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冠婚葬祭業と風俗

  • 質問No.1791724
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結婚=愛し合った二人が結ばれる。素晴らしいことです。
葬儀=愛しい人が天に召される。辛い寂しいことです。
風俗=楽しいです気持ち良いです?

上の二つは戸籍登録や様々な申請を国にしなければなりません。社会的必須義務であり、権利でもあります。

そうでしょうか?

子孫を残す為に盲目の本能は異性を求めますが、必ずしも繁殖目的や義務や権利を貰う目的ではしない結婚、恋愛があります。

結婚を持続させること、子孫を立派に育むこと。そして、別れの時に感謝と忍ぶ気持ちを贈る。これは義務や権利を超えた本能がさせる個人的な理想のと思います。

例えば性市場は社会的に大歓迎しないまでも、人間の理想ではないように思います。それを社会が干渉したり申告の義務を迫ったりしたら、おかしなことになりそうです。

無事に愛の結晶(子供)を授かると立派な社会の子に育てなくてはならない。登録、申告の是非を問わない風俗性市場は社会と切り離して個人の問題である?

私は冠婚葬祭の儀式?あれは個人の権利でも義務でもないと思います。そして、社会に宗教がセットになっているのが不自然にも思うのです。

なぜ人間は本能よりも優先した、社会性を重視、理想としたのでしょう?『理性とは社会のためのものか個人のためのものか?』

どちらの為でもあるなら、風俗に関わる者も免許を持つといい、宗教のカテゴリーにでもして加護すると良いのでは?

質問者が選んだベストアンサー

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ベストアンサー率 20% (23/110)

『金持ち(上座仏教で前世で徳を蓄えた証拠となるらしい)」』ぬわにぃ。やっぱりそうかっ!!
『無謀を好むのは男性』ぬわにぃ。やっぱり男なのかっ!!
『個人差はありますが』そうそう、そうだよね。(ホっ)
『人間以外の動物が泣いたり笑ったり出来ない』ホントにぃ?ワシ目撃したことあるけど。
『後向きの執着心が』これはだけど女のほうに多いんじゃない?
『「ストレスが増幅するとモラルは低下する」というのが私の幸福絶対原理である。』いいこと仰いますねえ同感。「衣食足ってナントヤラ」ということばもありますがストレス耐性は人それぞれでもモラルの低下という結果が見られるのは共通してるみたいですね。
『女性はゲラが多いのでアホに見られやすいが』ぬわにぃ。(戻る)やっぱりそうかっ!!(アレ?)

何しに来たんだっけ…ああそうだ追伸です。
何回来ても答えらしい答えにならんので、つい気になってアレコレ考えてしまいましてなあ。

たとえば高級娼婦の代表格みたいな「花魁」ちゅうのが昔あったそうですね。このレベルまで来ると、けっこう学もあったり技芸に秀でてなくてはならなかったりで、そこらの男は相手にしてもらえず、それなりに一目置かれる存在だったそうですが、誰でもが、そんなふうになれるんかと言うと、そうではないですよね。生まれ持って秀逸な面が大きくないとね。外見も含めてね。そうすると図抜けてスケール大きい女人なら憧憬の対象だけで済むかしらんが、どんぐりの背比べレベルの世界だと凄まじい女の嫉妬渦巻く足の引っ張り合いワールドになっちゃうでしょ。
実際江戸時代の庶民譚に吉原の遊女出身の主婦に隣の平凡な主婦が辛く当たるといった話があります。

現代における電波娼婦、芸能界アイドルの世界だって(売れなくなったらハダカ晒すの定番みたいだから、やっぱ性商売ですね)似たようなもんでしょ?

それに、いやしくも「癒しによる救済」を掲げる教祖様たる者、救済する相手を選別するわけにも行かん。伝染病患者だろうが二目と見られぬ醜いジジイだろうが雪の肌えに抱き取ってやらにゃいかん、というわけで。
いくら金と引き換えでも、こんな覚悟できる女、いまどきにいるのかの。自分が癒してもらいたいなどと下心持ってるような輩に。

変わらないヒトのサガもあるから相変わらず娼婦のニーズは存在する。
でも、その周辺を取り巻く人心は、どんどん変化し続けてもいる。

娼婦になるのは何故ですか?
マグダラ(ベタニア)のマリアが娼婦になったのは何故ですか?
いわゆる先進国の男が、女に癒されて満足することよりも征服欲や権力を選び取ったのは何故ですか?
多くの女は征服欲盛んな権力を手中に収めた男を選びたがりませんか?
これらを手放す可能性は?回帰しつつある予兆は?

