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太平洋戦争が私たちに残したもの。

上のタイトルでレポートを書こうと思っています。 太平洋戦争で私たちが(国が)教訓として学んだものや それがいまの日本に与えた影響などについてのみなさんの意見を聞かせてください

みんなの回答

noname#15005
noname#15005
回答No.10

私の意見というより一冊の本をオススメします。 今井雅之さんの「THE WINDS OF GOD~零のかなたへ~」です。 これはテレビ朝日でドラマ化されていますので知っているかもしれませんが(もともとは確か舞台です)、特攻隊のお話です。 私は戦争ものがこわくて苦手なんですが、この物語から得るもの、学んだもの、感じたものは多いです。それをうまく言葉にはできませんが・・・。でもとてもオススメです。

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.9

 こんにちは。 1.天皇の存在意義の変換、「富国強兵」の求心力から、「経済発展」の求心力へ。「求心力」という意味は変わっていない。「戦後天皇制」というキーワードで検索するといいと思います。 2.アメリカの軍事的要塞化。ちょっと昔、中曽根氏が言った「浮沈空母」は、いい得て妙。 3.外交や安全保障に対する、国民の意識の変化。安全保障は、アメリカがやってくれるから、働けばいい、トという風に。  私は、精神論は、敗戦では変わっていないと思います。「滅私奉公」は、そのまんまです。変化があるとしたら、今現在だと思います。    敗戦で、「変わったこと」「変わらないこと」を、どう峻別するかでしょうか。  ご参考になれば。 

  • shades
  • ベストアンサー率23% (6/26)
回答No.8

私もたまたま司馬遼太郎さんの本を読んでいますが、「歴史と視点」というエッセイのなかにこんなくだりがありました。 「日本は地理的に対外戦争などできる国ではありませんね」 いわゆる15年戦争にわずかでも教訓が引き出せるとしたら、そういう当たり前の、小学生なみの地理的条件を再確認した、ということだけである。 司馬さんのエッセイにはよく、日本人論や昭和の歴史観が描かれているので、参考になると思います。

  • souun1432
  • ベストアンサー率24% (43/179)
回答No.7

私は司馬遼太郎のファンですが、No.4の方が 司馬氏について触れておられるので、少し書かせて下さい。 明治初期には、「SAMURAI」の単語はすでにアメリカの 新聞に載っており、またあるアメリカ人は、アメリカを 訪問した日本人に会い、その気品の高さと礼儀正しさに 驚いたとあったと覚えています。 (細かいことは覚えていないのですが…) また数年前に大ヒットした「ラスト・サムライ」は 西南戦争をモチーフにした映画ですが、 これがアメリカで受け入れられたのも、「SAMURAI」という 単語の持つ意味が130年前と同じだからでしょう。 それほど欧米人にとって「SAMURAI」という存在は 他の民族と比べ、際立った存在だったということです。 (私自身はこの映画は好きになれないのですが) 司馬氏が戦後の日本人を批判したというのは、 おそらく朝鮮戦争の凄まじい特需に始まる経済成長を ネガティブに受け止め、あたかも経済利益を生み出す 狂人集団のように戦後の日本人を見ていることだと思います。 司馬氏の晩年はバブルが崩壊した時代でしたが この時期には、日本人共有の財産である土地を 投機の対象として右へ左へ転がす風潮を 痛烈に批判していました。 司馬氏の見方をまとめると、戦後日本は アメリカと二人三脚の関係を築くことによって 奇跡的な経済発展を遂げたが、それと引き換えに 日本人が持っていた美学を失ったということでしょう。 その「美学」が何かということは、範疇が大きすぎて 私にはちょっと分かりかねます。まだまだ不勉強なので(^^;

noname#66438
noname#66438
回答No.6

技術力を進歩させること(技術開発)の大切さを 教えてくれたと思います。 今の日本は 戦時中アメリカとの技術格差に悔しさを感じた技術者達によって支えられた部分が大きいと思います。

