• ベストアンサー

「江戸市中」ということば

<市中引き回しは「しちゅう」ではなく「まちなか」と読む。江戸時代に市があるわけないでしょうが>の声。確かに、 江戸時代には大阪市も横浜市も青森市も存在しなかった。だから、 「まちなかひきまわしと読むんだ」という声を正解としておくに吝かではない。しかし、 江戸関連の書物には「江戸市中」という言葉はふつうに使われていて、その振り仮名は「しちゅう」。この振り仮名が正しければ、引き回しのほうも、しちゅうでおかしくはない。いや、いや、それよりも、 読み以前に不審に思うべきことを、不審に思わないでいる「声」には首を傾げてしまう。だって、 長崎市だって稚内市だってない時代でしょう。なのに、なぜ「市中」なんて言葉が存在したの? 江戸を「御府内」と呼ぶのが一般的だったそうで、「府」は幕府の府であろうと推察するとしても、どうも「市中」がわかるような、わからないような。 どなたか、「市中」の正体をお教えください。

noname#118935
noname#118935
  • 美術
  • 回答数3
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tjhiroko
  • ベストアンサー率52% (2281/4352)
回答No.1

この場合の「市」は市制をしいている自治体のことではなく、人家が多くにぎやかなところ、つまり「まち」のことですね。 市井という言葉がありますが、この場合の市も同じ意味で使われていて(市井の意味自体、市中と同じ)読み方は「しせい」ですしね。

noname#118935
質問者

お礼

はやばやと、ありがとうございました。 なるほど「市井」の市と考えればいいわけでした。自治体の市とは勿論おもっておりませんでしたが。引き回しは、どう読まれていましたか。

その他の回答 (2)

noname#104909
noname#104909
回答No.3

ANo.2です 江戸時代は市(し)は存在しません、市(いち)です。 山の物と海のものを物々交換する市(いち)が存在しました。 現在でもその名残として茶市(ちゃいち)とか朝市(あさいち)が名残として残っています、現在では現金で取引しますが、江戸時代にはそれが物々交換であったと言うことです。.

noname#118935
質問者

お礼

参考になりました。ありがとうございました。

noname#104909
noname#104909
回答No.2

市(いち)→市場(いちば)→○○市(し)(右に行くほど大きな集合体) 人が集まって市(いち)を開いてた場所が市中(しちゅう) それを広い意味で街中を市中といっていたのでは、現在の市の語源だと思います。 もちろん江戸時代でも市(いち)は開かれていました。  

noname#118935
質問者

お礼

お答、ありがとうございました。 「右に行くほど大きな集合体」はなるほどと思いましたが、「市(し)」は江戸時代にそれ一語として存在していたのでしょうか。

関連するQ&A

  • 江戸時代に小さな村がたくさんあったのは何故

    私の住んでいる市は面積は小さいですが、江戸時代に11の村に分かれていました。 それが明治になって合併を繰り返し、昭和初期には一つの町と1つの村になり、戦後に市制をひきました。 江戸時代、村落はどうしてそんなに細かく分かれていたのでしょうか? 幕府や藩の意向で、村が力を持たないように細分化したのでしょうか。 それとも村の自営は小さい方がやりやすかったのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代に”詐欺”や”ヤブ””ホラ吹き”などの言葉

    江戸時代に詐欺、ヤブ医者のヤブ、ホラ吹き、などの言葉は存在しましたか? なかったとしたら詐欺は騙しとかに置き換えられるんでしょうか。置き換えられる言葉も教えてください。

  • 江戸時代の経済は活発だったのか?

    江戸時代の経済は活発だったのか? 江戸時代の経済は活発だったのでしょうか? 私の江戸時代のイメージは生活は質素倹約、物は何回でも再利用する、年貢は米だし、武士の給料も凄く少なかったと聞きますし、技術の新しい開発も確か幕府によって規制されていました。 質素倹約ならば安いものしか売れずにデフレになるはずだし、もったいない精神があれば全然物は売れないし、新技術の開発が規制されていたのならば一体何が売れていたのでしょうか?そこがわかりません あと、江戸時代の人間にとってお金ってどのような存在だったのでしょうか? 現代日本人みたいに拝金主義だったのでしょうか? それとも食べ物の次みたいに別に重要視されていなかったのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 江戸府内