どうも御質問者の今回の議題は歴史的、社会的、心理的な各方面からもアプローチが重要なように思えます。

「マグダラのマリア」については私自身、興味の強い対象ですので、いま取り組んでいらっしゃるという御本を読破なされたうえは、より御考察を深められて、より鋭い御提案をなされたら、ワシの出る幕もないほどに盛況を招くでありましょう…楽しみだなあ。

憎めないかたですね!ガンバッテください!!
補足コメント
noname#31063
goosuka003さん。お礼遅れました、ごめんなさい。哲学というもの自分の発想であっても、それは単に手段であり、いつでも疑い撤回出来る考察法として用いるのであり、現象学は感情論なので(多分)モラルが下がります。批判が来たからといって意気を下げることなく憎まれないよう頑張ります!?。

ある場所で「ぶっ壊そうそうぜ!」な私の思いつき発言に、それをちゃんと説明してくれましたね。「そうそう、つまりそういうことで」と勝手に、自分の言いたかったこともそう言うことだよってのが多々あります。結論よりも過程が大事とはこのことですよ。今ではgoosuka003さんはじめ数名の方は私の中でも、おそらく全体の為にも貴重な存在になってます。

しかし、過程が大事だけれど、目的は善悪の決定じゃなく群れと個では人の価値が変わるだろうか?です。

最終的に人間は個として死にたいものであり、戦争で死にたい人がどれだけいるものかと察するに、自由が人間にとっても一番いいと思うのです。でもそれじゃ群れはまとまりません、文明も成立しない(笑)でも人間の「個」というもの、それは全体を包括している存在でもあると思う。

贅沢するため、一目置かれる存在になり、高い評価を得て多くに好かれたい。そんな目的で勉強の成績と出席日数を気にする。職業を選ぶというのも向上心を奮起するのに大事だろう。

[小便は飢える×(←変換ミス。だが凄い言葉だ)ショウベンハウエル/幸福論より]「私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道こそが実際には苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道(世間に迎合する生き方)は分かりきっている。それは暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。

弱者とはどっちのことか?娼婦が弱者なら精神的に大きな格闘が不用というのはどうだろう?そんな人ばかりではなく、そこいらの人より格闘せざるを得ず選択しようのない現実であったり、その後の格闘も続くと思うが。
投稿日時:2005/11/27 01:41
お礼コメント
noname#31063
>いくら金と引き換えでも、こんな覚悟できる女、いまどきにいるのかの・・

個として職業選択に「誰かに歓ばれて自分も歓んでしたい仕事」があるはずで、そこには競争原理ではない原理=誇り。尊厳とも品位の向上心が人にあるのに、群れの中ではみそくそに潰されることもあるのですね。

娼婦も宗教(生活の糧にしている人)家も職業に貴賎があるのか、ないと思う。それで人を狂信的にして争わせたり堕落させたり侮辱する危険が多いのは宗教にもあるではないか。

いわゆる、醇風良俗なるものは真理でもなく正義でもない
ということで、醇風良俗によって悪徳とされること必ずしも悪徳ではなく、醇風良俗によって罰せられることよりも、自我自らによって罰せられることを恐るべきだ、ということだけは言い得るだろう」(坂口安吾「恋愛論」。「堕落論」より)自分で答えられないし、誰も教えてgoo!してくれないなら、森田健作頼みです。疑問を持つこと討議するKとは謎があって知りたいという欲望よりも楽しかったりする。でも盛況は困る~~。私はお礼が長くなりがちで、それも結構な時間をかけているのです。三日ぐらいネタをねっても結局見落としがあるから適当に書いてなっとくする方針にかえてもこれですから。

>先進国の男が、女に癒されて満足することよりも征服欲や権力を選び取ったのは何故ですか?
>多くの女は征服欲盛んな権力を手中に収めた男を選びたがりませんか?
>これらを手放す可能性は?回帰しつつある予兆は?