  • Scull
  • ベストアンサー率26% (248/951)
回答No.5

戦争という行為、特に侵略戦争はいかに無益な行為であるかを私は学びました。しかし「自分の住む土地を守る」ということがここまで軽視されるようになると、中庸という言葉について考え込んでしまいます。 他の方もおっしゃっている通り、物質至上主義ともいえる今の風潮は少々問題なのではと思いますが、そうかといって戦前の精神至上主義も問題ですね。 もう少し「バランス」を大事にできないものか、と思います。 戦勝、敗戦。どちらも極端な事件ですから、世論はどうしても極端なほうに動きがちなのかもしれませんね。 太平洋戦争の敗戦もそうですが、明治維新もあわせて「二度のアメリカによる文化侵略」によって、伝統的な日本文化の「美点」は破壊しつくされたように感じます。

juntendo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。戦勝と敗戦はどちらも極端な事件というところには、思わずうなずいてしまいました。 バランスは理想ですが、偏った意見を持ちがちな日本でそれはなかなか難しいのかもしれませんね。

  • pbf
  • ベストアンサー率16% (49/300)
回答No.4

 もし私なら、得たものより失ったものについて書きたいです。  明治初期の我が国には、すでに多くの外国人たちが滞在していました。彼らが残した文献を参照すれば、いかに彼らが日本文化の完成度やその素晴らしさを嘆賞していたかがわかります。それはいま、我々が発展途上国を訪れたとき、貧しいがこころ豊かな人々と接したときに受ける感慨と似たようものなのでしょうか。  当時の江戸文化を、産業革命を経ずに到達した最も完成された文明だと分析する外国人もいました。  ところがその外国人たちは同時に指摘しています。明治になっていかに日本的な良さが失われつつあるかを。  古き良き日本人文化。限られた字数ではとても説明できませんが、それは、昭和初期までかろうじて生き残っていたものの、敗戦という二度目の革命で、完全に絶たれたと分析したのは司馬遼太郎です。  そして欧米型の価値観が日本人に与えたもの。それが現代・日本の状況です。

juntendo
質問者

補足

当時の江戸文化の完成度が海外からそのような高い評価を受けていたとは知りませんでした。その外国人が残した文献や、司馬遼太郎の見解を見れるサイトなどがあれば教えてください

回答No.3

得た教訓 1.精神力があっても物がなければなにもできないこ2.強者に従うと労せずして利益が手にしやすい 3.戦争しなければその分、経済力などで発展が期待できる。 その弊害 1.物があれば精神に関係なく何でもできると思ったこと。 2.率先して動くことがないため、いくら力があっても弱者に見られる。 3.相手があっての戦争であり、妥協と譲歩だけでは平和はないという事実を忘れてしまったこと。

juntendo
質問者

補足

項目に分けてのわかりやすい回答、深く感謝します。 弊害の3つめが自分にはよくわからなかったので、できれば詳しい説明をお願いします

noname#24872
noname#24872
回答No.2

難しい問題ですが一番大きな点は、精神至上主義に対する信仰が失われた、ということでしょう。 戦前教育の主幹は「成せばなる」ということでした。言い換えれば「例え無理に思えても、一心に打ち込めば実現できる」あるいは「精神が最も重要なのだ」ということです。 しかし太平洋戦争において、日本軍はアメリカの物量の前に為すすべも無く敗北しました。その結果戦後教育は、とにかく経済の発展に必要な科目(英、数、理社)に重点がおかれ、戦前重視された国語や道徳は、あまり省みられなくなりました。 戦後日本の繁栄については、この基本方針の変換が大きな要因となっていると思います。一方で国語力の低下や、収入の多い職業が尊重される拝金主義が横行する結果も招きました。 蛇足ですが、民主主義が戦後進駐軍によってもたらされたと考えている人が沢山いますが、これは必ずしも正しくありません。戦時体制下の昭和初期は論外ですが大正時代には、現在の視点で考えても注目に値する民主主義が育ち初めていたのです。

juntendo
質問者

お礼

失ったものに対する概念が自分の中にあまりなかったので、とても考えさせられる回答でした。ありがとうごうざいます。 大正時代の民主主義というのは大正デモクラシーのことですよね?そこらへんも調べてレポートに少し取り入れてみようかと思います

  • ytakachin
  • ベストアンサー率14% (9/63)
回答No.1

憲法第9条。 戦争はいけないが、アメリカの傘下になり平和ボケになってしまったことでしょうか。

juntendo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。やはり平和ボケは見逃せない大きな問題ですよね

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