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自由意志と心身二元論

自由意志と心身二元論は両立しないようですが、その理由としてどういうことが考えられるでしょうか?

noname#37042
noname#37042

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noname#21336
noname#21336

こんにちは。 心身二元論ということは心と身が互いに依存し合うことがないということですので、そうなると心の属性である意志は身体の行為に対して何ら責任を持ち得ないということになるからだと思います。

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質問者からのお礼

お礼文が送れて申し訳ありません。 >責任を持ち得ないということになるからだと 明瞭簡潔にお応えいただきありがとうございました。 又よろしくお願いいたします。

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  • 回答No.2

心身二元論ということを、もっともはっきりと打ちだしたのはデカルトです。 デカルトは「精神」と「物体」(身体)を厳しく峻別します。 精神と物体は、それぞれに独立した「実体」(まったく独立に存在するもの)であり、互いに依存しないと考えました。 精神の「属性」(「実体」の本質をあらわすもの)は思惟です。つまり、考えると言うことです。その「様態」(「属性」を予想して初めて考えられる二義的な性質)は感情・意志・表象・判断などです。 物体の「属性」は延長で、その「様態」は位置・形状・運動にある、とデカルトは考えます。 物体が動いているのはどうしてか。 それは、あたかもさまざまな歯車が組み合わさって時計が動くように、法則に従って動いているのだ、と考えます。 デカルトはそもそも自然を客観的に研究する、という目的があった。 そのためには、観察対象から「霊的なもの」を切り離す必要があったわけです。 そのうえで、人間以外のすべての動物の身体も、機械的運動によって反射的に動いているにすぎない、と考えた。動物の身体は、精神の存在なしに働く機械であると考えたわけです。 デカルトは、このように機械論的自然観を主張しました。 つまり、自然界の一切の変化は、物体の運動によるものであり、あらゆるできごとは、結果やそれを引き起こす力を、もともと含む原因によって引き起こされる、と考えた。 ところがこれでは人間の行動を説明できません。 人間の行動には人間に対しては、精神と身体の結合を認めないわけにはいかなかった。 そこで、人間は特殊、精神と身体が完全に合一して生まれた存在であると仮定するのです。 脳の「松果腺」においてこの精神と身体が結びついている、と仮定するわけです。 そのような合一から、 1.飢えや渇きなどの欲求が生まれ 2.怒りや喜びのような感情が生まれ 3.快苦や色、味、香りなどの感覚が生まれる。 これらは精神のみに属するものでも身体のみに属するものでもなく、精神と身体の結合から生じる(『哲学原理』)。 このように心身二元論をとなえたデカルト自身が、たとえ「松果腺」という一点であっても、両者の交渉を認めてしまったわけですから、厳密には二元論ではなくなってしまっている。 それでも精神と身体を「別のもの」と見ようとする動きはデカルト以降も続いていきます。「主観」と「客観」というもんだいの立て方にしても、主観=精神であり、客観=物体、という見方であって、心身二元論のヴァリエーションといっていい。 いっぽう、自然科学のほうでもこちらの方面でもデカルトの敷いた路線、機械論的自然観に即して研究が続いていく。つまり科学の側も、対象を「霊」だとか「神」だとかと切り離し、あるいは肉体をも「精神」とは切り離して「物体」として扱うことで、学問を進めていった。 それが近代から現代にかけて、一元化していく思想の流れ、あるいはまた二元論に戻っていく動きに関しては、市川浩『精神としての身体』に簡潔にまとめてありますので、興味があればお読みになってください。 「自由意志」とは、かなり曖昧に使われやすい言葉なのですが、哲学的に定義づけると、正確には、先行する何らかの原因(運命、神、因果律など)によって強制されず、意志決定し行動することができる、ということです。 なんらかの原因となることはあっても、結果になることがないのが「自由意志」であるともいえる。 「××の結果、自由意志が生まれた」となると、それはもはや一種の因果関係のうちに生まれたことであり「自由意志」ではなくなってしまう。 デカルトのいう機械論的自然観とは、あくまでも、「無」から「有」は生まれない、とする立場でもあります。あらゆることにその「素因」を見つける。 けれども「自由意志」は結果ではない、つまり、「自由意志」がどこから生まれたかを説明はできない。そんなものを認めることはできないのです。 ところが自由意志を認めないとすると、人間の道徳的な問題を問うことができなくなってしまう。あらゆる行動の責任を、その人に求めることができなくなってしまう。 ですから、哲学の領域では心身二元論と自由意志の問題をさまざまに折り合いをつけようとしてきました。 スピノザは、「自由意志」を「自己決定」というふうに読み替えましたし、カントは実証はできないけれど(実証しようとすると二律背反に陥る)、道徳のために、「要請」されているのだ、と言った。 おおまかなところをいうと、ここらへんになります。 質問者さんがどのくらいの知識をお持ちのかたかよくわからなかったので、もしかしたら必要もないことをたくさん書いてしまったかもしれません。 不要なところは読み飛ばしてください。 あるいは、もう少しここらへんが知りたいという箇所があれば、わかる範囲で対応します。 ただちょっと忙しいので、遅くなるかもしれません。

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質問者からのお礼

ご丁寧にお応えいただきありがとうございます。 デカルトや心身二元論の欠陥を明瞭にご指摘いただきました。 スピノザの一元論も同様だと思います。 又よろしくお願いいたします。

質問者からの補足

ご丁寧にお応えいただきありがとうございます。 デカルトや心身二元論の欠陥を明瞭にご指摘いただきました。 スピノザの一元論も同様だと思います。 又よろしくお願いいたします。

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