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内省的、内向的、人見知りな方々に質問
20代の今でも性格を変えることが難しい、三つ子の魂百まで、なんだなぁ、と実感しています。もちろん、努力はしています。しかし、やっぱり、元来外交的な人に比べると、自分てどうして(こんなに「話すことへの欲求が少ないのだろう」)…って思います。 外交的な人と比べれば断然内向的な人というのは、コミュニケーションを取りたい意欲が薄い気がします。小さい頃、絵を描いたり、美しい景色やものを鑑賞して過ごすのがとても好きでした。誰しも、そういったときには言葉がいりませんよね?(私は不思議なことに、文章にしたら結構よく話すのです。筆まめですし。文章にするとこれだけ徒然なるままいろいろ話せるのに口から出るのが少ないのは、不思議です。) ほかの内向的な皆さんはどう思っているか聞きたくて質問にきました。 社会では、特に、子供をもつ親となったり、ビジネスにおいては、コミュニケーションはとても大切なことですよね。 皆さんは、自分のコミュニケーションの下手さ、あるいは、コミュニケーションを取る以前に、コミュニケーションをとる気力の薄さについて、「問題」として認識したことはありますか? 私は挨拶や最低限のコミュニケーションはしているのですが、どうも、ぱはり、外交的な人と比べると、自分は口数が少ないんです。今では、あまりなじみのない人にでも心を開くことも前より簡単にできるようになりましたが、どうも、「話す」「話を交わす」ということに、あまり重点をおけないのです。これも、美しい空や雲、星、美術をみたりすることが好きで、はたからみるとぼうっと時間を過ごすことが多かったせいかな、と思います。 皆さんはどうですか?私の時間の過ごし方といえば、内向的な過ごし方が多いのです。読書も好きですし。
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質問者が選んだベストアンサー
40代半ばの女です。 浅い付き合いの人は誰も わたしを「内向的」とは思わないようです。 とりあえず、必要なコミュニケーションは 滞りなくとれるし、その場では 大変明るい人間を演じられるからです。 私は教師です。 大学やカルチャーセンターなどで教えています。 時に大教室で数十人を相手にしても 話すし、笑いを取るような授業も展開します。 しかし、 芯の部分が実に静かで内向的であることを 家族は知っています。 家庭内では、無口といわないまでも おしゃべりなほうでは全然ありません。 何時間でも黙って過ごしています。 もっとも、質問者さんが言うような 「ぼうっと時間を過ごす」ことは私の場合はないです。 夫は私を 世界一働き者の女 と言います。 いつも何かしています。 しかしそれらがすべて、黙ってひとり集中するような ことばかりなのです。 料理・お菓子作り・洋裁・編み物・他の手芸 庭仕事・絵画鑑賞・登山・水泳・掃除 もちろん、一種の学者稼業ですから 研究や読書の時間も多いです。 パソコンに向かっての作業も多いです。 それらを静かな音楽を流しつつ、 黙々と取り組むのがわたしです。 たのしいです。 職場での私しか知らない、学生さんや職員さんは 家庭での「真の私」の姿におおいに驚かされるようです。 いつぞやは、電話に出たのは私なのに声のトーンが 違ったらしく 「すみません、間違えました」 と切ってしまわれた 人もいました。 話すことへの欲求はきわめて少ないです。 必要な会話はこなしますが こちらから積極的に話しかけるのでも 心を開いているのでもないです。 心には鎧をしっかり着たまま、 人間関係に、あるいは仕事に支障を来たさないよう 話すだけです。 だからひとりでいられる時間が いちばん心休まります。 あまりに長時間だれかと居ると ひどく疲れてしまいます。 苦手なのはいきなり 「先生、お昼でもご一緒しません?」 と カルチャースクールの生徒さんたちに誘われちゃうこと。 食事まで誰かと一緒になると、 食べ物は何の味もしなくなり 私は疲弊してしまいます。 でも、お誘いは断わらないようにしていますが・・。 