>どうも御質問者の今回の議題は歴史的、社会的、心理的な各方面からもアプローチが重要なように思えます。

ありがとう~~~再検討と勉強します(大汗)。でもここのお礼の枠が少ないのが不満だ。誰も来なかったら自慰回答も自己主張も出来ないからな~。
投稿日時:2005/11/27 01:55

その他の回答 (全6件)

  • 回答No.7

ベストアンサー率 20% (23/110)

補足と御礼、拝見しました。御礼早いですよ全然。

『批判が来たからといって意気を下げることなく憎まれないよう頑張ります!?。』

…批判、まあ先に述べたことにも、もうちっと考察を深めたほうが良かったのに…という気持ちは確かにありますが励ましの気持ちで言ったんです、意気は下げんでもよろしいですよ。

『いわゆる、醇風良俗なるものは真理でもなく正義でもない』
『尊厳とも品位の向上心が人にあるのに、群れの中ではみそくそに潰されることもあるのですね』

自分は元々、或る現象が刻々に変化していく、その陰でそれに関与している「ヒトの心理」というもののほうに哲学よりも興味が強い傾向があるので

『醇風良俗によって罰せられることよりも、自我自らによって罰せられることを恐るべきだ、ということだけは言い得るだろう」』

「醇風良俗」ですか。つまり一般大衆の、ですよね。
そのとおりだと思います。ほんとのプライドが、自我が、と言うべきかな高い人なら誰でもそうでしょう。

このコーナー、以前、女性蔑視的な(哲学の分野に限ってのことだと信じてはいますが)質問者が出没してたんで貴方のように、いい悪い抜きで、いかにも女性と分かるようなアッケラカンと楽観的な提案をポイッと差し出すような御意見みるとハラハラしてしまうんです。といっても自分もホントは、こういうのが好きなんですがね。(だから何度も来てる)
だが、どこぞのスレッドで展開されてるようなトートロジー趣味の質問よりか、ずっといいと思います。少なくとも考察のレベルを上げていくという楽しみがある。その意味でガンバッテくださいと申し上げたんですよ。

『結論よりも過程が大事とはこのことですよ』
もちろん、過程を磨いていくのは自分自身でもやらなきゃなりません。その途中で識者のアドバイスを仰ぐのはいいと思いますが、むしろ今回の御質問では結論からいきなり入られたような印象がありましたもので…
先の女性蔑視的な質問者もそうでした。もっとも男らしいですがね。そしてそのスレッドも大変な盛況でしたよ。爆発するほどにね。

『「ぶっ壊そうそうぜ!」な私の思いつき発言』
スマンこれ本当に分かりません、貴方の御意見は、たくさんは拝見しておりませんが拝読するといつも人間が好きなんだなと温かさを感じるだけですのでね。それに『キラッと光って』いますよ。

『今ではgoosuka003さんはじめ数名の方は私の中でも、おそらく全体の為にも貴重な存在になってます。』

そうかな?goosuka003は余計だとしてホントにそうなら、また早く逃げ出さないとな。ずっと前「目立ち過ぎる」って注意されたことあるんでね。
休暇中なもんで、ちょっと覗いてたら、またズルズルと。いかんなあ。

『小便は飢える×(←変換ミス。だが凄い言葉だ)』

一瞬?でしたが、そうか、、ひっでぇなあ。凄いというよか飢える氏に失礼ですぜ。ハハハ…

『でも盛況は困る~~。』
そうなんですか?せっかく期待してんのになあ。しょうがねえなあ。じゃあ退散するよ。
失礼します。
(やっぱ憎めない人ですね!!)
補足コメント
noname#31063
goosuka003さん。ありがとう。どうもあっけらかんで憎めない期待の原始人です(笑)。最後にはどうにか良いと思うところも拾って頂き救ってくれて、いい気にさせられてしまう~、もう閉め切ること考えてたとことなのに。残念!(誰に言ってる?)いやお世話になります。本当にありがとう。

短絡的で結論を先に出すのはおちょこちょいの典型じゃないかと!自分でもどうにかしたいとことです。せっかちではなく、頭悪いから面倒なことが出来ないに他なりません。

他の質問者でも回答者でも知的でカッコイイな~って羨ましいのですが、でも私は違う方向からやってみよう頑張ってみようと!、グースカさんも本当に楽しい人だ。みんな同じじゃ面白くないやんね。

私がもっと思慮が浅く文章も下手だった頃(これでもかなり改善されていると主張している訳ですが)「高校の先生なら0点を付ける、しかし大学院では満点だ!」という評価を貰ったことがある。

善悪や正誤ではなく、何を取り上げ試すか?点数をつけるのは全体が認めない許さないからではなくて、先生が困ることを言うからだ。という意味に受けとめて、先生が許さなくても全体を見れる知能のある人からすると間違いではなかったりするのだな。と自信をつけてもらった。発展途上の楽しみをあなたに(笑)
投稿日時:2005/11/28 14:22
お礼コメント
noname#31063
私も心理学と哲学に興味があって、自分の為に必要を感じていているからですね。生活する上での不自由や外見上に問題はないと思いますが、変なことは確かで(爆)そうして晩年普通に幸せになりたいと思ってる。でもうっかり輝いてしまって(爆)私も?節操がないのかなぁ(ポリポリ)。

