- ベストアンサー
しらばっくれの天才
こんばんは。いつもお世話になっております。 このごろはなかなか人の心がわからなくて困っております。 例えば、取調室で刑事さんが犯人に向かって、 「どうだ、まだ白状しないつもりか?」 「へっ、なんのことだか。。」 「そうか、それならこれはなんだ?」(といって決定的な証拠を見せる) というような状況の時に、「うわぁ、まいりました~!」とオチるのが普通の人だったとします。。 ところが中には、0.1秒もたじろぐことなく、「それはたまたま○○して××して△△したために●●したもので、自分とは関係ない」という素晴らしい口実をすらりと述べ、「ほんっとにやってないんだってば!」と涙すら浮かべて哀願し、さらには「こんだけ言ってるのにどうして信じてくれないの!」と怒りに満ちたまなざしで真剣に抗議してくる人がいた、、とします。で、こちらも少し反省して、そんなにいうのならやっぱり誤解かなぁ、みたいな気になって、で、何日かたって第三の証拠など出てきてやっぱりそいつが犯人だった、てなことが改めてわかったりするわけです。 で、私がわからないのは、自分が悪い事しておきながら、どうして相手のことそこまで真剣に責められるのか?ということです。その迫力たるや、ちょっとやそっとの演技ではありません。真実100%、というまなざしです。人間、心にやましいことがあれば、どこかしら少しは態度に表れるんじゃないかと思うのですが、それがまるっきり表れない人が、確かにいるのです。 どなたか、彼ら(彼女ら)の心の中を説明できるかたおられますか?キーワードだけでもどうか御教示ください。まあ、騙されるおまえがアホなんや、と言われれば、返す言葉もありませんが、、。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
至って真っ当な感性をお持ちの質問者と見受けました。 そうですね、そんな人、見かけますね。自分の周囲にも何人もいましたよ。(多いなあ…自分の周囲だけか?)御陰で、こういう手合いとやり合おうとしたら「仁義なき戦い」を覚悟しなくてはならないということを思い知りました…。 「やましさ」というのは連中にしたって全然感じないわけはないと思うんですよね…何故なら、そういう「心当たり」が全くなければ、そこまで激しい防御⇔攻撃態勢をとる動機もないわけで。まして真っ向から唐突に積極的攻撃を仕掛けてくる場合は尚更。 黙っていたら自分の立場が危うい、こう思わざるを得ないだけの理由が自分の内部に存在する。それだけ現実に本人の分が悪いか或いは生まれ持って自我意識に不安感が強いんだと思います。 こうしたタイプは一見、非常に我が強いイメージですが一皮めくって深部を観察してみれば、むしろ逆に脆弱なほうなのではないでしょうか。非常に脆いからこそ激しく守ろうとする。ちょうど生まれたばかりの子を犬や猫の母親が牙を剥いて保護しようとするように。 しかし守らねば侵略される崩壊する、と感じる本人の感覚が正しいのかどうかは、また別に論じなければならないでしょう。 また別の角度から観察してみますとNo.1のかたも述べておられる「自分だけの価値観」これは決して正邪の区別を彼ら独自につけているというよりは、こうした人種に共通なのは、いついかなるときも「自己という存在を保全する」これこそが至上の目的なのであって、そこに自己自身の言動の正邪は含まれない、二の次、三の次なのです。 ですから、こういう人と、ものごとの良し悪し等を論じ合っても仕方がないのです。先方の目的は、そこにはないわけですからね。 一に自分、二に自分、三四がなくて五に自分…なのです。だから話し合っても、往々にして、それが深いレベルになればなるほど不毛なのです。したがって、こちらは疲れ果てる…。 実は価値観の違い、と言うより厳密な言い方をすれば自己に対する態度の違いと言ったほうがいいのかもしれません。 御質問者が仰る「その迫力たるや」も、むべなるかな、それだけ必死にならざるを得ないというわけです、彼らにしてみれば。 繰り返しますが、もちろん正しいかどうか(一般の基準で言うところの)ではなくて彼らにとっての至上命題が「自己保全」にあるからです。 「保全」に全精力を傾けているわけで「自己」の中身は問いません。 ですから、こうした人種が周囲の人に要求する特色として 「このままの自分を受け入れてくれ」 ということが、しばしば見られます。要するに赤ん坊・幼児なみですね。つまりは脆弱なんです。だから必死で泣き喚くんです。 ただ、いい年こいたオトナが、もっともらしいセリフを吐いて悪知恵だけは一人前なので、ハタが迷惑するんですねえ。濡れ衣着せるなんてことは朝飯前ですから。 それもこれも大事な自分を「保全」するためなんですよ… ただ心理学的か精神医学上か忘れましたが異様に激しい勢いで防御⇔攻撃態勢をとらずに居れないという事自体が一種の異常性格だと耳にしたことはあります。
