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絵画の基礎
絵画の基礎って何ですか? 描写力のことでしょうか?それとも構成力のことでしょうか? 絵画の基礎に必要な要素を教えてください。
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基礎って、人それぞれ違うと思います。 自分が必要だと思った事をその時やって、それを礎として 自分の表現が完成されれば、それは基礎だったのでしょう。 私の場合は美術史の流れにそって先人達の思想や技法を 研究した事が基礎だったと思います。 古きを温め新しきを知った方が、奥深い表現に なりやすいですね。表面的には分からないでしょうが。 そういえば、どこかの作家に、すごく緻密な彫刻の「芯」 つくって、その上から違う装飾を施して見えなくしてる人がいました。 他人には「芯」の存在が分からなくても、その作家にとっては「芯」 がすごく重要なのでしょうね。
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- ov_vo
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no.5です。 私は某美大で日本画を学んでいる身なので、デッサン力の定義についてはぶっちゃけ日本画の教授に教わったことの受け売りです。その方は、分類するとすれば抽象絵画を描いていらっしゃいますが、精巧なスケッチ・クロッキーをした上で、再構築し、そこまでがデッサンなのだと。自分の表現したいことを紙なりなんなりに表す力がデッサン力であり、何も寸分違わず描くことを言ってるわけじゃなくて。そんなのはカメラに任せればいいし。そこんとこはすごい微妙な問題だし人によって考え方が違うことも分かってますよ。大体言葉なんてそんな的確なモンじゃないっす。言葉ってあいまいなモンでしょう?ただこの説明に関してはなるほどと、私なりに納得したことだったんで書いてみました。 >絵ができた状態というのを教えてください についてですが、jyuuさんは絵を描かれているんですか。そしたらご自身が終わったと感じたときではないでしょうか。てゆうかそんなの作者にしかわかんないし。作者以外の人にああだこうだ言える問題じゃないっす。。。 私の場合、批評会や搬入の日の朝か、持ち運べない大きさの絵の場合は宅配便のお兄さんが来た瞬間が多いですけど。
補足
確かに言葉というのは曖昧ですね。ただ、言葉というのは感覚などの曖昧なものを共通認識させる非常に有用なツールだと思います。日々、言葉というものをもっと上手く扱うことができたらなぁ、と思えてなりません。 >そしたらご自身が終わったと感じたときではないでしょうか。てゆうかそんなの作者にしかわかんないし。作者以外の人にああだこうだ言える問題じゃないっす。。。 「絵ができている状態」というのを作家の視点からでなく、観る側からの視点で定義できないものかどうか、という補足質問でした。こちらの意図が上手く伝わっていなかったようです。もちろん、造る側からすればすべて完璧にはいかないのはごく当然です。しかし、観る側からしてみればどこかに「自ずと鑑賞してしまう状態」というラインが存在するはずなんです。このボーダーライン、つまり、観賞者からした「絵ができている状態」を定義できれば、それに必要な要素を逆算できるのではないか、という発想でした。 >描写だけ出来ても構成が出来なければ絵は出来ません。その逆も然りです。 と#5の回答で仰っていましたが、絵が出来た状態を作者だけが知っているのなら、描写だけが出来ていてそれでいいんだと作者が決めてしまうとそれで絵が出来てしまう、という話になってしまいまうよね。それは違うだろう、ということで、観賞者側からの立場で、「ではいったい何が絵になっている状態なのか」を知りたい、というわけなんです。 しかし、ov voさんがご自身で「作者にしかわかんない」と仰るとおり、近代のアートの動向をみているとそのボーダーラインを製作者が一方的に造り出して、観賞者に問うという形が多いように思います。つまり、現代において一般論としての「絵ができている状態」というのは答えがなく実は誰も知らないのではないかと。もし、ここでそれを言葉でもいいので定義できれば、現代美術においての基礎もまた定義出来るかもしれないのではないでしょうか。しかし、それはちょっと無理っぽいですね。 現代美術の絵画における基礎というものが何なのか知る事ができたらなぁ、と思えてなりません。
- yakushi
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No3です。 具象絵画の中でも基礎が全て守られているのは近代以前の絵画です。 印象派より前ですね。 どの時代まで、と言えば近代より前の時代までは基礎があったと言えます。 印象派以降の絵画から基礎が段々と失われていきます。 言葉で言うのが難しいのですが、 バスキアらのようないわゆる現代美術においては 具象であっても基礎は存在しないでしょう。 スーパーリアリズムは技法や描写において基礎を持ちますが、 構図をあえて崩す事で現代性を出していると私は考えています。 現代美術では必ずしも基礎の全てを踏襲しません。 あえて基礎を無視するものがたくさんあります。 バスキアの絵とダ・ヴィンチらの絵を同列に 具象絵画とするには無理があるでしょうね。 もちろんバスキアの絵にデッサン力は必要ありません。 お偉い評論家さんはその奔放さが魅力だと言いますが、 路地裏で描いていた時代と変わらずただの落書きだったとしか思えません。 