トートロジー(同語反復)と聞いてアルジャーノンに花束をの中での「間抜けのドードー鳥」を連想してしまう。人並み以上の知能になって、自分の到らなさも鮮明に理解してしまう。人並み以上に敏感になるという悪夢の話。そこから来ている?(違)

人は自己を離れて生きてはいけないくせに、自分に執着すると罪を背負う様になっている/武者小路実篤

先生といっても学者と教師では命題が違いますね。脳内生理学や仏法哲学を研究してるからといって癒しのカウンセラーにも向くかというとそうでもなさそうで、魅力を引き出すのが上手い人は素人でも教師に向いていると思う。その段階まで行けるといいなと思ってます。でもまだ自分で手一杯なものでこれがなかなか…(苦笑)

上等な人間が下等な人間に及ばない才能というのもあると思います。下等な人間とかそういう段階は誰が決めているかというと人間の群れの先入観であり、全体一致の意見ではないということ。私にとってはかけがえのない庶民の親であったり、やくざもいるのだ。

アレキサンダー大王が「私は偉いんだから良い人だ」といった、物貰いのディオゲネスは「日が当たらないからそこをどいて」と言った。「私を恐れないのか?」アレキサンダーは聞いた。「良い人を恐れる必要はない」と答えた。

良い人ほど怖れる必要がないのだ!。でも良い人に媚びを売るのが常識で? それは誰の為に?良い人の為に弱いものが払う代償は誰を助けているのか。弱者であっても良い人、良い国の為に媚びを売らないで、悪い人の為を考えていい人ぶってもいいではないかの発想でもある。だから変なのである(笑)と今ごろ言って見る。

――――――――――――――――――――――――――

今回質問したつもりでしたが(苦笑)、自分の研究課題としての楽しみがありますので機会があれば又(ネタを練り直し)投稿します。期待は絶対できませんが(苦笑)近い質問があれば参考にします。御二方には感謝です。ありがとうございました。
投稿日時:2005/11/28 14:59
  • 回答No.5

ベストアンサー率 20% (23/110)

タイのお話を伺って、少し絞れてきたかなという感じがしましたので、もう一回だけ。

そう。何故タイのオカアチャンたちはプライドが高いのか?
そのプライドを支えているものは何ですか?

「がっちりお金を握って前線で仕切っている」どうやら、これかな?一番大きいのは。

経済力と発言力は比例しますからね。
こうした掲示板はPCいらえる程度ならビンボー人でも発言だけはさせてもらえるけどね。

もっとも、その経済力の出所が男性でありながら、その行使権は女性がガッチリ握っているのであれば、これは確かに男性が優しいか、女性が図太くも強過ぎるのか…しかし日本だって似たようなもんじゃないですか。もんだった、と言うべきなのかな?いまどきは。

『「婿入り婚」で相続や資産は女系が握るのです。嫁姑の問題も介護の問題も実の親の方が家庭は丸く収まりやすいのですし、婿殿も安心して外でバリバリ働け、義父との確執はあまり起きないような気がするのです。』
ハハそりゃどうかな?たいへん楽観的であると同時に意外と、けっこう保守的な考え方をなさるんですね。もっとも「女系社会」自体が古い社会形態なんだから当然か。

まずは男女の出生比率も重要問題になってくるし社会状況によって、その出生比率自体、変化するらしいですからな。
実の親子でも確執が年々歳々深まるばかりだし。社会面のニュース見てて、そう思いませんか?

『肉体的・生理的に男性に劣るのが女性であるのに』
一見、女性側が不利なように見えるところから、こう仰ったのでしょうが、これは、いささか軽率な発言ですね。
『そういう部分はすぐ男女平等にされて』
確かに平等のされかたは、まだまだ考慮・改善の余地ありでしょう。
『知的財産や権利、資産相続はまだ男性と同等ではない気がしまして。』
具体的に何を指しておられるかは分かりませんが、まあまだ取りこぼしてる部分はあるとしても追々、改善されていくんじゃないでしょうか。いまの時代むしろ男女間の、という以上に個人の社会的立場における不平等問題のほうが大きくなってきてるんじゃないかと感じますが。

男女平等問題と娼婦の社会的地位を保全せよとの御提案が、どう具体的につながっていくと言うのかが、やはりまだ、つかみ難いですが、まあ、そうですねタイにおける女系社会よ崩壊することなく永遠に…と祈りつつ、じゃなんでメデタキ女系社会を手放してしまったのか、という、そこのところを突き詰めて(突き詰めようとするのは哲学の基本姿勢でしょ?)再度、御提案なさってはいかがでしょうか?

