 なぜならば、そんな結婚で得た幸せは見かけだけのものに決まっていますし、そんなことで幸せになれるほど人間というのは単純にできていないからです。 それに気づかないというところが悲劇なのであって、だからこそ自分を大事にして幸せになることが最低限必要なことだと述べたわけです。 同時にそういう人を羨んだりする必要も全く無いわけで、むしろ悲しんであげるだけの優しさが必要でしょう。 また、消費者が泥のついた大根や虫の食った作物を嫌うあまり、つまり目に見える美しさを求めるあまり農薬漬けの野菜が氾濫するようになった現状も憂うべきでしょうね。 農薬を使う農家が悪いのではなく、使わせているのは消費者の思考そのものなわけです。 泥がついたまま食べてもらう必要はありませんが、不必要なまでにきれいなものを求めすぎると、農薬をふんだんに使用して大量生産した同一規格のものを有難がって食べざるを得ない状況を招来してしまいます。 人間の比喩として言うのであれば、泥ごと愛せないようでは愛という言葉が泣くでしょう。 細かい部分では異論のある方もいらっしゃるでしょうが、 明るく朗らかな人は良い人で、暗く沈みがちな人は何を考えているかわからないから怖いなどと言いつつ排斥しようとすることにも通底する危険性があることに是非気づいていただきたいと思います。 (非難してるわけでは決してありません) 共通するのは、「表面重視」「規格外排除」といったところでしょうか。 いずれにしても、本質を忘れないように自戒する姿勢が現代に求められているのは確かなように思います。  

fprwb589
質問者

お礼

だいぶ掘り下げたご回答有り難うございます。哲学的というか難しくて理解できない部分もありましたが、明るく朗らかな人は良い人と思い込んでる部分は確かにあるので、なるほどと思いました。単純に物事を一方からみて判断している証拠ですね。その部分では考えさせられました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.7

この間テレビで美輪明宏さんが大根のたとえ話をしてました。 畑の大根だって洗って泥を落として、包丁で切って、調理して、きれいな器に盛られてからさあどうぞお食べなさいというのに、ありのままの自分を愛せというのは泥のついた大根を食え食えといっているようなものだというのです。うまい事言うなと笑っちゃいました。

fprwb589
質問者

お礼

美輪さん私も大好きです。良い例えですね。 でも、ありのままだといけないのかなーとも考えさせられました。 ご回答有り難うござます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6

生物学上のヒトという生き物は「社会性動物」というのに入るそうで、つまり「ひとりぼっちじゃ生きていけない」生き物なんです。独房の中にずっと入れておくとほとんどの人が気が狂うそうですよ。本能に「他人と関わりたい」という要求があるそうです。 例えば一見社会から孤立しているように見える引きこもりも、実は家族のサポート(食事を用意してくれる、トイレットペーパーを買ってきてくれる、など)がありますし、多くの人がネットなどで社会との関わりを持っています。 それから人望というものは、後から結果としてついてくるものだと思います。人望があるから人が集まるんじゃなくて、人が集まってくる人には結果として人望が集まる、とね。あと、生まれつきスポーツが得意だったり計算が得意だったりする人がいるように、生まれついて人を魅了するカリスマ性を持った人というのはいますね。これは持って生まれた才能なので、凡人が真似をしても無理です。なんかいますよね、妙に一緒にいたいというか惹きつけられる人物っていうのが。 あとは、そういう人は他人と会わせるのが苦痛ではないんでしょうね。セロリが好きな人もいれば嫌いな人もいるってことです。 蛇足ながら、他人様の回答にけちをつけるのは削除の対象なんですが、自分が幸せになることが最大の他人のためなら、二股かけてあげくに金持ちと結婚して幸せになった女性はとても他人のためになることをしたことになってしまいますね。いや、趣味の悪いブラックユーモアです。

fprwb589
質問者

お礼

ブラックユーモアの部分は ?で共感は出来なかったですが、生物学的な見解はなるほどと思いました。 ご回答有り難うございます。

noname#32495
noname#32495
回答No.5

努力という概念があって、それを実践しようとしても、なかなか続くものではありません。もっと自然に湧いてくる無意識的なものに従っていないと、無理が来ますね。 向いていないことは向いていないのですが、それを無理してやろうとするのでなく、むしろ向いていない慣れていないことをやっている自分というものに新鮮さを見出せればそれはそれで面白いのではと。そういう遊び心のようなものを常に持っていることが、人間関係にも大事ではないでしょうか。 人はどうしても面白いこと気楽なことが好きです(fprwb589さんもれいがいではないでしょう)その人の感覚にあわせることが、どうも大事なようです。

fprwb589
質問者

お礼

遊び心ーそうですね。また違った視点から考えることが出来る方法のように思いました。 ご回答有り難うございます。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