その他の回答 (5)
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
しらばっくれの天才は嘘つきの天才。 嘘があまりにも天才的なので自分をも騙せてしまいます。 騙されている人にとって、嘘はすでに真実です。 又 人は良心に依って生きる人と利益に依って生きる人がいます。 良心に基づく心は利益に基づく作為には勝てません。 良心に依っている質問者さんは、利益偏光フィルターの眼鏡をかけて、彼等天才達と対峙しなければならいのだと思われます。
お礼
お答えありがとうございました。わたしがびっくりしたのは、その完璧さなんでしょうね。目の前に矛盾を突き付けられても、ひるむことなく新たなウソの出てくる人。それが可能な事を、みなさまに教えていただきました。
楽しく読ませて頂きました~♪。ありがとうございます。「お前がアホなんや」というのに拍手しました。すいません。でも私もアホだからそういう人が結構居てくれると何かアホが救われるような、嬉しさから…だと思います。見下してではないですし、本当そんな天才っているじゃないですか?かないませんよね。 感想ではなくアドバイスというなら、無理やり「偏見」と「先入観」だと思います。相手に対する偏見によって真剣かどうかの判断が分かれてしっまて誤解したり、嘘を成立させていることは往々にあるのです。 逆に偏見を取り除いて哲学的思索を試みると日常生活が非常――に困難になります。「観測者たる私は疑念を抱く前と今とも同一人格である証拠は?その後に私に起きた変化の理由は?…ここに私とこの男が居る存在意義とは?」何時間もかかってしまいとっても疲れます(笑)。哲学的考察までしたらいけないってことですね?しませんよね、普通、ノイローゼですよね。だったらカキコしないで!?(謝) 犯人の心理的側面のアドバイスなら、加害者の心理は何らかの救済があると思います。自分可愛さゆえに罪の意識を忘れるように本能的にもたされている「自己保存欲」があるからです。 反対に被害者の自己保存欲は危険を回避する為に忘れないでおこうとするので、何ら罪を負うものではないのに一方的に不合理なことをされた、恐怖を強いられたというのは意志の力でもってして忘れようとしても潜在意識は忘れさせてくれません。PTSDなど。 そういうことで矛盾するのですが、被害者意識が高まると加害者になることで悪夢を忘れられる救済措置を盲目の本能が選択します。闘争本能というのも何らかの嫉妬心、被害者意識から来るものかもしれないです。 闘争の終焉、優越感。すっきりして忘れられると、又善良な被害者に安堵できるのです。もともと被害者意識があるのですから。しかし善良なる被害者の自分を奪われることは、加害者なのだが(笑)、加害者の自己保存欲(救済措置)までも奪われ被害者の悪夢を背負うという…式で表すと しらばっくれる=(加害者の救い+被害者の恐怖)^2エネルギー に比例する図太い神経ということになる? 私の心理観測は全て我流、主観ですのでアテにはなりませんよ。そういう無駄な人生でした(どんな人生やねん)
お礼
お返事ありがとうございました。「相手に対する偏見によって・・・嘘を成立させていることは往々にある」は、なるほど、と思い当たりますね。たしかに、先入観はありますね。「いかにも悪そうなやつ」のウソは引っ掛からないかも知れない。ある種の予想が裏切られるから、ショックなんでしょうね。勉強になりました。謝謝
- madamu55
- ベストアンサー率31% (52/164)
No.1です。お礼読みました。 常識的な考え方で、理論立てて考えてもまず納得できる答えは出ないと思います。 目の前で 今 現実に起こっていることを否定するには自分の中に逃げ込んでしまえば良い、自分だけの世界に閉じこもってしまえる技術を彼ら(彼女ら)は持っている訳です。 ある種の開き直りでしょう。それとも病的と言った方が理解しやすいですね。 貴方のまともな考え方では 理解できない範疇です。 戦わず 無視してください。 住む世界が違う人たちです。
お礼
再度のお答えありがとうございました。すこし、わかってきました。
- kobarero
- ベストアンサー率29% (106/361)
