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新羅によって統一される前の朝鮮で日本と深い交流関係にあった百済と加羅のことについて教えてください
(加羅について) ・「加羅には日本の出先機関があった」と習ったのですが、加羅は日本が朝鮮を侵略して獲得した領土なのでしょうか。 (百済について) 「百済は新羅に攻め滅ぼされて、多くの百済人が交流の深かった日本に逃れた」と習いましたのですが、 ・現在の朝鮮半島の人々は統一した新羅の流れを汲んでいると思うのですが、百済人は現在の朝鮮人あるいは新羅人と同一民族なのでしょうか。それとも、百済人は朝鮮半島の土着の民族ではあるが、現在の朝鮮民族あるいは新羅人とは別の民族なのでしょうか。 ・現在、日本には「百済」という名を含む神社仏閣がありますが、これらは主として韓国・北朝鮮の方々が参詣するところなのでしょうか。それとも、百済人は日本に住み着き、現在の天皇も百済王の子孫であり、また多くの日本人は百済人の子孫であるので主として日本人が参詣するところなのでしょうか。 以上、駄文にて失礼ではありますが教えてください。
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- ppps
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百済は大倭国(九州、四国、中国、加羅)の属国でした。 百済王の后は、倭族と決められていましたし、百済王子が王になるまで人質として倭国に連れてこられていました。 隋書などには、百済、新羅、高句麗など大倭国の属国であったと記述されています。 東アジアの歴史は、倭族、満州族、モンゴル族の歴史であって今の支那の漢民族や朝鮮のワイ族はその支配下にあったと思います。 だからこそ日本の教科書に度々騒ぐ訳です。
- sekai_s2
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倭(九州王朝)は、元々朝鮮海峡を挟んで、発展した国だったので、加羅が倭の領土だったのは当然です。 倭(九州王朝)と百済の王室は姻戚関係が濃いったと考えられますが、現在の天皇家(ヤマト王権)と倭(九州王朝)は別の王朝ですから、現在の天皇家と百済王家に関係はありません。 百済は北方民族扶余系の一派が南下し韓族を支配したのが国の始まりだといわれていますから、百済支配層の多くは韓族・朝鮮人ではありません。戦国大名の大内氏は、百済王の末裔を自称していたくらいですから、多くの百済人が日本に亡命して来たのでしょう。 「百済」という名を含む神社仏閣は、百済人の子孫が参詣するところです。韓国・北朝鮮とは関係ありません。
- oyjcyn
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桓武天皇の母親の高野新笠は百済人ではないのでは? 確かに先祖は百済人ですが、それは何代も前の事で宇奈羅の代に帰化しているらしいですから、 単に遠い先祖が百済出身というだけの日本人なのでは。 そもそも高野新笠が生まれるずっと前に百済は滅亡していますし。 武寧王─純陀太子─法師君─雄蘇利紀君─【和】宇奈羅─栗勝─浄足─武助─【高野】弟嗣─新笠
- tatsumi01
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No. 2 のものです。No. 6 さんへのお礼で > No2様の「任那があったかなかったかは、日本と韓国・朝鮮の間で歴史学者の間で意見がわかれています。」という説は少しは耳にしたことはあるのですが、何のために韓国が加羅の存在そのものを否定するのか理解できないでいます。 韓国では加羅の存在は認めています。ただ加羅に関して倭の支配が及んだことは認めていないかも知れません。絶対に認めないのは任那、特に任那日本府の存在です。「任那日本府」は「任那が倭の領土であり、倭が任那を支配する現地機関である」ことを意味しますから。韓国で任那の存在を認めないのは三国史記や三国遺事に出現しないから、という理由だったように記憶しています。 しかし、倭の五王は中国南朝の皇帝に倭王の称号を認めよと請願する際、任那王の称号も同時に請願しています(同時に新羅王と百済王の称号も請願して、新羅王は認可、百済王は却下です)。これから考えると任那は実在し、倭王がその支配を主張する主観的な根拠(他人が認めるかどうかは別として)はあったと思います。