どうでもいいことですが当方「チ」のつく(出るじゃなくてね)生殖器は備えておりませんが男性と思われても、いっこう差し支えないです。(開き直りか?)

うむ…下品な〆方をしてしまった。

オモシロいかたですね!ガンバッテください!!(←唐突)
お礼コメント
noname#31063
goosuka003さん。拙者も「チ」のつく生殖器は備えておらぬのだが、その武士の心意気、有り難くお言葉を頂戴いたす。

>何故タイのオカアチャンたちはプライドが高いのか?
そのプライドを支えているものは何ですか?

美しいからだと思います。タイ人は「美しさ・快適さ・優雅な暮らし・金持ち(上座仏教で前世で徳を蓄えた証拠となるらしい)」が大事なのです。毎晩そう唱えてます。私は外見には無頓着ですしその自信(プライド)の根拠がよくわからない時があるのですが、スタイルといい趣味といい美しさを追求することが至福のようです。

>楽観的であると同時に意外と、けっこう保守的な考え方をなさるんですね。もっとも「女系社会」自体が古い社会形態なんだから当然…

人間を2種類に分けると無謀な人と臆病な人とになると思うのです。だいたい無謀を好むのは男性で、女性は臆病な傾向があります。個人差はありますが。

男性は投資というと博打をします。勝負するからには相手に叩かれることも覚悟の上でしなければならない。そして勝ったら敗者を哀れんではいけない。女性は保険に投資するのが正解だと主張します。保険は勝負ではなく損失の補填だからです。これは母性に逆することではないと思いませんか。

>メデタキ女系社会を手放してしまったのか、という、そこのところを突き詰めて…

自分の質問に自分で回答していってる気がして寂しいのですが…、それは男性はあまり感情を出すことをしたがらないせいがあるでしょうか?

人間も動物であるので畜生界というのがあるそうです。でも人間以外の動物が泣いたり笑ったり出来ないのは遺伝情報に組みこまれていないせいで、なぜ人間にはそのような本能があるのか? 脳が進化したからです。泣いたり笑うとストレスが軽減されたり、代謝も良くなり後向きの執着心がなくせやすくなったり。笑わない、泣かないも男性が貯めやすいストレスです。「ストレスが増幅するとモラルは低下する」というのが私の幸福絶対原理である。女性はゲラが多いのでアホに見られやすいが、実は賢さである!? 笑わないもんがアホである!実際にタイにハマった真面目でアホな僧侶に逢ったし、どっちが狂信者かと?











ありがとう私に愛を送って下さる方の為にも(居ないって)頑張ります!!(何をだろう!?)
投稿日時:2005/11/25 04:20
  • 回答No.4

ベストアンサー率 20% (23/110)

こんばんは。No.2です。

御承知置きのとおり風俗の(この呼称は近現代からのものなのですかね?…逆質問してどうする!)或いは娼婦というものの社会的地位、ニュアンスが、その起源的時代においては現代とは、いささか異なるものであったらしいということを我々にも垣間見ることはできるのですが、様々な時代の流れを経て変化してしまった。起源的時代においての社会的地位のみならず、その現場に属する人間の心境だって大いに変化しているはずです。

たとえば起源の時代においては娼婦が客を癒してやる存在だったとしても現代においては娼婦を志す者自身、物(ぶつ)或いは心(しん)において癒される側に回ろうとしているふしが伺えるのでは?

その目的が果たして遂げられているかどうかは個々に問うてみなければ何とも言えませんが。
また客側にしてもしかり本当に癒され効果とやらを得られているものやらどうやら。むしろ事後の虚しさの方が大きいかもしれませんよ?

変化したのは一部だけではない皆連れ立って変化してしまっているのです。

前回にも申し上げましたが、お上の許可のもと堂々と営業していたものが或いは、その前から連綿と続いていたものが廃止されまた変化を遂げなければならなかった、その本当の理由は何なんでしょうね?