「自分が悪い事しておきながら、どうして相手のことそこまで真剣に責められるのか?」ということですが、答えは、「自分が悪いことをしているとは思っていないし、悪いのは相手だ」と思っているからだと思います。もちろん、表面的には悪いことだと知っているし、自分もやらなくて済むならやらない方が良いとは思っているかも知れませんが、「本音」のところでは、「自分は悪くない。悪いのは相手だ。」と思っているからだと思います。そうでなければ、「善良」な悪い人は悪いことができないと思います。 では、何故、悪いことをしているのに、「自分は悪くない」と思えるのかというと、それは、「世の中には、自分より悪い人がいっぱいいて、そいつらのせいで、今の自分は不幸に陥り、損をしている被害者なんだ」と思っているからです。 例えば、金持ちの馬鹿息子に自分の彼女を奪われたとします。また、自分の親や友達から、「金持ちというのは、自分の努力で金を稼いだんじゃなく、何か不当なことをして金を稼いでいるんだ。」と日頃、聞かされているとします。本人も、真面目に一生懸命仕事しても、苦しいことやいやなことばかりで、もらえる金もごくわずであることを身にしみて知っています。そんなときに、自分は何も働かず、株で何億も儲けたヤツもいるなんて話も聞えてきます。また、政治家が何億円も闇献金を懐に入れたなんて話も聞きます。 そういう話を聞いたり、感じたりしているうちに、世の中なんて、結局、運が良いか、何か悪いことをしたヤツラが得すんじゃないか。真面目にコツコツやるやつは、損ばかりしてるんじゃないかなどと思い始めます。さらには、この社会のルールなんていうものも、結局、そういうズルイやつらが、自分の都合の良いように作ったんじゃないかなどという結論を出して納得しちゃったりします。 そーだよな、だったら、オレも多少悪いことしてでも、金を儲けないと不公平じゃないかと思います。それでも、世の中の本当に悪いやつらに比べればかわいいもんだよなとか考えます。金さえあれば、あんな金持ちの馬鹿息子に、彼女とられなくて済むもんな。よし、やっちゃうぞ! で、ドジって警察に捕まって、取調べ。 「証拠があるって?」 そんなの知るかい。悪いのはオレじゃないんだ。オレの彼女を奪ったあの金持ち連中とか、政治家とかの方がよっぽど悪いんだ。それを知らずに、あるいは、知ってて知らん振りしているお前らが悪いんだ。だから、オレは、ウソでも何でも平気で言えるぞ。 こんな感じで、それぞれの主観の中では「自分が正当だ」と思っているのではないかと思います。
お礼
わかりやすい例え話ありがとうございました。なるほど、善と悪の基準を「ずらす」のですね。そうすると、自分の中には「善と悪」という概念が少しは残っていそうですね。自分の中に善なる部分がすこしでもあれば、それをもって一挙に心理的に被害者にまわる、という方法は誰でも簡単にできそうですね。御考察、感謝いたします。
- madamu55
- ベストアンサー率31% (52/164)
貴方はきっと正直なでまじめな方・・でしょうね。 悪い事をしたーと言う罪の意識が希薄な時、その上自己中心的な考えの持ち主 であれば、いとも簡単に嘘が言えます。 普段から自分の身を守る事を第一に考えている人なら、言い訳もすらすらと出てくるでしょう とにかく自分が一番正しい訳ですから、その正しい自分を非難する人には、攻撃を仕掛けてでも自分の正当性を主張するのです。 心にやましい事があれば少しは態度に表れるはずだと思っていらっしゃる様ですが、彼ら(彼女ら)に、後ろめたさは無いのですよ。 彼ら(彼女ら)にとって大切なのは、自分だけの価値観ですので、それを否定する相手に対しては、容赦なく反撃してきます。 できれば付き合いたくない相手です。
お礼
お返事ありがとうございました。「罪の意識が希薄」、「自己中」、いろいろと参考になります。「正しい自分を非難する人には、攻撃を仕掛けてでも自分の正当性を主張する」は、まさに的を得た表現で、大いに参考になります。どこかで論理を飛躍して自分の価値観を100%にできる・・簡単にいうと、子供なのですね。つまりは大人の姿をした子供、と見ればよいのですね。でも、誰の目にも明白な事実をどうやって無視できるんでしょうね、、、。現実にはそれが起こっているんですが、、。 御考察感謝致します。
お礼
御回答ありがとうございました。goosuka003様、これで2回目ですね。いつもながらお世話になります。私はかねがね、内面のモラルや善悪観を完全に無視した行動を人はとれるものかなぁ、という疑問をもっていました。そこにはなにがしかの、気後れや不自然さが表出するだろう、と読んでいたわけですが、このごろそういった気配のまったく見られなかった体験をして、少し混乱していた次第です。「いかなるときも「自己という存在を保全する」ことが至上の目的」「価値観の違いと言うよりも自己に対する態度の違い」などなど、幾つも示唆に富む文章ありがとうございました。人間て、ある種の心理の筋道を形成すれば、そういったことも可能になってしまうんだ、ということがわかりました。とても参考になりました。