「仲間作りに努力は必要か」と問われればyesと答える以外にないでしょうね。 「作る」ことが前提になっていますし、何事も作ることには努力が必要だからです。 しかし、友達とは果たして作るものだろうか、というのがご質問の意図であれば、個人的にはnoとお答えしたいと思います。 「>写真をアルバムにしてあげたり、車を出したりなど面倒なことを引き受けている」 のが友達ができる要因であるとすれば、彼女は単なる便利屋として重宝されているだけでしょう。 いや、そうじゃなくて、そういう気配りのできる人格が皆に慕われるのだという反論もありそうですが、 彼女はおそらく「他人のため」ということの意味を勘違いしているのではないかという気がします。 最大の「他人のため」は、自分が幸せになることです。 これが最低必要条件です。 その自分の幸せがいかに他人の幸せを阻害しないですむか。 そして、他人がそれぞれの自己を実現することを心から喜べるような人格を自ら築き上げることでしょう。 アルバムを作るよりずっと難しいことです。 基本的に、面倒と思ったことはすべきではありません。 本質的には相手に対する侮辱になります。 したくてするのであれば良いでしょうが、見返りを求めるどころか、それを受け止めてもらうことに対する感謝の気持が逆に必要でしょう。 見返りなど考えているととんでもないことになります。 「>賑やかに楽しく仲間といる友人を見てると羨ましく、見習いたいとは思う」 とのことですが、本当の付き合いは見かけだけではわからないものです。 烏合の衆の仲間入りをしたければそれも良いでしょうが、せっかく毅然とした姿勢をお持ちなのですから、本質的友情を模索されてはいかがでしょう。 傍から見た賑やかさ楽しさなどは、その裏に潜むすれ違いの気持を隠蔽するための単なる一時的方策にすぎないことが非常に多いような気がします。 たとえ一人だけでも、真の友人は見せ掛けの友人万人分に相当するでしょう。 真の友人を得るために努力が必要とすれば、決して自己を偽らないことによって、同じ感性を持つ人と巡りあえる機会を逸しないようにする、ということだろうと思います。  

fprwb589
質問者

お礼

素晴らしいご回答有り難うございました。回答者様の人格の高さが伝わってきました。 見かけだけでは本当の付き合い分からないーそうですよね。よく聞くと結構ゴタゴタしていて、そこまでして仲間作り必要なの?と思うことあります。 人に何かしてあげる行為も見返りを求めてしまいそうで、世話好きでない自分には難しいことに思えます。 決して自己を偽らないこと。とても心に残る言葉です。 色々考えさせられ何度も読み返すご回答でした。

  • zpf
  • ベストアンサー率22% (38/171)
回答No.3

仲間を作るのに「努力」などいりません。 なんでそんなことに「努力」せないかんのですか? あなたが「あなたらしく」生きていたら、仲間というのは自然にあなたのまわりに集まってくるものです。 「ともだち」なんて、少なくてあたりまえなんです。 私は今年、50歳になりますが、この歳において私自身が「ともだち」と呼べる人間は6人しかいません。(今、数えてみました。) 中学1年からのポン友が2人、高校からが1人、大学1人、社会人になってからが2人。 これでも私は(他人に比して)多いほうだと思っています。 ところで、人間誰しも、生まれた瞬間からから死ぬまで、ただ一人の大親友がいることをご存知ですか? 「その親友がいるから生きていける」とさえ言える大親友が。 それは、自分自身なんです。

fprwb589
質問者

お礼

私も自然と仲間は類は友を呼ぶで、出来る、出来ていると思っていたのですが、その友人の努力をして仲間は作る、自然と黙っていて出来たわけではないとの話を聞き、自分の概念と違っていたのでここで質問させてもらいました。 回答者様は、友達が六人もいるのですね。凄いです。六人も居たら多いほうですよね。 自分は五十までに六人も友達出来るかなー?と思いました。 ご回答有り難うございます。

回答No.2

やっぱり誰かと仲良くしたいなら、多少努力や我慢は必要になってくると思います。 それで本当の友達(親友)をつくった時初めてお互い自分の気持ちを正直にぶつけ合う事ができると思うんで、努力する事や我慢する事はなくなると思います。

fprwb589
質問者

お礼

そうですね。ご回答有り難うございます・

  • E-HR33
  • ベストアンサー率25% (20/78)
回答No.1

仲間作りも人付き合いである以上、努力は必要だと思います。 貴方様には自分が一緒にいて楽だったり苦痛にならない相手はいませんか? そういう人が自分と一緒にいるときにどんなことをしてくれているかを考えてみてはいかがでしょうか? きっと自分がどんなことをすればいいか見えてくるはずです。

fprwb589
質問者

お礼

さりげなくしてくれる好意は嬉しいですね。 彼女はお願いしたあるビデオテープに、きちんとタイトルをパソコンでいれ洒落も交えたコメントもつけてくれました。 そういう気遣いが出来るかどうかが、仲間作りの基本かもしれませんね。 私も以前撮った写真があるので、ある友人に額に入れてサプライズで送ろうと思っています。 ご回答有り難うございました。

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