     江戸府内という語に関する私の認識を、誤りがあればご修正と補足をしてください。  1. 江戸府内の範囲は、江戸町奉行が管轄する範囲と一致する?  2. 東海道で品川、中山道は板橋、日光街道は(北)千住、甲州街道は内藤新宿。    この宿において、水景色というか渡しの風景をよく目にするのが、品川宿ですね。    品川の渡しは多摩川になるでしょうか?  3. 日光街道の最初の宿場、(北)千住の所在地は、今は隅田川と荒川放水路に挟まれた地域に    あります。    日光街道でご府内を区切る宿場は江戸びとのいう大川を越えた向こう岸であるということで    しょうか?  4. その当時の千住大橋付近の隅田川は江戸府内を区切るものではなかったという理解でよろ    しいでしょうか?   (余談:偶然にも品川宿には鈴が森があり、小塚原が千住には近いですね。)  5. 今は荒川をまたいで千住新橋がありますし、それに平行して綾瀬川があります。    江戸時代はそこら(足立区と葛飾区を区切る河)がご府内を区切る河になっていたのでしょうか?    そうだとすると、墨田区の向島もご府内になりますね?  6. お江戸の人口増加と開発が急速で、与力と同心は所轄地域の拡大に困惑したそうです。    そして自分達の所轄地域はどこだ、って聞いたそうです。    そしたら若年寄から裁決があった、“川の真ん中だ”、と。     i. その川って隅田川でしょうか?それとも荒川でしょうか?     ii. どこらあたりの隅田川、或いは荒川でしょうか?  (なお、私は以下で荒川の情報を得ています。)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D_(%E9%96%A2%E6%9D%B1)#.E8.8D.92.E5.B7.9D.E6.94.BE.E6.B0.B4.E8.B7.AF    *このURLでの“完成後”という項目に隅田川と荒川の区切りが出ています。  すみません、どうぞよろしくお願いします。  与力と同心の陳情の話をどこかで聞きかじりました。  しかし今になって、それがどこの辺りのなんていう川だったかを聞いていなかったことに気付き、悩んでいます。   

  • 江戸時代に農民が幕府に税金を払っていたのは何という

    江戸時代に農民が幕府に税金を払っていたのは何という税金だったのでしょうか? 固定資産税というのは存在しましたか? それとも農作地に対しての税金ではなく、収穫分の何%を納付するみたいな契約だったのでしょうか?

  • 江戸時代に宮将軍が考慮されたというのは真実か?

    江戸時代の5代将軍に関する質問です。 江戸時代、4代将軍である徳川家綱が子がなく死去した際、時の大老・酒井忠清が有栖川宮幸仁親王とかいう宮将軍を迎えようとしたという話を聞きました。 酒井忠清が綱吉を将軍にしたくなかったために、鎌倉時代に宮将軍を迎えていたという話を持ち出したそうです。 しかし、初めての武家政権であり、武士の地位がまだまだ低かった鎌倉時代とはわけが違います。 また、江戸幕府には鎌倉幕府の北条氏に当たるような存在もありませんでした。 鎌倉幕府は北条氏の力があったから開けたのですが、江戸幕府開府にあたってはそのような存在はありません。 江戸時代のトップは東照大権現の正式な子孫のみがなれるはずです。 綱吉を将軍にさせたくなかったとしても、綱重の嫡男・綱豊、尾張の綱誠、紀州の綱教がいます。 宮将軍を迎えるくらいなら、家康の男系の直系子孫である水戸藩主を将軍に押した方がずっとましです。 徳川家康を神と称え、徳川に忠誠を誓っているはずの、徳川譜代の大老・酒井忠清が5代将軍に宮将軍を迎えようとしたという話は真実なのでしょうか?

  • 皆さんの・・「 警察24時!! 」・もし江戸時代なら・・?

    皆さんの・・「 警察24時!! 」・もし江戸時代なら・・? 皆さんこんにちは!!いつも回答下さるみなさま、ありがとうございます 本当に楽しく回答を読ませていただいています。 よく、警察が取り締まる2時間の番組が放映されますよね 僕も好きでよく見ています。 もし、時代は「江戸時代」と仮定してなんですが(笑)・・・ 捕まえた犯人を身近な人にたとえて、どんな罰を与えますか 政治家でも、職場の上司でも、芸能人でも誰でも結構です 総理〇臣には市中引き回しの刑とか(笑)・・勝手につけて下さい あくまで当時にもあったかなって思う罪でお願いします 思い浮かばない場合は勝手につけて下さいね。 対象人物は現在でお願いします 罪びとを許さない・正義感の強いみなさん、お答えお願いできませんか よろしくお願いいたします!

  • 江戸時代、天皇は何をしていたのか?

    江戸時代の政治の実権は幕府にあり、朝廷はお飾りのような 陰の存在でした。 江戸時代の将軍家は15代ですが、天皇家も15代です。 並べると以下のようになります。 家康  後陽成 秀忠  後水尾 家光  明正 家綱  後光明 綱吉  後西 家宣  霊元 家継  東山 吉宗  中御門 家重  桜町 家治  後桜町 家斉  桃園 家慶  後桃園 家定  光格 家茂  仁孝 慶喜  孝明 さて、これらの天皇たちが何をしたかは一般的にあまり知られていません。 歴史教科書に登場するのは光格天皇の「尊号一件」ぐらいでしょうか。 江戸時代における天皇・朝廷の何か印象的なエピソードがもしあれば 教えていただけますか?

  • 辻斬りの語源を教えてください。

    辻斬りとは武士が刀の切れ味を試し、また武術を磨くために、夜間、路上で行きずりの人を斬ったこと。また、斬る人。江戸初期横行し、幕府は禁令を出して引き回しの上死罪としたそうですがそもそも語源というがこの言葉の由来を知ってる方おしえてください

  • 江戸時代。高山陣屋の正式名。

    高山市の観光名所の一つである「高山陣屋」は、江戸時代にも「高山陣屋」と呼ばれていたのですか。 地元では単に「役所」と呼ばれていたと思いますが、幕府の勘定奉行支配下の組織ですから、組織としての正式名は何ですか。 例えば「高山代官所」とか、あるいは安永6年以降であれば「郡代役所」とか。 よろしくお願いします。