- hideMUU
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古代朝鮮は中国の漢時代に楽浪郡や帯方群が置かれて中国人が支配してしいましたが,その頃について中国の史料には南朝鮮の海岸部に「倭」の存在が記されいます。これが後の加羅-任那。 中国の五胡十六国時代に入ると中国の影響が弱まり,北方系が南下して高句麗,百済,新羅が建国されました。これらの人と原朝鮮人が混血して現朝鮮人が形成されたのでしょう。ですから百済も新羅も同族と思われます。 日本と百済との交流は深く白村江の大敗後は百済系の難民が大量に渡来しています。 「神社」は日本古来のものですが,渡来系の人は日本の言語や風習に馴染みながら故郷の国を思い「百済神社」等を建てたのではないでしょうか。 桓武天皇の母が百済人というのは偶然のことです。天武天皇の系統が途絶えたため,陰の薄かった天智系の光仁天皇が即位しました。天智天皇は百済系亡命貴族を優遇していましたので,光仁天皇の妃(百済人)が桓武天皇を生んだという経過です。 以降は藤原氏(百済系という説もありますが)が外戚を独占します。
お礼
何人かの方からご回答を頂戴しておりますが、まだ他のご意見も聞かせていただきたいと思っておりますので、質問は継続して受付状態にさせていただきたいと思います。 加えて、今までにご回答をいただいた方に対してこちらのお礼欄にてまとめてお礼と私なりの感想を述べさせていただきたいと思います。 まずはご回答をいただきありがとうございます。 短期間にこれだけのご回答をいただけるとは思っていなかったのでとても感謝しております。 加羅についてですが、勉強不足でNo1さまの不勉強のため「加羅の王族貴族が日本にやってきて日本という国が成立した」という説は初めて耳にした説でとても興味深いです。No2様の「任那があったかなかったかは、日本と韓国・朝鮮の間で歴史学者の間で意見がわかれています。」という説は少しは耳にしたことはあるのですが、何のために韓国が加羅の存在そのものを否定するのか理解できないでいます。何か加羅の成立が侵略によるものなのか否かがわかる明確な資料はないものでしょうか。 百済についてですが、No2様のご回答から百済人は現在の朝鮮民族と非常に近しい民族であると理解させていただきました。 また、日本にある神社仏閣では、百済王神社や百済寺だけでなく他にも朝鮮半島ゆかりの神社があることを知りましたが、これらの神社仏閣は日本人が参詣する所なのでしょうか?もし、日本人が参詣するところであれば近くに行く機会があれば是非参詣したいと思いますし、韓国や北朝鮮の方々が参詣する場所であるならば、私が参詣すると場違いな感じがするので参詣しないほうがいいと考えております。いつ、朝鮮半島ゆかりの神社仏閣の付近へ出かけるのか分からないので、そのときまでには実情を教えていただければと思っております。
- tatsumi01
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No. 3 さんの紹介された「百済」さんですが、電子電話帳で調べてみました。 百済さんは全国で161件。島根県、鳥取県には0件です。多いのは、兵庫23件、福岡21件、大阪21件、奈良18件です。 ただし、これらの百済さんが百済からの亡命者の子孫かどうかは知りません。 ついでに、高麗さんは全国438件。群馬74件、東京128件、神奈川68件、埼玉66件。 これらの高麗さんも高句麗からの亡命者の子孫かどうかは判りません。ただし、高麗若光をはじめ、高句麗からの亡命者は武蔵平野を開拓し、勢力を築いたことは知られていると思います。 新羅さんは全国60件。三重22件、千葉9件、神奈川8件でした。 いずれにしても、高句麗、百済、新羅から亡命者があったとしても、国名を氏姓にしたのは高麗氏くらいだと思います。さらに、飛鳥時代から江戸時代まで旧国名を苗字として保持していたかどうか疑問なので、渡来人の証拠になるでしょうか。 ただし、駒井、駒田などの姓は高麗(コマ)から来ているそうです。金(コン)、近、昆などの姓も、本来は朝鮮半島からの渡来人で金姓だったかも知れません。