質問者さんはなにか問題が生じて お悩みなのでしょうか? 内向的というのはいけないことでしょうか? 反社会的なほどでさえなければ 静かに美しい空や雲、星、美術をみたりする過ごし方 は、とてもステキなことだと思います。 いろいろな人がいて、いいと思います。 子供を育てるのに、特に困ったことはありませんでした。 子供たちはそれぞれ友人の多い明るい子です。 「静かな」 と 「明るい」 は 相反することでもないです。 家族はみな、必要充分に明るいですし、かつ 静かです。 うちにはTVがありません。 理由は、家族全員が あのやかましいキャスターの語りを聞きたがらないからです。 家族の食事は、TVもなく、おしゃべりも少なく 静かにしかし穏やかに過ぎます。 私の母親は、大変にぎやかな外交的な人で、 それゆえ、私の静かさや友人の少なさを嘆いていますが 友人の量など他と比べて云々言うものでもないでしょう。 必要だと感じるだけの友人がいれば それで幸せです。 そして、ご覧いただくとわかるように、私も 書き言葉では饒舌です。 文章にすればかなり話し、筆まめ。 文章にすると徒然なるままに語りたいことは いくらでも沸いてきます。 お仲間ですね。 わたしは全然なやんでません。
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- vgy75thn
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バイクを駆る、スピードのあるメタルを聴く、メタル聴きながら散歩することが主な趣味です。たまに銀座まで遠出して画廊を廻ります。 話すことがなくて少し困ってます。 言葉以外のコミュニケーションも開発してゆきたいと思います。 今、思いついてるのが、バイクの後ろに乗せて走るだけってのはどうかと思っています。 対人難しいです。
お礼
ありがとうございました、お礼がずいぶん遅くなり申し訳ございません。 私もギャラリーをめぐるのは大好きです。 私も話すことがなくて困ります。。。 言葉以外のコミュニケーションを開発する、ですかぁ。 そうか、コミュニケーションって言葉だけじゃあないんだよねって今、気づかせていただきました。ありがとうございます。
- skyshirt
- ベストアンサー率27% (6/22)
わたしもな内向的な性格です。読書、音楽を聴くこと、映画を見ること、ピアノなどが好きです。人といるより一人でいたいと思う時もあります。 友人が少なくて悩むこともありますが、少なくても自分を受け入れてくれる友人がいれば良い、と思えるようになってきました。 内向的な性格ですが、あえてアクティブな部活に入りました。体を動かすと楽しくなるし、一歩踏み出せるようになります。 コミュニケーションが下手なのは元からなので、仕方がないかなと思っています。だから意識して、最低限よりもうちょっと話すことを心がけています。ちょっと背伸びをしてみるのは良いと思いますが、内向的な自分も自分なので、なくさないで欲しいです。プラスの部分もあります。 社会に出たら損だと感じるようになるのでしょうか…
お礼
skyshirtさんごかいとうありがとうございます。 やはり、社会に出ても、私は内向的な部分が自分の性格の中心に大きな根を張って居座っている、そんな感じで、性格ががらりと外交的になることは今のところありません。外交的にがらりとかわることを期待していたのですがね。 やっぱり、一人でいる空間が、心地いいです。 ピアノ、いいですね。私も、読書、音楽、映画、どれも好きです。私は、美しいものを眺めるのが好きだし、動物をかわいがっているのも好きで、そういうのを楽しんで時間を過ごしているときって(動物は違うかもしれませんが)、言葉があまり必要ありませんよね。 自分が自分のままで(他者にできるだけ迷惑をかけないで)いれる環境でゆったりと過ごせたら、気持ちいいですよね。 でもやっぱり、職場では、自分からなじむ行動をとることがなかなかできません。