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遊ぶ事の哲学をお聞かせください。

 人生は、遊ぶ事を天国は望んでいらっしゃるのですか?

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noname#117439
noname#117439
回答No.4

人間がより人間らしくなること。 これは仏に近づくことであり、神様の下へ近づくことでもあります。 この階段を踏み外さない限り、その道のりは幸福にあふれているはずで、したがっておおいに遊ぶべきです。 欲望や快楽におぼれることを楽しみと勘違いする不幸な人も多いようですが、これらの人々は遊ぶことを知りません。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。神様や仏に近づけるような遊びをしたいと思いました。回答有り難うございました。

その他の回答 (3)

noname#15514
noname#15514
回答No.3

天国の人は遊んでいるのかな? もしそうなら、人生を送る人に、仕事しろ、なんて言えないと思います。 でももしかしたら、天国の人は、仕事したいけれど遊びばかりしかできなくて、人生を送る人とは反対なのかもしれません。 そうだとしたら、人生を送る人は天国に遊びを求め、天国に住む人は、人生に仕事を求める、それでいいのかなとも思います。 もし、僕が人生を送る間に、天国に住んでたとします。 だったら、人生は仕事、天国は遊び、となるのかもしれません。 どこか、人間くさいですね。  遊びの哲学を言うと、遊びも、仕事のように甲斐があり、遊びと仕事は同じ質、又は似た質なのではないでしょうか? もしかすると、天国の遊びは、人生の仕事で、人生の仕事は、天国の遊びなのかもしれません。 もしそうなら、人生を送る人から天国に住む人を見れば、すごい働き者かもしれませんね。 天国に住む人は、天使というのでしょうか。 すごく働きそうですね(^^。 それは奉仕というのでしょうね。 私は奉仕できているでしょうか。 それは、尋ねることではないでしょうね(^^) 私が決めることではないからです。 人は自由になると、好きなことができる、と思っています。 少なからず。 だけれど、なかなか自由になれません。 天使は自由なので、奉仕します。もちろん、人にも奉仕します。 でも人は、好きなことがしたくてたまりません。そしてたまらず、飛び出してしまいます。そして真の自由を求めて、人生を過ごしています。   無為であれば、無為を感じて仕事や遊びに億劫になることもありません。人は有為を求めます。好きなことの根拠を、自分や、誰か他者に求めます。そのために自由ではありません。 しかしそれが、人の奉仕ではないのかと、私は思います。 もしそうならば、求めることが、人の自由ではないのかと思います。 実際には、仕事も遊びも奉仕も無く、只自由の行使が、人にあるのみです。  天国が望むというのは、信じるということだと思います。 つまり、天国は人を信じている。 だから、人生を遊んでも、働いても、奉仕に尽くしても、信じています。人が何をするかではなく、何を望むのかです。 天国はそれを信じていると思います。  

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。天使の様になりたいと思いました。ふざけてるわけではありません。真剣に天使の様になりたいと思いました。回答有り難うございました。参考になりました。

noname#31063
noname#31063
回答No.2

天は正に望んでいらっしゃいます!(謎)  遊ぶことは「神の行為」です。 日本の神社仏閣も子供たちの格好の遊びの場であり学ぶところでした。 昔「良寛」さんというお坊さんが居られて、周りの人は赤ちゃんを見つめるような気持ちにならされたといいます。 一日中子供たちと無心で遊んでいただけなのにとても人気があり、お経も唱えず法事も行わず、ただただ遊んでいたのです。 でも素晴らしい詩を沢山のこされていてとても器が大きい人だったのですね。 山下清(放浪の天才画家)の先輩のような人ですね。 遊ぶことは無心にして邪心がない。悪いほうに考えない。 限界を知らず、限界を知らずに超える。 子供にとっては学習も仕事も兼ねていますね。 「好きなことで仕事をすれば一生労働の辛さから解放されるだろう」…という言葉もありますね。 好きなことは見つかりましたか?

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。遊ぶことは人との交流を深くできるのと協調性を磨く事も出来るそして自分も満ち足りた気分になれると判断しました。有り難うございました。

  • jyamamoto
  • ベストアンサー率39% (1723/4318)
回答No.1

「遊ぶこと」の意味合いによるのでしょうね・・・。 「生きる」ということは、「社会の中で生活する」ことだと思います。みんなが「一人」に分断されていては生きていけません。 人と人の「絆」の中で、人生は成り立っているということをまず基本に置きます。 そう考えると、「遊ぶこと」=「怠惰に暮らすこと」の場合は、歓迎されないことでしょうね。 社会的義務を果たしながら、いわゆる「遊び」を人生に組み込むことは、人と人の絆を強めることとしても必要なことでしょう。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。怠惰に暮らすこと意外の遊びをするといいと判断しました。有り難うございました。

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