人間の世界は往々にして正邪の別とは違うところで動いているのが現実ですから貴方がこう思うというのは御自由ですが御自身の理想観が人の世と逆行するものであるなら、それを具体化するには悲惨な?戦いを覚悟せねばならぬのではないでしょうか。え?そんなつもり毛頭ないってか?失礼しました。…

『古代の土着の信仰では性的魅力のある女性は「愛の女神からの特別で神聖な贈り物」であり、その聖なる女性とされる女司祭は「豊穣を祈願するもの」として尊敬されていたそうでして』
このあたりは、どうやら世界共通と言っていいみたいですね。日本でも「卑弥呼」とかね。
いまの時代は、こうした役割は芸能人にやってもらってるんじゃないですか。電波芸者ってことばもありますね。
まあダイレクトにカラダ使やあいいんですから娼婦になるほうが手っ取り早い、と。

『それが良いか悪いかというより女性が性の主導権を握っている方が宗教でも男性にとっても好都合な自由があって良かったのでは?と思います。』
このへんが具体的につかめないんだなあ。
『女性が性の主導権を握る』たとえば、どんなふうに?

現代は握れてないと仰りたいのでしょうか?
女性が性の主導権を握ることで、どんな問題が波及してくるかもあわせて御考えになっては?
何より『男性にとっても』本当に好都合な自由があるもんなら、それを手放すわけないと思いますがね。

「娼婦」になること自体の意味を考えることから御出発なされてみては?
いや「教祖」と置き換えたほうが質問者様の意に沿いますかね。「教祖」だらけになっちまいそうですなあ…

『それから「マグダラのマリア」については考察しておりました。というか、その質問を提示した本人でもあります(爆)』
これは失礼しました知らなかったものですから。
当方が申し上げた「質問」というのは貴方のそれより、もっと以前のものです。

ま、なかなか答えを出せそうで困難な曖昧模糊とした御質問ですので私の手には負えんものと、これで退散しておきます…
補足コメント
noname#31063
goosuka003さん。私の妄想は留まるところもなくでして、でも底がすっぽり抜けてたりもするので、私としては助かるのですよ~うひょひょ(←放っときましょう)ジャンジャン来て頂いて良いのですよぉ~。

>現代においては娼婦を志す者自身、物(ぶつ)或いは心(しん)において癒される側に回ろうとしているのでは?

人は一人では生きれません、人間は人と人の間と書きます(金八先生風)。

娼婦になる女性は、生の不全感・他者と親密な関係性の経験が薄く、他者と関係するにあたり欲するより求められることで不全感を充足させようとしている。

お金や物質的なもの、人格よりも「役割」として他者に依存する関係を生き甲斐にしそして癒されているかもしれません。

男性が他者に求められる為には、個性よりも社会的な収益性を評価されやすいので、それを示す為に消費行為と欲望を満たせる(排泄する?)客になることに罪の意識よりも優越感で癒されているのではないか?と勝手な推測をしてみました。

>それ(癒しの風俗は宗教法人にする)を具体化するには悲惨な?戦いを覚悟せねばならぬのではないでしょうか。え?…

は、はい。実は私もそう思っています(汗)。実現化することはまず皆無に思いますが(冷汗)。男性(ですよね?)からそういう反論?は内心からもホっとしています。

万が一そういうイヤラシイ癒し(シャレです)する女性教祖様が現れたとして、家族はどうしますか!! 「絶対あなたは騙されているのよ!はやく目を覚まして、元の真面目なあなたに戻って(号泣)」になると思います…。
投稿日時:2005/11/23 01:00
お礼コメント
noname#31063
>『女性が性の主導権を握る』たとえば、どんなふうに?
>現代は握れてないと仰りたいのでしょうか?
>『男性にとっても』本当に好都合な自由があるもんなら、それを手放すわけないと思いますがね。

言葉足らずでした、すみません。女性が性の主導権を握るとは『母系社会』です。サザエさんの「磯野家」のように「婿入り婚」で相続や資産は女系が握るのです。嫁姑の問題も介護の問題も実の親の方が家庭は丸く収まりやすいのですし、婿殿も安心して外でバリバリ働け、義父との確執はあまり起きないような気がするのです。

バンコク駐在経験者ですが、タイは一夫多妻制でありました(今は違います)母系社会のタイでは奥さんが、がっちりお金を握って前線で仕切っているし、旦那さんが身分の低い相手と浮気しても嫉妬されにくく、昼間こづかいで友人とビールを飲んで談笑したり気ままにしてます。甲斐性のある男性なら楽しい人生でしょう。女性も仕事に、家事に、子育てに、家計のやりくりに、近所付き合いに、親の面倒にと沢山の用事を一人で抱えなくても妻同士で分担して用事をすればいいのだから楽ちんになります。けれど、タイ女性のプライドは高いので、侮辱すると包丁沙汰になりますのです(怖)。男性は優しくなければ生きていけないようです。