(自分が受け入れる側だったら、新しい人にトイレの場所を教えてあげたりとあれこれ声をかけたりする方なのですが、派遣という立場だから受けいれられる側で…今も--いい上司のいる派遣先に今度はあたりましたが---周囲との関係にちょっと寂しい思いをしています…。) skyshirtさんも努力して、がんばっているのですね!私も、がんばったりすることもありますが、なかなかその一言も、相手によってはかけにくかったりします。それで、一言かけられなかったときは、すごく悩んでしまいますねぇ。。はぁーやっぱりああいった人は私と話したくないんだな、みたいに。。まぁみんなと仲良くすることを目指したら、がんばりすぎて疲れてしまいますよね。 でも、この悩みも、結局私が私をいかせる職場に出会ってないのかな、とも思います--翻訳だったら性格に合っているけれど、私は今営業部にいるので、これがそもそも悩みの発端なのではないだろうか、翻訳ができる力をつけて翻訳として雇ってくれる就業環境だったら、人と軽口をたたけないという悩みも今より和らぐかなぁ、と思っています。(その反面、養老さんの本にあった「天職を探すべきではない、社会にあいている穴を埋める仕事をすることが大事で、穴を埋めようと努力することでそれが自分にとって適した職業になる」というようなことばがありましたが、その言葉もその通り、と思っています。)
- child74
- ベストアンサー率24% (8/33)
すいません。社会にも未だ出ていない学生ですが、回答させていただきます。 質問者様も含めて、皆さん、お強いですね。 僕はかなり内向的な性格で、仲が余程良い友達でないと 挨拶や最低限のコミュニケーションさえ躊躇してしまうという感じです。(異性になるとそれが顕著に現れます) なので友達も少ないです。 僕も割と一人でいるときに音楽を聴いたり、本を読んだり、絵を描いたり(これは子供のときです)することが好きですが、 仲のいい友達と、自分の好きな話題で話をしたり、話を聞いたり、遊びに行ったりすることも好きです。(他の学生さんたちよりは遊ぶ頻度は少ないみたいですが) なので、やはり友達が少ないことに、とても劣等感みたいなものを感じてしまいます。正直内向的な自分が嫌いです。 僕はコミュニケーションをとる気力の薄さも多少ありますが、それ以上に取れなささ、が問題になっています。 無理をしなくてもよい、このままでいい、と自分に言いかけて、そういようと思っているのですが、なかなか上手くは行きません。 大学の講義でも社会に出てからのコミュニケーション能力の必要性を教えられているし、 実際、僕自身も必要なのかなと思っているので、このままでいいのか?と考えずにはいられません。 話すのも苦手だし、この文章を書くのでさえかなり時間を費やしています。 しかし、他の方が言うように、これは若いから、ということなのでしょうか。 また。大勢いる飲み会で騒いで楽しめる人たちは、どうしてあんな風にできるんだろう?と僕も不思議に思っています。 その反面、そうなりたいと思っているところもあります。 自分にないものを欲しがって、外向的な人を羨ましがっています。 話がだいぶずれましたが、時間の過ごし方といえば、 最近はパソコン、音楽を聴く、本を読む、楽器演奏など一人でできるものに偏ってきています。 質問に対応した回答になっているのか少し疑問ですし、それにかなり暗い内容になってしまいました。 申し訳ありません。長くなりましたが、これで失礼させていただきます。
お礼
child74さんご回答ありがとうございました。たくさんのお気持ちを書いてくれて、うれしいです。ただ、仕事の面でいろいろと準備が忙しくて、お礼がかけずにいました。みていてくださるといいのですが…。遅れてごめんなさい。ありがとうございます。 child74さんのお気持ち、すごくよくわかります。なんだか、私をみているみたいです楽器演奏はできませんが…。(でもピアノを習ってみたいです、いつか!) 相手に遠慮して、なかなか声がかけられません。自分がこうしたい、と思うことより、相手が自分をどう思って自分とどう接したがっているのかを優先してしまうので、お昼休みに誰かを誘ってみようかな、と思っても、やっぱり相手の気持ちに遠慮してしまって、誰にも声をかけずにお昼にいってしまいます。まぁ楽といえば楽です、一人だから、比較的満杯のお店にも席が容易に見つかるし、したいように行動できますからね。