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本を読む時、著者の言ってることを全部信じますか?

私は信じてしまいます。 例えば、、 日本の最高学府東大医学部元教授の養老たけしさんが 「私はこう思う」って言ったら、まず私は信用します 理由 ・どう考えても私とは蓄積してきたものが違うから ・そんなに勉強してきた人が言うんだから絶対である などなど 要するに知識レベルの低い私は、すごい人が書いたどんな本を読んでも 絶対相手が正しいって思うんです。 質問 本を読む時、著者の言ってることを全部信じますか? (信じないって方がおられたら、だったらなぜ読むんですかね?) 信じないんなら読んでも無意味な気がします。 また、そういう研究者などに批判できるくらいの根拠とか持ってるんですかね? ※すいません、みなさんをバカにしてるわけではないです ただ純粋にお聞きしたくて。 まあ私がもっと教養つけれたらいいんですが・・・

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  • jlrsmama
  • ベストアンサー率21% (150/693)
回答No.10

kadehuabseさんは、一冊の本を読んで頭から信じちゃったとして、次に全く反対の事が書いてある本を読んだらどうするのでしょう? >そんなに勉強してきた人が言うんだから絶対である 世間で「事実」と言われることも変わっていきます。 「歴史」でさえ変わるのですから。 だから、著者の学んだ時点、本の書かれた時点では正しかったことがあなたが読んだ時にも正しいとは限りません。 >信じないって方がおられたら、だったらなぜ読むんですかね? 私は色々な立場、色々な考え方、様々な情報を取り込み自分で考える糧にするために本を読みます。 正しいことは何か、なぜ間違った情報が流れるのか、著者がこのような考えに至った背景は何か? 私はそれを知るためにもできるだけ多くの本を読みたいと思います。

その他の回答 (9)

  • namu-namu
  • ベストアンサー率25% (128/506)
回答No.9

全てを鵜呑みにはしませんね、ジャンルにもよりますが。 例えば「私は○○だと思う」という一説があったとしても、その前後には必ず「なぜなら…」の説明が付きますよね。 それに感銘を受けた・納得できるとか感じれば同意しますよ。 ただ、一方的に信じるというのとは少し違います。 物事は1つの価値観だけではないと思うんですよね。 私は○と思ったけど、他の方面から見たら□にも見えるし、△にも見える。 本を出している方って自分の考えを信じてもらいたいっていう心境もあるかもしれないけど、「こういう事実もあるんだよ・こういう考え方もあるんだよ・みんなでこの問題について考えてみよう」とか様々な考えがあると思うんですよね。 信じるとかではなく、それについて自分がどう思うかって事が大事なんじゃないでしょうか。 >信じないんなら読んでも無意味な気がします。 信じるのではなく参考にするのです。 無意味かどうかは本人の問題です。 >また、そういう研究者などに批判できるくらいの根拠とか持ってるんですかね? 私の場合はただの一般人ですので全然ありません。(笑)

noname#23329
質問者

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回答No.8

No6ですが、付け足しです。 意見は衝突しあってこそ初めて新たな意見が生まれます。 本当に情報の絶対性を保つためには、人の感情の入り込む余地のない「数字」だけを使うしかないのかもしれません。ただし、それをどうとるかはあなたの感性次第です。みんなそうです。 様々な情報が飛び交っている現在、すべて素直に鵜呑みにすると危ないので、気をつけてくださいね。

noname#23329
質問者

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noname#207400
noname#207400
回答No.7

とりあえず自分が選んで手に取った本なのだから「最初から疑ってかかる」まではしません。が、「全てを信じる」まではいかないですねぇ。 博識な人の本は説得力があるので信じ込みやすいと思います。 読み終わったあと、なるほどねー、とまず感じるのは別に悪い事では無いと思います。 ただ、色々な本を読んで行くうちに、自分なりに「あ、この部分はこの間あの人が言ってたあの部分につながっていくんじゃないだろうか。やっぱり、あの人が言ってた事は一理あるな」とか、「この間あの人はこう言ってたけど、この人は反対だと言っている。視点が変われば違う見方ができるな」とか感じる事があります。 たくさん勉強してたくさん生きてきた人がいう事は、そうでない人よりある程度信じられる所はあると思います。 それでも、「たくさん勉強してきた人」は世の中にものすごい数いるわけで、偶然か必然か、たまたま手に取った人の意見を100%信じる事は少々ナンセンスかな、と思います。

noname#23329
質問者

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回答No.6

ある1人のスポーツ選手の成績不振をみて、その選手を好きな記者は他の選手に対してよりも知らぬうちに穏やかで、逆にその選手を嫌っている記者はより厳しく批判するかもしれません。同じ統計をみても、個人的な”感覚”がやはり「意見」の中には含まれているからと思います。つまり人間である限り’中立’に統計を見れるということはあり得ないと。もしまだであれば、個人的にはなるほどと思えたので養老先生の”バカの壁”をお読みになってください。 例として、付き合っている時は夢中で、好きな相手が誰よりかっこよくまたはかわいく見えても、いざ別れてみると、「あれ?思ってたほどではないな」となることもあると思います(きっと)。相手は同じ顔にもかかわらず。このように、同じ顔を見ても自分の感情によって見方は一変する場合もあるはずです。それは、人間は感情やらが邪魔して物事をあるがままに見ているわけではないということに起因しているのではないかと思います。 研究者の場合も同じように、たとえ紙に書かれた統計の数値は絶対でも、それをどうとるかは人間によって異なるので、人間が読み取る段階で情報としては絶対性を失うということになるのかもしれません。 養老先生の言っていることには、研究そのものを反映しているというよりも、むしろ養老孟司という一人の人間の考え方が詰まっているのだと思います。そして人の考え方というものに絶対はないとおもっています。養老先生に限らず他の人も。

noname#23329
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  • totovc
  • ベストアンサー率44% (217/489)
回答No.5