デ・クーニングもポロックも結果的に作品には デッサン力は必要ないものでしょう。 ただ、一度歴史に残した手前、 しばらくの間は歴史に残さなければならないので、 彼らの名がすぐに消えるということはないと思います。 私の考えるデッサン力というのは 質感、量感、空間、などを表現する力と思っています。 これだけ簡潔に言ってしまうと語弊がありそうですが。 具象絵画には基礎が存在するものの、 具象絵画だから必ず基礎が守られているとは限りません。 作品の完成というのは多くの人が言うように、 何を持って完成と言えるという定義はありません。 例えば質感を完璧に出せれば完成というのであれば 油はどこまで行っても油であるため、 完璧にモチーフと同じ質にはなり得ないのです。 空間も同じく、空間を二次元の世界に完全に作ることはあり得ません。 しかし、それを擬似的にかなり高度に表現する方法が 先人達の研究の成果で生み出されました。 その方法を学ぶ事が基礎です。 画家は一生完成に近づけるための表現を模索し続けます。
補足
>具象絵画の中でも基礎が全て守られているのは近代以前の絵画です。 なるほど、ありがとうございます。参考にさせていただきます。 >バスキアの絵とダ・ヴィンチらの絵を同列に >具象絵画とするには無理があるでしょうね。 同様に、印象派以前の絵画のみを絵画と呼ぶにも無理があるでしょうね。つまり、現代美術における絵画も絵画であると個人的には思っています。また、現代絵画には印象派以前の古典絵画に見られる基礎は存在しないようにも見えます。ですので、ここででは古典絵画とはまた別の、現代絵画における基礎というものがもし存在するならばそれが知りたいのですが、やはりないのでしょうか。 自分のちっぽけな頭をふり絞ってみると、「既存のルールを壊す」、というのが絵画を含む現代美術に共通する礎なのかな、と思います。こうして考えてみると、アバンギャルドというのは歴史的な共同破壊活動ともいえるようなムーブメントなんだなぁ、なんて思ったりもしますけれども。しかし、創作活動には初めには破壊が必要かもしれませんが、最終的には創造が必要になると思うんですよね。そこで、その礎があればぜひ知りたいと思うのです。 >作品の完成というのは多くの人が言うように、 >何を持って完成と言えるという定義はありません。 作家の視点でみれば永遠に作品は完璧にはならないというのはわかります。しかし、観る側の視点になってみると、「絵画として成立している」という状態がある一定のレベルできっと存在すると思います。これを人は「絵ができている」「表現が完成している」と言うのだと思います。ですので、この「絵画として成立する条件」が明確になればそれに必要な要素、つまり基礎と呼べるようなものが自ずと浮かび上がるのではないかという事です。
- ov_vo
- ベストアンサー率34% (74/217)
それらのどちらも含む、「デッサン力」だと思います。 描写だけ出来ても構成が出来なければ絵は出来ません。その逆も然りです。 ちょっとずれてしまいますが、抽象画にも勿論デッサン力は必須です。 抽象も具象も元は同じものです。感じたもの、見たものを自分に取り込み、表現する力がデッサン力です。 デッサンが上手くなくて具象が苦手だからといって、逃げるように抽象描いて、アートだとかなんとか言ってる人もいますが、見たものも十分に描けない人が見えないものを描こうとしても、しょうも無いものが出来上がるのがオチです。そういう人は、運良く一時評価されたとしても、すぐに消えていきます。
補足
>描写だけ出来ても構成が出来なければ絵は出来ません。 絵ができた状態というのを教えてください。何をもって絵ができているのかが知りたいです。デッサン力というと個人的には描写力をイメージします。 >抽象画にも勿論デッサン力は必須です。 これはデッサン力というのをどう定義するかで意見が分かれるところかと思います。de KooningやJackson Pollockのデッサンは、お世辞にも上手いとは思えませんでした。Minimalismなどの抽象画になると描写力としてのデッサン力はあるようには見えないですね。彼らはすぐに消えてゆきますでしょうか。
- yakushi
- ベストアンサー率44% (33/74)
絵画の基礎といえばデッサン力です。 基礎というのは具象絵画においてしか存在しないでしょうね。 あとは構成や技法や画材に対する知識です。 それらを応用し、駆使して写実的な絵画を作り上げるのですから。 抽象画で基礎と言えるものがあるとすれば、 その抽象画を作るための技法くらいでしょう。 具象画は伝統の元に積み上げられた技術があるので 基礎と言われるものがありますが、 抽象画は何かの上に成り立つものではなく 個人が単独で作り上げた物が多いので、 ほとんどの場合は基礎という言葉が当てはまりません。
補足
>基礎というのは具象絵画においてしか存在しないでしょうね。 やはりそうですか。 気になるのですが、具象表現でも最近の作家で、Chuck CloseやGerhard Richterなどのスーパーフォトリアリズムなどを観ると構図が特に練られているようには見えないですよね。となると、彼らのような絵を描きたいとなると特に構成力は必要ないということになりますでしょうか。また逆に、バスキアやキーファーのような絵を描きたいとなるとデッサン力は必要なくなってしまいますね。 やはり現代絵画には具象表現でも基礎というのが抜け落ちているように感じます。では逆に、どのあたりの時代の絵画までなら基礎は存在しているのか、ということで考えればいいと思うのですが、どのあたりになるのでしょうか?