でも、正直言うと、たまには仕事上の情報交換をしたりとか、仕事をする上で同僚を知っておきたい、という気持ちはあります。 childさんなりに生活を楽しんでいるようで、よかったです。私も、中学生の頃、そのときの親友とは本当に打ち解けられていて、楽しくて、特に、自分の好きな話題では盛り上がりました。 私の場合は、気力の薄さととれなさ、どちらかといわれると、薄さのほうに問題があるかな、と思います。コミュニケ-ション能力も、経験がものをいうかなぁ、と思っているところがあるので。 おそらく、childさんも、社会に出て、仕事をこなしていく上で、徐々に、社会人としての対応が身に付いていくと思います。なので、希望を持って社会人になってほしいなぁ、と思います。 私はいまでも、相手とすんなりうちとけて「騒げる」「盛り上がれる」人たちをみていてとても不思議です。すぐにそういう盛り上がる場所に参加できる人が、私もうらやましいです、今でも。 暗い内容とは全然思いませんよ。暗い、という言葉は、それこそ外交的で騒ぐことの好きな人のいう偏見の言葉だと感じます(この私の言葉も偏見かもしれませんね)。 …私はやっぱり、飲み会では静かに飲んでしまうなぁ…。騒ごうとおもっても、あんなに大きな声も出ないし、周囲のにぎやかな声や音に、圧倒されてしまって、ついつい聞き入って黙ってしまいます。 性格の差は大きいですね。
- HoneWin
- ベストアンサー率30% (6/20)
poisson さん、レスありがとうございます。HoneWin です。 人の気持ちを考える余裕がある・・・それはとてもとても いいことですね。すごくうらやましいです! (私は・・・わけあって、それがすごくかけていると思います・・・) ただ1つ心配なのが、相手のことを考えるあまり 自分の言いたいことを過剰に抑えていないかどうか、です。 生きていく上で自己主張はどうしても必要です。 相手を傷つけないために必要なことは "言い回し"です。同じことを言うのでも、 キツイ言い回しをすると相手は傷つきます。 でも、相手を納得させる言い回しもあると思います。 また、言い回し云々でなく、どうしても意見自体が 食い違い、それが相手を傷つけてしまう可能性もあるかもしれません。 でも、そんな時でも、安易に自分を抑えないでください。 相手がどうあろうと、poisson さんの考えは poisson さんの考えで素晴らしいものであるはずですから。
お礼
HoneWinさんありがとうございます! 余裕がありすぎるというのもよくないことですね、ビジネスでは。電話応対にしても、会社側の利益に支障がないように、適当なときには相手の言葉をうまくかわしたり遮って痛いところをつかれないようにして上手く対処している方が多くて…。 おそらく、私と同じ能力をもっていても他の方の方が、主張しているのでは、と思います。それくらい、自分は何でもっと肝心なことをいわなかったんだ、と後で後悔することが多いです。なぜか、自分の言葉を飲み込んでしまうのです。後で考えると、その飲込んだ言葉が大事な言葉だったりして…。だから、派遣会社にもいいように使われてしまうのかなぁ。 最後のお言葉、ありがとうございます。人の立場に立って、かつ自分の考えも上手く主張できるようなバランスのとれた人間になりたいです。
- kumagorou2004
- ベストアンサー率53% (7/13)
40代の男です。 内向的な性格のエンジニアです。私も一人机に向かい設計を進めるとき、好きな本を時間を忘れて読んでいる時が一番楽しく、自分らしい充実した時間の中にいると感じます。 一方、宴席に出るとき、周りの人がなぜあんなに明るくにぎやかに話しているのか若い頃は本当に不思議でした。 周囲の人と楽しい時間を過すためににぎやかな雰囲気も社会人の努めだという考え方にたどり着いたのは、随分思い悩んだ末のことでした。 外交的な人たちが何の疑問も持たずスーッと入れる宴席に入るのに社会人になってから何十年もかかった自分に嫌気がさしたときも多々ありました。その人たちの楽しそうな団欒、フレンドリーな雰囲気を横目で見ながら孤立感、疎外感を感じ、あせったことも多々ありました。