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アリストテレスについて
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論評ではないですが、アリストテレス的徳を、テニスを例にとって文章に表すと、以下のようになると思います。 テニス する が 私 を 以上が、卓越感を発揮している状態の文章だとすれば、卓越感を発揮するまえの状態は、 私 が テニス を する このようになるのではないでしょうか。 テニスをするから、私がある、ようなニュアンスです。 神がかったような天才的プレイヤー(テニスの神様)は、自分がテニスをするのではなく、テニスをするという行為が、自分よりも先立つのではないかと思います。デカルトも、同じようなことを言っていたのでは。 我思う、故に我あり。は、思想家として、卓越感を持っていたという自負ではないでしょうか。 今回は、テニスを例に取りましたが、建築や、音楽でも同じようなことが言えます。私は、アリストテレスが述べた純粋形相という神を想定するなら、純粋質料ともいう(形而上学的無?)を、想定しても良いのではないかと思います。そうすることで、純粋形相と言う法則と、純粋質料を一つにすることができ、徳の実現を語れるのではないでしょうか。 回答するにあたり、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1086.htmlを参考にいたしました。特に、この部分をです。 抜粋:「特殊(客観)は一般(主観)に含まれる」というふうに先に見た論理に、言語哲学的な相同関係を投写させて、「主語は述語のなかに含まれる」「述語は主語を包摂する」ということをあてはめたのである。 私の読み違え、勘違いもあるかと思いますが、ご容赦ください。
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参考A:http://www.ne.jp/asahi/village/good/aristoteles.html 参考B:http://www8.plala.or.jp/StudiaPatristica/philosophia8.htm 参考C:http://www8.plala.or.jp/StudiaPatristica/philosophia10.htm 矛盾律、同一律に従う事を選んだ上で、それらを超える所を志向したアリストテレスの求道の軌跡について、論評できるつもりは御座いません。彼は、それが徳の実践だと信じて、それを行ったのだから。 その一点において、彼は、彼が信じた理性を超えていたのではないでしょうか。
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