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リストカットは自己陶酔しているのか?

 ある知り合いがリストカッターです。  その生い立ちを聞いてみたら、やはりその原因にあたるものが幾つかありました。まず、彼は正直・・・「不細工」です。身長も低く太っていて顔も豚そのものといいいますか・・・。本人もそれを認めいますが、何故か自身満々で美意識は高く「自称ホスト経験有りのモテ男」ですが。中学校では男子から容姿の為に虐められて、高校は受験せず途中から定時制高校に通ったそうです。で、彼の言動に違和感を感じる点があるんですが、なんだか「自慢げ」にすべてを語るんです。  このサイトでも「リストカットをしている自分が好き・親が辞めろと言っているが辞めたくない」みたいな普通じゃない感覚の投稿を見た事もありますが、彼もリストカットした傷跡を積極的に見せたり、なんか「昨日もリスカしちゃってさ~」なんて軽い乗りで話すんです。その様は「昨日二時間してなくてさ~」的な苦労自慢に似たものを感じます。  一概にリストカットといっても泣きながらしている人もいれば、悪魔崇拝的なバンドのおっかけをしていて、その世界観にのめりこんでしまって血を出したいなどさまざまだと思うんですが、この「不幸な自分に統帥する心理」は一体何なんでしょうか?。具体的な研究がされているのならば、その定義名称などを知りたいんですが。  あと、僕も彼と同じような人生です。不細工だし、家庭・学校環境に恵まれなく高校中退者です。そんな自分は毎日「こんな自分じゃ自信が持てない・・・と」伏せ目がちに生きているんですが、似たような境遇でもこれだけ自意識の差が出てしまうのはどうしてでしょうか?。いじめられて自殺する人もいれば報復に出る人もいますが、それと同じようなものなんでしょうか?。

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回答No.4

No.1です。追記です。 もうひとつ思いつきました。 (5)好ましくない(と思い込んでいる・刷り込まれている)自分を受け入れることができな くて許すことができなくて、理想の(と思い込んでいる)自分が、好ましくない(と思い 込んでいる)自分を、罰していないと気がすまない・自分を保っていられない。 ・・・という人もいると思います。 いずれにせよ、今のところ、本人にとって、大切な表現方法で、必要なのではないかしら。 他の表現方法を手に入れて、それを受け取る人を手にいれたら、手放すんぢゃないかしら。 あと、「昨日リスカした」と報告してくるということに、救いを感じます。 歪んだカタチで助けを求めている・クライシスコールを上げているように見えるからです。 人が見ているところでできるなら、そうしたほうが、もっと伝わると思います。 (※リスカを奨励しているわけぢゃないです。) 想像で書いていますが、たいていリスカは、マイナス感情の爆発だと思います。 たまには、受け取ることができる人もいるのではないかと思います。 受け取ってもらうほど、安心して表現できるようになるのではないかと思います。 安心して表現して行くほど、表現方法が洗練されるのではないかと思います。

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  • hakobulu
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回答No.3

>いじめられて自殺する人もいれば報復に出る人もいますが、それと同じようなものなんでしょうか?。 という点は、いいところを突いていると思います。 なぜなら、自殺は自分に対する最大かつ決定的な攻撃ですからね。 リストカットについて詳しくは知りませんが、 「>不幸な自分に陶酔する心理」について少し述べてみます。 もっとも可能性の高い理由として、「誰かへの当てつけ」ということが考えられるように思います。 また、もっとも可能性の高い「誰か」とは親である可能性が高いと考えます。 我々は、全く無力な存在としてこの世に生を受けます。 「全くの無力」は死を意味しますが、それを補い守ってくれるのが親であり、また、自然発生的な愛情が付与されるのが通常の親子関係でしょう。 ただ、親という人間が初めからいるわけではありません。 彼らも元はただ一人の人間であったにすぎないわけです。 当然、彼らなりの過去を背負っていますし、中には背負いきれないまま親になる方も大勢いることでしょう。 とはいえ、それが人間の普通の形態ということもまた事実です。 完璧な人間など存在しないのですから。 しかし、彼らが全く無力な存在に及ぼす影響は良きにつけ悪しきにつけ、甚大なものがあります。 中には支えきれずに、自己の崩壊寸前の状態で親からの影響を甘受する経験をせざるを得なかった人もいることでしょう。 こういったことは、不幸にして常態的に発生していますが、その負の記憶が後の人生に大きく関与してくるのではないかと思います。 ただ、伏し目がちに生きているか、軽いノリで生きているかということだけで自意識の形態を判断するのは非常に難しいでしょう。 不幸を当てつける目的の人が、その不幸を大っぴらに開陳するか、さりげなく巧妙な手順で(本当は知られたくないような振りをして必ずわかるように)示すか によって、その傷の深さを判断するのが難しいのと似ているかもしれません。 ◇ ところで、 >不細工だし、家庭・学校環境に恵まれなく高校中退者です。そんな自分は毎日「こんな自分じゃ自信が持てない・・・と」 伏目がちに生きておられるそうですが、そのことについて少し述べてみます。 端的に言えば「心のバランス」が崩れていると申し上げてよいかもしれませんね。 なぜ崩れるのかと言えば、これはqqkxさんに限ったことではないのですが、殆んどの場合、 『イラショナルビリーフ(誤った思い込み)』による場合が殆んどであろうと私は思っています。 つまり、論理的な考え方ができなくなっている、ということです。 人間は感情の生き物ですから止むを得ない面も確かにあるのですが、それが決定的な自己の可能性の喪失につながる前に自ら何とかする必要があるでしょう。 その知り合いの方とは共通する欠点があり、「同病相憐れむ」といった風情で傷をなめ合っているのだと思われますが、それをまずお止めになった方が良いでしょう。 付き合いをやめるという意味ではなく、傷をなめ合うことを止めるということです。 なぜかというと、それは、欠点ではないものを欠点だとしているイラショナルビリーフをさらに強化することになるからです。 冷静になって良くお考えになればわかりますが、あなたの挙げたことが欠点だというのもイラショナルビリーフ、誤った思い込みの一つです。 不細工だということを気にするのは、ご自身が器量で人間を評価しようとする姿勢があるからに他なりません。 高校中退? 確かにいろいろな面で不利はあるでしょうね。 しかし、世の中で全く何の不利もなく生きていく人が果たしているとお考えでしょうか。 何ひとつ不自由のない天皇さんだって、あれはあれで(と言ったら失礼ですが)自由というもっとも大事な要素で大きな不利を被っていると思いませんか。 不細工だといい女と一緒になれないとお考えですか? 高校中退だと一生下積みの生活だと思われますか? 世の中をよく観察すればおわかりになるはずですが、それもまたイラショナルビリーフでしょう。 よくお考えになれば、さらに次のようなこともご理解いただけると思います。 つまり、 自己陶酔していらっしゃるのはあなたご自身である、ということが。