特に20代は自分の性格をもてあまし、自己否定の日々でした。 その反面、内政的な性格がうまく作用して、楽しいと思うことを積極的に探し、それに取り組むことでワクワクする自分を育み、生きてきたという実感を持つこともできました。 ビジネスにおいては外交的な人は得だなという気持ちを持ちつつ、だけど内省的な性格も捨てたもんじゃないなという考え方ができる様になったのは40近くになってからです。 ビジネスといってもいろいろな世界があります。確かに外交的な人が目立つ分野が多いのはその通りです。『外交的に人脈を広げろ』というテーマは重要で広く言われていますが、『深く内省して仕事を極めろ』というテーマも重要です。 例えばスリムな人が横綱を目指すのはナンセンスです。スリムな人は自分の体格、性格に合った別な目標を創造することが重要だと思います。時としてその目標が時代のマジョリティーから外れることもありますが、結局は自分にあった目標が一番だと思います。 最近では自分の損な性格も得な性格も合わせて、損得を乗り越えてやって見ようという気持ちも出てきました。 最近の一番の関心事は息子へのイジメ問題です。彼も内向的な性格で中学に入ってから友達ができず、日々に自信をなくし、笑顔がめっきり減っております。 若い頃、私はなぜ宴席で皆があんなに明るいのか考えても考えてもわからないことがありました。しかしながら今、あれはあれでなかなかいいものだなと思います。1000の慰めの言葉より家内が作る明るい食卓の雰囲気が息子の癒しになっていることがわかりました。 若い頃、私は内向的な性格がいやでそのことを人に隠そうとしていました。しかし今、家内や息子の前でカミングアウトすることもできました。 「元気を出せよ雄介君。そんなに心配するな。がんばってやってればきっといいことがあるよ。」 内向的な息子の気持ちを理解し、長期の応援に家族で取り組むことができそうです。 若い頃いやなことがばかりに思えた自分の性格ですが、いい所も悪い所も合わせて、自分らしく生きてみようと思います。 年寄りの愚痴が長くなってしまい申し訳ありません。
お礼
kumagorou2004さん、親身なご回答をありがとうございました。 私は、完全に文系の道を歩んできましたが、性格的にはエンジニアのような非文系の性格です。エンジニアの方は、技術がないといけないので簡単にはなれないと思いますが、私もエンジニアだったら、もっと楽に生きれたのかなぁ、と思ってしまいます。 今こうして悩んで質問させていただいているのは、自分がどれだけ努力しても、残業ではない時間外にまで派遣の仕事をしていても、どうしてもやはり、人間関係に支障が出るのか、足を切られてしまうのです。。過去にも、バイトで足を切られたことがあるし、契約社員でも、更新されないことがあったからです。それも、大きなミスをしたという事実も理由もない足切りです。もちろん、更新を切れていただけたところもあるのですが…。 私も、宴会や人が集まるざっくばらんな席で、どうしてあんなに騒げるのか、明るくにぎやかになれるのか、盛り上がれるのか、と、毎回その席にいくたびに居心地の悪い思いをします。 温かいご家庭ですね。私の母親は、すごい外交的で人にもよく好かれる好人物ですが、父は、情が深くいい人間なのですが、ひとづきあいはよくありません。その父の血を、私はよくひいているのだと、感じています。イジメは本当に陰険で陰湿で嫌いです。なぜもっと生産的なことに時間を費やさないのか、きっといじめをする人たちは、自分たちより下位に人がいることでしか(人を見下すことでしか)心の空洞を埋められない人たちなのだろう、とずっと思ってきました。私は、さんざん陰湿な意地悪(陰口)に毎日学校や社会でも遭遇してしまうので、どんな嫌な思いをするかわかるので、自分がされて嫌なことは決して人にはしないようにしています。 こんな私が、いい会社に巡り会えるのはいったいいつの日なのか…。 kumagorou2004さんの息子さんへの励ましは、とてもありがたいと思います。ぜひ励まし続けて頂きたいと思います。 正直なお気持ちをお聞かせいただきありがとうございました。
- tr4