うーん、書いてあることを全部信じてしまうというのは危険なような・・・。 読書というのは書いてあることを鵜呑みにするのではなく、読みながら「なるほどそうだったのか!知らなかった」とか「自分も以前からこう思っていたが、専門家も同じように言っていたのか」とか「これはきっとあのことにも当てはまるんだろうな」とか「こう書いてあるけど、自分は違うと思うんだけどなあ。」などと自分でもいろいろと考えながら読むことに価値があるのではないでしょうか。 >信じないんなら読んでも無意味な気がします。 こういうことはまったく無いと思います・・・。熱心な信者は自分の信じる宗教の経典についてまさに「信じないなら読んでも意味が無い」と固く信じているようですが、学問や思想などはそうではない、「読んでそのまま信じるもの」じゃないと思います。 最高権威でも間違えることもありますよ。 また、高名で見識ある学者だって人によって考えが違うことも多々あります。そういう場合はどうするのでしょう?A氏の学説を読むときはA氏が正しい!と信じ、次にB氏の違う説を読めば今度はそっちに変わる??? いずれにせよ、どんな立派なえらい人が書いたものに対しても、疑問や批判の気持ちも持ちつつ読むことは大切だと思います。そういうささやかな疑問が学問の進歩に役立つ場合もあるのだし。子どもだって疑問を持っていいと思いますよ。子どもの時読んだ本に書いてあったことがどうも信じられず、大きくなってからそれを研究して自分の抱いた疑問が正しいことを証明したなんてこともあるでしょう。 知識レベルが高くても低くても自分で考えて自分の意見を持つことは悪くないし重要だと思います。 ところで「実は私の正体は最高学府東大医学部の現役教授です」って言ったら、この発言信じてくれます?(笑)

noname#23329
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  • yui0909
  • ベストアンサー率16% (16/96)
回答No.4

私は基本的に信じて読んでしまいますね~ で、ちょっとでも疑問に思ったことがあったら 調べて、正しいか間違ってるか調べます。 あと自分の方が正しいと思ったことは 基本的に、自分を信じます。 ただ、疑ってかかったら本なんてつまらないですからね~ 基本はすべて鵜呑みにして読んでしまいます。 で、一つだけ。 >要するに知識レベルの低い私は、すごい人が書いたどんな本を読んでも >絶対相手が正しいって思うんです。 というところがとても気になるのですが、 たとえば・・宗教とか怪しい商売とかって 騙されるのは大抵、頭の良い方って知ってました? 原因はわかりませんが、 頭のいいひとって色々なことを吸収するので 色々なことを信じて取り込んでしまうのではないでしょうか。 あとは、疑い深い人っていうのは 数点、その人と同感できる部分があると その人全てを信じてしまうみたいです。 私も心理はよくわかりませんが、 そういう事を聞いたことがあります。 あまり参考にならないでごめんなさい。

noname#23329
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  • fake-tang
  • ベストアンサー率24% (186/772)
回答No.3

権威効果ってご存知ですか? あなたは互いに矛盾したことを主張している、それぞれに著名な方の 著作である2冊の本を読んだ場合、そのどちらも信じるんですか? 私が本を読む目的は、娯楽のためであったり、知識を深めるためであったり、 自分とは違う意見を見てみたかったり、それぞれの主張をつき合わせて みたかったり、純粋に参考資料だったりします。 どの本を読むときでも、頭から信じることはなく、常に疑ってかかって います。 人間が書いたものなのだから失敗だってあります。間違いだってあります。 それに、自分とは違う人間なのだから、意見も違って当たり前。

noname#23329
質問者

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ご回答ありがとうございました

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.2

全てを鵜呑みにすることはありません。 わざと嘘を書いてある本はいくらでもあるし、どんな優れたひとでも、森羅万象について常に正しい見解を持てるわけでは無いからです。 そもそも、宗教を含むイデオロギーを主張する書物(例えば聖書)以外の本は信じるために読むものではなく、取捨選択するために読むものだと思います。 本を読む目的は 世の中の様々な人の考え方や信条や研究や思い付きやハッタリを知って楽しむことです。 自分よりはるかに優れていると思われる人々やそれほどでもない人々やちょっとバカな人々が全く正反対のことやちょっとずつ違うことを主張したり議論したり発表したりするのを知る事自体が楽しいのです。 読書によって得た色々な知識をつき合わせて考えて、どれがより確からしいか判断したり、自分なりの結論を出してみたりしますが、それは読書の目的ではなくオマケのようなものです。

noname#23329
質問者

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  • avalokita
  • ベストアンサー率17% (20/114)
回答No.1

いろいろな考え方、見方、発想を思想などを参考にしてその中から選択する。あるいは自分はこう思うと少し違う発想や答えを導き出します。一人で考えるよりも先人の知恵は大いに参考になります。養老さんも人間である以上完璧ではないわけで、参考にしてもそのまま信じることは私はしません。100%信頼できる人に出会えたらそれもいいかもしれませんが…

noname#23329
質問者

お礼

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