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不浄役人

町奉行所の同心や与力は不浄役人となめても奉行はそう言わない。これが奉行が大身の旗本だから割り切って区別してるのですか?なめも金次第ってことですか。

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  • Pinhole-09
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回答No.4

不浄役人とは町奉行所の中で、犯罪人の逮捕、処刑を担当した一部の役人を罵って言った言葉です。 お城から死体や罪人を運び出す、裏門の不浄門から付けられました。 町同心と言われた隠密廻同心、定町廻同心、臨時廻同心や、牢屋見廻同心などです。  その上役の町与力、牢与力も不浄役人と言われることもあったでしょう。 これらの同心の中には、手柄にする為無辜の罪人をでっち上げたり、金をせびるなどして、庶民から憎まれる者がいたからです。   この件で同心が処罰された記録があります。 町奉行所の奉行をはじめ、一般の役人は不浄役人と、ののしられる事はありませんでした。

mersess
質問者

お礼

素行の悪い下役から色に染まっていった感じですか、ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.3

質問文の主語がはっきりしないのですが、「町奉行所の同心や与力は不浄役人となめても」とは誰が「なめて」いるのですか? 一般に「不浄役人」というのは監獄の看守などのことと思いますが。今でも、受刑者に対する看守の恣意的な暴力や暴力団受刑者との癒着が報道されたりします。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#24488
noname#24488
回答No.2

 一般的にいって、昔の人は実態のわからない雲の上の人をエライ人と崇め、見てわかる労働をしている人や給料の安い人を軽蔑する傾向がありますね。今でもこの傾向は残っています。  時代劇などでヤクザが侍と喧嘩するとき「やい、このサンピン侍め!」と捨て台詞を吐く場面をみかけます。このサンピンとは給金3両1人半扶持のことからきているらしいです。  そして直接悪者を捕まえる仕事は、汚い仕事でしょう。上品な人にはできません。  与力や同心には正義感に溢れ、貧しいながらも悪者を捕まえるのに、専念した人もいれば、そうでない人も多く居たと伝えられています。  用もないのに富裕な商家を定期的に訪ね、帰りに番頭から小銭を包まれた御捻りをたもとに入れてもらったり、恐喝まがいのことをやった人も少なからずいたと言われています。  またみんながみんな使っていたかどうか知りませんが、手先の岡っ引なんかも、目つきの悪い人が多かったでしょうね。

mersess
質問者

お礼

庶民にも崇めるか軽蔑するかの分別がそれとなくありということですか、ありがとうございました。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

与力や同心は終身勤務ですが、奉行はそうではありませんし、そういう関係の実務にはほとんどタッチしないというのもあるでしょう。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。

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