- ベストアンサー率27% (44/161)
お返事ありがとうございます。#6です。 少し思ったのですが、質問者様の頭の中には「こうあるべき私」という 自画像があるのだと思います。”理想の自分”ってやつです。 理想の自分とは、理想に執着している自分です。 その理想から離れることができない。 私はこうでなきゃ、いけないの!完成しないの!という いつも自分にダメ出ししているってことです。 この理想・執着は果てなく続きます。 そして、その自分はいつも”ありのまま”の自分を攻撃してきます。 私の知人に、立ち振る舞いや、所作、すべてにおいて、 スマートで、当たりよい、俗に言う、世渡りが上手な人がいます。 分析力にも長けているし、冷静で私はいつもその人を自分に無いものを 持っているので「いいな~、あんなにできたら」と思っていたのですが、 その人は、その人なりに、そんな自分に物凄い罪悪感を持っていました。 いくらそういう素質を持っていても、心の中は空洞だったんです。 その人はその人で、その人に無い物を、求めるんです。 そして、その理想に執着していくんです。 「私もそうでありたい」と。 隣の芝生は蒼いんです。 誰にとっても。 だから、自分の芝生の手入れだけ、していれば良いんです。
お礼
tr4さん、ご回答うれしいです。ありがとうございます。 理想の自分、といいますか、自分より社交性に富む好人物を目にすると、無い物ねだりをしてしまうのです。 あの人に近づきたい、ああできればいいのにって思うのですが、よいところを盗もうとしても、私とあの人ではやはり、人自体が違うので、難しいですね、結局、あの好人物のようにはなれないのです。自分の個性を大事に、というアドバイスも頂きましたが、そもそも「近づこう」と思うことが、ストレスを生み出しているのだと思います。 スマートで世渡り上手な人に、心の空洞があるなんて…想像もできません。要領が悪く不器用な私には、そんなスマートな好人物は、とてもすばらしい素質をもっていると思えるのに。 自分の芝生の手入れだけしていればいい(笑)、ですか。気が楽になる、まるで、ありのままの素朴な自然に価値を置く日本の庭園や日本文化を象徴しているかのようなお言葉、ありがとうございます。
- tr4
- ベストアンサー率27% (44/161)
”比べる”から苦悩が発生するのだと思います。 私も人と接するのが億劫で窮屈さを感じるときがあります。 ひとりで過ごす方が気も楽だし、質問者様同様、私も空を観る事が大好きです。 私も以前は質問者様同様、内向的な自分を卑下し、罰し、裁きまくってました。 でもそれは全て、”明るい・外交的→○””暗い・内向的→×”と、 評価し、比較してきた、自分の心の判別が自分の苦しみの原因だった。 ただ、それだけのことだったんです。 ではなぜ、内向的、内省的が悪いのでしょうか? それは、親や社会や自分の周りで幼い時から、それが悪だという 空論を、植えつけられた。。ただそれだけなんです。 なぜ、本当にそれがダメなのか、いけないことなのかという正論を 唱えられる人なんていないと思いますよ。 だって、悪いことではなく、ただのなんとなくの”傾向”に過ぎない だけなんですから。 苦しみを生み出しているのは、善悪を裁いている自分の心だと思います。 社会概念に歪められ、植えつけられた自分を縛りつけていても、癒されません。 ”ありのまま”の自分をどれだけ受け入れられるか?で人生は変わっていかようにも変わります。
お礼
tr4さん、そして、その前にご回答いただいた方皆様、真剣なアドバイスをありがとうございます。 確かに、比べないと楽ですね。それに、人間関係の上で楽に生きているようにみえる私より断然に社交的で外交的な方々にも、それなりの苦悩があるのかもしれませんね。(やめればいいのですが、やはり外交的に誰とでも上手くコミュニケーションがとれて、誰にでも好意をもたれやすく電話応対も臨機応変に上手にできる方には、ついついうらやましいという気持ちを抱いてしまいます…) ありのままの自分をどれだけ受け入れられるか、で人生は変わっていかようにも変わる…希望を持てるいいお言葉、ありがとうございます。 ありのままの自分を受け入れる、ですね。