- v6v6
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なんだか難しい方向へ進んでいきそうなのでシンプルに考えて見ましょう。私が思う絵画の基礎とは ●創造力 ●構成力 ●表現力です。 これらの能力を高めるには、芸術家だけでなく日常の色々なものに興味を持ち、見ることを常に忘れない。描く・つくるという活動を常に行う。以上です。
補足
構成力に関しては何とかイメージできるのですが、創造力と表現力というのが少し難しくてよくわからないです。 二つともよく似ていると思うのですが、例えばどんなときに、「この作品は創造力がある、表現力がある」、という事ができるのでしょうか?完成度の高さとか誰もが見たことのないようなものということでしょうか? ただ、これらは誰かに教えてもらって培える種のものではないというのはなんとなくわかります。となると、やはり絵画の基礎は教える/教わる事ができないのでしょうか?
- naganotti
- ベストアンサー率60% (14/23)
1、絵画表現をする上で必要な用具、材料などの基本的な使い方を習得する。 2、対象を観察し、客観的に表現することができる。 3、観念的なものの見方からはなれ、自分の目でものを見ることができる。 4、線、面、調子など絵画表現の基礎的な考え方が理解できる。 以上の4つを具体的な到達目標として設定している学校があります。「描写力」「構成力」というと、定義する範囲がとても広くまたあやふやですよね。
補足
1の「基本的な使い方」とは具体的にどのようなことでしょうか。具象画と抽象画でも基礎は一緒なのでしょうか? MalevichやKandinskyなどの抽象画だと必要な基礎というものはまた違ったものになると思うのですがどうでしょうか? また、現代美術において絵画の組み分けが非常に難しいと思うのですが、ネオエクスプレッショニズムなどの Jean Michel BasquiatやAnselm Kieferはきちんと基礎が習得できているのでしょうか? 極論になりますが、現代絵画において基礎は存在しない、という様に考え始めたのですがどう思いますでしょうか?できればそれは違うという考え方が知りたいのです。どの絵画にも共通して必要な基礎というものがあるならばそれを習得したいのです。 2の「客観的」とは例えばどのようなことでしょうか。"写実的に"という事でよろしいでしょうか? 3の「観念的なものの見方」とは具体的にどのようなことでしょうか。アイコン又は象徴的ということでしょうか。 4の「線、面、調子など絵画表現の基礎的な考え方」というのはヴァルール(色価)のことでよろしいでしょうか。 挙げて頂いた要素は具象画の立場で写実をする上での基礎を述べられたように見受けられます。したがって、これらは描写のための要素と言い換える事ができると思うのですが、具象表現の場合、描写力の他に基礎として何か必要なものはありますでしょうか? よろしければその学校の名前を教えて下さるとうれしく思います。 よろしくお願いします。
補足
人それぞれ違うということは、誰もが学ぶ事ができる基礎は存在しない、ということでしょうか。ということは、その人の絵のように描きたいという場合を除いて、絵画の基礎を誰かに教わるというのは少しナンセンスな行為なのですね。 >自分の表現が完成されれば、それは基礎だったのでしょう。 何をもって表現が完成しているといえますでしょうか?もし、「完成された絵画」というものを定義できれば、それに必要な要素を割り出すことで、基礎を定義できるかもしれません。しかしもしこれが一人一人その「完成された表現」の答えは違うというのであれば、誰もが学べるような普遍的な基礎はやはり存在しなくなってしまいますね。