noname#21093
noname#21093
回答No.2

知り合いさんにある病名が浮かびましたが、 削除対象になりそうなので、敢えて書きませんね。 「不幸な自分に陶酔する心理」は、その病名が 関係しているのではないかと思います。 質問者様の仰るとおり「自己陶酔」の要素が かなり高い知り合いさんだと思われます。 私は数人の自傷経験者を見てきましたが、 知り合いさんのように「自慢」する方から 必死に傷を隠す方まで、様々です。 瀉血したい、と言っていた方もいます。 (この方は傷を隠す派でした) カラオケボックスで楽しんで歌っている最中に 「すっごく切りたくなった~!」とやらかした方もいます。 (この方は傷を自慢する派でした) 参考になれば幸いです。

回答No.1

リスカの目的にもいろいろあると思うのですが・・。 (1)血や傷を人に見られることで、同情を引く。かまってもらう。 (2)することが無くなったり、自分が何かの役割から解放されたり、自分を制御する檻から 解放されたりしたときに襲ってくる「空虚感」や「ここはどこ?私 はだれ?」の感覚や「不 安」や「焦燥感」や「自分が消えてしまいそうな」感覚・・・に抵抗するために、わざと 「痛み」を感じて、自分の存在を認識、実感する。 (あまりに「生きている実感」「自分感(?)」を失った人は、「痛み」「苦しみ」でさえ、 「感じること」ができるということに、安心します。) (3) (1)に似ていますが、死にますよ、という脅迫。威嚇。助けてくれ、というメッセージ。 (4)単純に、血を見ることや、痛みに対する快感。 ご質問のケースの場合、(2)の要素が強いんぢゃないかしら。 「自慢」に関しては、それまでに「認められた」とか「肯定された」とか「歓迎された」 とか「褒められた」とか「承認された」とか、そういう経験が少ないなら、それを求める のは当たり前なんぢゃないかと思います(聞いてやってる方、お疲れ様です。)。 確かに「自慢」は、あまり良い方法ではないとは思うんですけどね。 もう少し素直な人は、素直に「認めて~褒めて~」と訴えると思うし、もっと素直な人は、 素直に自分とか他人を信用してるだろうからそうする必要もないだろうし。 >不幸な自分に陶酔する心理 :成功恐怖?とも思ったのですが、防衛機制の一種かな~とも。 自分から「自分は不幸だ」と言うことによって他人から「かわいそう」とか言われること を防いでいるとか。あるいは、自分の不幸を「不幸」と感じないように、感情を鈍磨させ ているとか。あるいは、「認めて~褒めて~」と訴えて、それを拒否されることを回避して、 不幸を決め込んでいるとか。あるいは、「不幸ぢゃない自分」を経験したとして、その喜び を喪失することを恐れて固まっているとか。 >似たような境遇でもこれだけ自意識の差が出てしまう :「伏せ目がち」も「虚栄」も、方法が違うだけで、目的は似たようなものぢゃないかしら。 「虚栄」だって、自信のなさをごまかすためですし。 

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