- HoneWin
- ベストアンサー率30% (6/20)
#1 HoneWin です。 poisson さん、レスありがとうございます。(^_^) poisson さん、20代ですか?自己嫌悪、ですか? あたりまえでしょう。 自分が嫌だ、と思えるから成長できるんです。 (若いうちにそれがなかったら、返ってコワいかもしれません。) (サッカーの選手をひきあいに出してしまいますが、 アーセナルのティエリ・アンリ選手は、世界最強のストライカーの 一人ですが、"常に怒り--自分やチームに対して--を感じている"そうです。それが彼を一流たらしめているのでしょう。 自己の未熟さを常に認識することが自分を磨いていくのだと 思います。) でも、ただ、自分が嫌だ、嫌だと思い続けるだけでは しかたがありませんから、 "この嫌な自分をどうしたらよいのか?" ということに焦点をあてていくとよいのでしょう。 (poisson さんは、どんな自分になりたいのでしょう?) と、同時に、自分がどんな自分を愛しているのか 見つめていくこともまた大切です。(^_^)
お礼
HoneWinさんありがとうございます!! 自分が嫌だ、と思えるから成長できる…か。ちょっと前向きになれる言葉をありがとうございます。 とてもいいサッカー選手の例も、ありがとうございます。 自分は、もっとにこやかに周囲とてきぱきと「適当」にコミュニケートできる要領の良い人になりたいのです…。私は何につけても考え過ぎて、例えば他の人が軽くいっているような一言でも、私は自分が言うとき、こういったら人が傷つかないか気分を害さないかとかよく考えてしまうんです。ただ、この人間像は私の個性を奪うものかもしれません。 自分が自然にしているけれど、No4さんのように周りから一目置かれるような存在になれれば、自分の個性もいかせるしいいのですけれど…。 自分がどんな自分を愛しているのか…なるほど。私の場合は、美しいものを楽しめ、人の気持ちを考えるような余裕があることでしょうか。シビアなビジネス界では生き難いかも…。
50代 男性です。 自分は、決して外向的ではありません。でも、「内向的」というレッテルも貼ってはいませんが、質問者さんとの共通点は、たくさんあるように思います。 口数は少ないし、積極的に人と関わることを好みません。 なぜか、余計なことを言わないせいか、いつも回りからは一目置かれていたように思います。 進んで人の世話はしませんでしたが、求められたときは、いつも出来るだけのことはしてきました。 そうすることで喜んでいただくことが、とても心地よいことでした。 おそらく、人はある程度決まったキャラクターを持って生まれて来ているのだと思います。でも、その自分の個性を正しく知ることは難しく、自分にないものを求める余り、人生をつまらないものにしてしまう人も多いのだと思います。 2番目の回答者さんのように、無理なく自分の命ずるまま、自分に心地よい生き方の出来る人が”賢い”生き方ではないかと思っています。
お礼
mtst0210さんありがとうございます。 私は自分自身に内向的、というレッテルを貼っています。心理テスト(信頼ができるだけおけそうな有名なやつ)をやっても、かなり内向的な診断がでます。 喜ばれることって、うれしいですよね。 私も、できたお菓子を食べて「おいしい!!」と笑顔で喜ぶ人の顔をみるときはとてもうれしいです。自分は内向的だから、このように自分が直接ではなく間接的に、自分が作ったモノを通して人に喜んでもらえる仕事が向いているのかなぁ、と思いました。 二段落めのお言葉、納得です。自分にないものを求めるあまり、人生をつまらないものにしてしまう人も多い…。自分を愛することがまずなによりも大事なのですよね。
- chako3chako
- ベストアンサー率36% (268/743)
