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芸術/アートとは?

starfloraの回答

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.3

    「芸術」とか「アート」と言いますと、何か日本語では、非常に格調高いと言いますか、畏れ多いもののような感じです。しかし、芸術の元の言葉は、ラテン語の ars ですし、アートと言うのは英語ですが、これも語源はラテン語で ars です。ars というのは、一般に「技術」のことを言うのです。     英語の辞書で、art を引くと、「芸術、美術」の意味の他に、「技術、技巧、技、技量」などとあり、用例に、domestic arts で、「[料理・裁縫などの]家事」と出てきます。英語の art という語だと、こういう意味を普通に持っているということです。     「芸術」というに値するようなものは、別にそれを特に呼ぶ言葉がなくても、あるはずです。「芸術」というのは、おそらく明治時代の造語で、art のなかの「芸術・美術」特に「芸術」だけを意味させるように造った言葉だと思います。けれども、そういう言葉がなくとも、例えば世阿弥の『夢幻能』とか『風姿花伝』などで、「花」と呼んでいるものは、能における最高度の芸術の精髄であったのです。また、芭蕉も、自分の俳諧・連句は、なにものか根源なるものを把握しているという自負があったでしょうし、やはり遺された作品で見ると、彼が捌いた連句などは、非常に素晴らしいものがあるのです(芭蕉というと、短い「俳句」で有名ですが、俳句というのは、連句の発句を独立に扱ったもので、芭蕉の芸術性は、連句・俳諧にあります)。     芭蕉の言葉に「不易流行」というものがあります。「不易」とは「変わらぬもの」で、いわば、古典、典拠とする芸術です。他方「流行」とはその言葉の通りで、「いま流行っているもの」で、ある人からは軽薄とされ、顰蹙を買ったりしているものですが、現にいま、世間で流行しているものです。     「不易流行」とは、不易はすなわち流行であるということで、流行は、時と共に評価によって篩い落とされて行き、本当に素晴らしいものが、後の世に残る。そしてこれが典拠=芸術=古典=不易となるのだ、というのです。また不易とは、いま、人々が崇めていても、それは、昔、それが出来た時、出現した時は、実は流行で、時の経過と共に、「真価」が輝き出て、古典=不易となったものだというのです。     「純粋芸術」というのは、非常に長い、そしてこれからも続く人類のアルスの歴史のなかで、ほんの一時期主張された、一種の人工の芸術論です。現在は、そういうものは主張されていません。つまり、アルス(芸術)の歴史を見ると、お金に関係のない芸術などないということです。「お金」に関係ないとしても、多くの人が価値あると認めると、自然に、それは金銭価値が付いてきます。何らかの意味で、世俗的目的を持たない芸術作品というと、宗教芸術かも知れませんが、これも、意図的に人を感銘させようという設計があります。作品を造る限り、多くの人を感銘させたい、感動させたい、多くでなくともいい、一人でも感動してくれればいいと言うのが芸術です。その一人が、自分自身でもよいのです。     芸術は、結局、どれだけ普遍的価値があったかが問題で、それは時間や色々な条件で決まって来ます。金儲けのために造った作品だから芸術ではないとはならないのです。素人の大勢の人が、金儲けではなく、純粋に趣味として、楽しむために絵などを描いていますが、それでは、そういう絵は、芸術としての普遍性を持つかと言えば、やはり違うでしょう。金儲けで造られたものでも、真に人を感銘させることができれば、それはやはり芸術でしょう。     アートとコマーシャル・アートの境界線が見えなくても、それは現代の作品なら、当然のことだと思います。どちらも、一時の目的はともかく、人の心を感銘させ、動かすということを技術に造られているからです。     アートとか、コマーシャル・アートとかいう区別を無視して、作品として評価すれば、芸術かどうかは分かるのです。そして、同時代にあって、新しいものの芸術性はなかなか分かりません。ある時代に芸術だともてはやされたものが、数十年経過すると、その底の浅さが露呈することは珍しいことではありません。しかし、同時代の人たちは、分からなかったのです。     だから、古典として、評価されている作品・芸術と同じように、現代のアートを考えると間違うということです。現代において、アートと名乗っていても、どうでもよいものもあれば、コマーシャル・アートとして造られたが、その素晴らしさが後世に残るものもあるでしょう。それは、時間と多くの人の心が決めることで、現代の一人の個人が、自分で判断できるようなものでは恐らくないのです。     「芸術の精髄」とは、世紀を超えて、多くの人の魂に感銘を与えるということです。過去の大芸術家は、生活のために作品を造っていました。しかし、お金を得るために造った作品だから、それが無価値なもの、根のないものかと言えば、そういうことこそ、偏見でしょう。  

coffee_and_kiss
質問者

お礼

ありがとうございます! 芸術、美術、技術、技巧…そしてお金、価値、評価…などが頭の中で駆け回ってるんですよ… 作品・物だけが芸術とも思えず、精神的、哲学的な思想こそが芸術なのではと思う時もあります。 また自己満足の芸術と人に感銘を与える芸術との違い…っていうか その辺が他人から評価されてからこそ=お金を伴う…と考えて行くとドロドロしたものが絡んでいるようで… 支離滅裂になってきました、もう一度皆さんの書き込みよく読んで考えて見たいと思います。

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