日本もだいぶ男女平等が浸透したようで、本当に男女が平等であるのは知的な部分で、肉体的・生理的に男性に劣るのが女性であるのに、そういう部分はすぐ男女平等にされて、知的財産や権利、資産相続はまだ男性と同等ではない気がしまして。

なんとなく私の意図が掴めましたか? マグダラのマリアは、礼拝や儀式よりも、神の存在を自身で体現、思いやりと謙虚、他者への奉仕が徳を積む行為だとし庶民の傍で暮らし良い羊飼いでありました。(まだ完読はしてませんが;)やはり、もっとネタを練ってからが良かったでしょうね(後悔中)。ありがとうございます。
投稿日時:2005/11/23 01:04
  • 回答No.3

ベストアンサー率 18% (3/16)

返信出来ないので追記しておきます。
また、以降返信はしないので、これで最後にしますね。
私に間接的に関連のある事なので気になっている事です。

まず、とても申し訳ないですが、結婚と葬儀について同意見かは判断の難しい表現ですから
同じ方向と解釈してもらうのが簡単かと思われます。

続いて本題の宗教についてですが……コレは本当に広義なのですよ。
当初は限られた狭い意味で使用されていたであろう宗教も、個人に広まり内包される事で
その個人から新たな考え、宗教が派生してしまった、そう考えています。
よって、一口に宗教と言ってもそれ全てを指すのか、二番煎じや真と言われるもの以外を指すのか。
簡単に議論できる内容でもなく、非常にでりけぇとな問題と思っています。
それも、僕の親の片方が宗教を、その親もまた神社だのなんだので、宗教家を持つ家庭だからです。

宗教とは何のかと言われても、由緒正しい宗教のトップの方でさえ、詳しくは語れないでしょう。
恐らく広義にこのように語るハズです。  「己の自身の中にある」「全てがそうだ」等……
宗教というのは正義という単語に言い換えられなくもありません。
ただ、多数決に敵わずひっそりと己の中で育てる思想。そのようなイメージが強い。
他にも……生きる定義というものを、架空の絶対者を作り出し崇拝する事で見出す。
社会というものが社会であるために、逃げ道という認識で用意されたかませ犬的認識。
誰にも属さず、自分の信念を宗教の意味を引用し、宗教とは呼ばない在り方。
人との接し方での方法に宗教を持ち出し、己を形成する上での材料にする。

本来かは分かりませんが、神や霊がいるのかも関わってくる事柄です。
人によっては信じきっているもの、信じているように振舞っている者、信じない者。
それだけでも細分化の様が激しい内容、加えて少しの誤解がもの凄い反感を買う事柄でもある。
風俗は確かに癒し効果や肉体的快楽、本能の行き場所、裏のイメージ、金銭収集役割など
宗教の役割とおおよそ似ているイメージはありますね。
しかし絶対に同じにはならない、水と油のような関係です。
考えていくと、宗教にも肉体的快楽を司るような教えの所もありますけれどねー。
考察や提案は出来ても、言葉にすると逃げる意味のものが、この二つを一緒にしません。
様々な感情が混じり、その結論として本能的に一緒にはしないものです。
一部の人だけと言っても、その一部に過剰なまでに反応し社会性を維持する現代では
有り得ないと言っても過言では無いと思いますよ。

ビジネスの宗教があるかは知りません。
第一、宗教でのお金の用途は、お布施であり売買ではないですからね。価値観から異なる。
風俗を現代に通用する癒しとするなら、宗教は別世界観を用いる癒しというところでしょうか。
神々や霊が証明された瞬間、この二つが分別されるかがハッキリしますが、
されないのでは何一つハッキリする事が無いのですよ。考えるだけ疲れるんです。
それと、正論という言葉は軽く使わない方が良いですよ。
お礼コメント
noname#31063
bansu_skさん。そうですね、正論とか同義であるとか一概に結論にはできません。宗教は古代では価値観の統一であり、魂の救済であり、感謝する象徴であり、天文科学、医学、道徳、文学等、学びの場であり、そして民衆を管理する公務員的な役割もあったように思います。今は宗教がカバーする役割も薄つつある現代において、宗教とは何か?ですね。