ふたたび、chakoです。 >悩まない、ということ、いいですね。 >私も、自分を受け入れたい、とは思うのですが、 >もっと人に認められ、うまくできる自分になりたい、 >と思うと、悩んでいます。 あ、それはね、まだお若いからです。 思春期の頃から長い間、悩むものです。 悩むことも大切な若さの特権です。 たくさん悩んでください。 自分の「なりたい自分」を思い描いてください。 そのうちいつの間にか すこぅしめざす自分」に近づき、 ありのままの自分でもいいのだと思えるように なります。 悩みは穏やかに消えて ありのままの自分・少しずつ成長する自分を 受け入れられます。 適した伴侶も 必ず神様が探して与えてくれるものです。 「人付き合いが下手でおどおどしやすいけど すごく誠実であったかい人」 と わかってくれる友人や人脈が少しずつ増えます。 だいじょうぶ。 明るい未来を夢見て穏やかにすすみましょう また、饒舌に書いちゃった。 ごめんなさーい。
お礼
chaco3chacoさん、ありがとうございます。ほんと、あたたかいですね。とてもとてもうれしいです。 悩みが上手く消化され、自分のすべての部分と仲良くおつきあいできるようになれればいいな、と思っています。そしてchacoさんの言葉を信じます。 批判されると私はとても弱いのです。思春期の頃は特に、大人になってからでも、容姿だけで人をいじめる人がたくさんいますよね。私は、性格的な部分は、十分に人を「傷つけないよう、思いやりを持って人を尊重できるよう」配慮してきました。そうはなっていなかったかもしれませんが、そう努力してきました。それは、両親が小さいときから思いやりもって他人に接することを私たち兄弟に辛抱強く説いてきたし、自分が実際に他人にされた心ない行為や言葉に大変傷ついてきたからです。 けれど、やはり、軽々しく口にする人はどこに行っても後を絶ちません。そんなとき、ターゲットにされる自分がとても歯がゆく思うのです。やりあってもしょうがないので、いつもどんなことをされても(身体的ないじめの経験はありませんでしたが)言われても、反応せず(心理的にはすごく悲しかったのですが)にただ辛抱してきました。しかしこれも、おかしなことに、年を取るにつれてなれてきました、ある程度は。仕方ないことをいっているな、という程度に受け止めています。 変なことを書いてしまったようですが… 適した伴侶も、運命なのですね。 すごく誠実であったかい人、とは、中学時代の親友に言われた言葉です。そう思ってくれるとうれしいですね。chacoさんも、文面からそのような人だと思います。だいじょうぶ、とのことば、なんだか母親に相談しているみたいで、とても温かく感じました。 謝らないでください。こんな公共の場で、親身なアドバイスを伝えていただき、とてもありがたかったです。
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お礼
chaco3chacoさん、こんなにたくさんのお気持ちを聞かせていただきありがとうございます!うれしいです。 なんだかとてもいい方のような気がします。働き者で、穏やかで…。対外的には明るく振る舞える、とのこと、すてき、すばらしいですねぇ…。私もまねできればいいのですが、なんだか萎縮しちゃったり緊張したり意識しすぎたりで、堅くなることが多いです。だけど、努力の結果、今では少し、克服できた気がします。まだまだ苦労は多いですが。 私も料理、音楽、好きです。お菓子作りが特に。 chacoさんはたくさんの趣味をお持ちなのですね。それに、すてきなご家族もいて!私もそんな家庭が築けたらなぁ。。 電話で、他人に間違えられたって、すごいですね(笑)。電話でも「苦なく自然に」そこまで気を使える(自然に明るい声で出られる)ようになりたいです。 私も、TVのやかましいキャスターは嫌いです。やかましさを感じずにまともに聞いていられるのは、ニュース番組で言えばNHKの雰囲気くらいです。私も、TVがありません。 私の母親も、明るくて活発で友人が多く一人でもにぎやかな人です。だから、私の引っ込み思案、遠慮がちな要領の悪さをなげくことがありました。 悩まない、ということ、いいですね。私も、自分を受け入れたい、とは思うのですが、もっと人に認められ、うまくできる自分になりたい、と思うと、悩んでいます。 会社の電話応対も、こういったら弊害があるかもしれませんが、臨機応変な口の巧さだと思います。どうもそういうときも、自分の内向的な性格が邪魔していると感じてなりません。。