補足ですけど、うちの近所に「百済寺」と書いて「ひゃくさいじ」と読むお寺があります。 http://www.hyakusaiji.or.jp/ 周囲には「鬼室福信」所縁の観光地もあり、謂れを知らない方が多くて、普通の観光地になってますけど、町単位では韓国と姉妹都市になったり、それなりの交流はあります。 伝説では、荒地に渡来人が入植して開いた土地とか言われ、周囲には万葉歌人を連想させる地名が点在してますね。 http://www.pref.shiga.jp/minwa/28/28-12.html 参考URLの写真以外にもハングル語の案内板は多数あり、私も始めてここにきたときは、朝鮮の新興宗教かと誤解してました。
- PENPENMAKKY
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山陰地方に現在も百済さん他、亡命した方々が多数住んでいます。
- tatsumi01
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[加羅] 任那があったかなかったかは、日本と韓国・朝鮮の間で歴史学者の間で意見がわかれています。任那というのが加羅ですね。 私は任那=加羅に日本(倭)の出先機関があったろうと思います。512年に大伴金村(大連)が百済から賄賂を貰って任那の4県を割譲していますが、後にそのことを責められて失脚しています。その前に任那は百済に併合されてしまうのですが。 また、有名な高句麗好太王碑にも、高句麗が倭を破って任那を領土とした、という文言があったと思います。もっとも「任那」の字は欠損して推定だったと思います。 また、朝鮮の古代史書である三国史記や三国遺事を見ると、新羅や百済の国境に倭は何回も攻め入っています。まさか、その都度九州から海を渡って行けるわけもなく、朝鮮半島に倭の勢力がないと困難です。 [百済] 百済も新羅も人種としては類似していたでしょう。百済、新羅、それに高句麗などの人種が混血して現在の朝鮮民族になっていると思います。 [神社仏閣] 浅学にして、「百済」という名を含む神社仏閣は知りません。埼玉県にある高麗神社なら知っています。高句麗の王族である高麗若光が日本に亡命し、その子孫が神主で現存しています。高麗神社の神主は高句麗好太王の子孫ですが、この神主さんが高句麗好太王碑(場所は北朝鮮ではなく中国領にあります)を訪問したときの感想文を読んだ記憶があります。 なお、法隆寺にある百済観音はなぜ「百済」の名が付いたかは不明だそうです。しかし、百済観音の前にある賽銭箱にはウォン札が沢山入っているそうです。
歴史の裏を読むような説で、間違っているかも知れませんけど >「加羅には日本の出先機関があった」と習ったのですが、加羅は日本が朝鮮を侵略して獲得した領土なのでしょうか。 逆ではないでしょうか。 加羅の王族貴族が日本にやってきて日本という国が成立した、ヨーロッパで言えば、イギリスとフランスのような関係ではないかと思いますけど。 当時の日本人にとっては故郷のようなものですから、奪い取ったというより、実家と考えていたのではないかな。 百済に関しては、藤原氏に関係が深いと思います。 ある説によれば、鎌足自身が豊璋或いはそれに極めて近い人物ではないかという方もいます。 桓武天皇の母親の高野新笠は百済人ですし、朝廷にも密接に入り込んでいたのでは。
お礼
> No2様の「任那があったかなかったかは、日本と韓国・朝鮮の間で歴史学者の間で意見がわかれています。」という説は少しは耳にしたことはあるのですが、何のために韓国が加羅の存在そのものを否定するのか理解できないでいます。 上記の、私の認識に誤りがあったようで、申し訳ありません。 ご説明どうもありがとうございます。
補足
長期間質問を受け付けていたのですが、これ以上のご回答が得られないようなので、これにて質問を締め切らせていただきます。 ご回答してくださった方々、どうもありがとうございました。