>「己の自身の中にある」「全てがそうだ」等……

そうですね。宗教とは、>架空の絶対者とは、>神や霊とは、尊いもの…ある光だと、私の醜さ未熟さを照らす光で、私たちがそうなる必要があるとかないとか目標ではなく、美しいもの、癒されるもの、歓びを教えてくれる光だと思います。その光があることを知らないのはもったいないことだと、ある人(詩人)に教わりました。そう感じれる行為を捧げ示すことが「己自身の中にある」導かれていく過程の歓び…のように思いました。

それからすみません。宗教が全く収益を目的としていないところを私は勉強不足でよく知らなくて、先入観で書いてしまいました。私の身近には出版物等での利益があるのに宗教法人ということで減税されているところの人が多く(みんな気の良い真面目な人ばかりですが)???強引な勧誘に先入観を幾ばくか持っています。お布施というのは風俗でいう前金システムかしらん?(←逝ってよし!?)。

私利私欲と衝突しない公共性ということで冠婚葬祭で宗教が公共性と義務を統率するのに便利であった時代の風習の名残りで、今は本当に信仰心からの必要性ではないのは確かなよなのですが。これも先入観かな?

>誰にも属さず、自分の信念を宗教の意味を引用し、宗教とは呼ばない在り方。
人との接し方での方法に宗教を持ち出し、己を形成する上での材料にする。

そうします。信仰しない主義ですが、哲学的な思慮深さは宗教に学ぶところが多いですから。これから見解を広げていく上で参考にさせて頂きます。bansu_skさんありがとうございます。
投稿日時:2005/11/21 21:27
  • 回答No.2

ベストアンサー率 20% (23/110)

眠れぬままに、つれづれと首を突っ込むのを御許しください。

「繁殖目的や義務や権利を貰う目的ではしない結婚、恋愛があります。」=愛し合った二人が結ばれる。
ですよね?

「性市場は社会的に大歓迎しないまでも人間の理想ではないように思います。それを社会が干渉したり申告の義務を迫ったりしたら、おかしなことになりそうです」

と仰いましても少なくとも一応建前上は干渉も申告義務も現実あるじゃないかと思うんですが…なかったら、もっとおかしなことになりませんか?質問者様は反対のお立場みたいですね。じゃ社会が干渉したり申告の義務を迫ったりしなければ理想郷になると?
とは言えザル法と言うか有名無実なんじゃないでしょうか。

「なぜ人間は本能よりも優先した、社会性を重視、理想としたのでしょう?『理性とは社会のためのものか個人のためのものか?』」

社会性を理性と置き換えますなら本能と理性の問題ですね。しかし「どちらの為でもあるなら」と仰るように、これは厳密には不即不離の関係だと思います。本来的には本能にとっても有益であるからこそ理性が社会性が伸長したものでしょう。それが人間社会の諸々の複雑高度な発展に伴いアンバランスな様相を呈しているように感じられるといったところでしょうか?

「登録、申告の是非を問わない風俗性市場は社会と切り離して個人の問題である?」

まあ性的なことというのは秘するべきものというのが人間一般社会の少なくとも、わが日本では、お約束ですし(そうでない世界もありましょうけれど)ですから排泄の問題と同じようなことで多分に個人の裁量において良きに計らえということなんじゃないでしょうか。

冠婚葬祭の儀式が個人の大いに権利とも義務とも思っている人けっこういるみたいです。したくなければしない権利もあるでしょうし。

「社会に宗教がセットになっているのが不自然にも思うのです。」

これは意味を確かに解することが私にはできませんので、
最終項の御提案については「風営法」というものがあるようですし実際、いつ頃までか、お上の許可の下に堂々と営業していた時代があったのでは?でも廃止されたのですよね。何故でしょうね。
キリスト教におけるマグダラのマリア等に関する御考察を、お勧めします。ずい分以前ですが、こうした質問が、このカテゴリーにありました。ま、宗教のお仲間に入れるのは当の宗教界が拒絶するんじゃないでしょうか。

なんか見直してみると疑問形やクエスチョンが多いですねアドバイスにしたくせに。でもこれは補足を要求するつもりがないからです。
どうも頭がボンヤリして御質問の真意をよく汲み取れませんでした。御容赦くださいね。
お礼コメント
noname#31063
goosuka003さん。こちらこそ、いつもぼんやり思考なので理路整然としない問いに答えて頂けたそのご致力に感謝します。ありがとうございます。

風俗営業も「風営法」で国が干渉していますよね。そうでないと警察や省庁は血税を何に使っているのか分かりませんものね。

しかし、風俗というのはコンビニでもレンタルショップでも情報が子供にでも目に付くところに溢れていますが、規制制御すればするほど逆に高値をつけて儲かるのが、頭にやのつく自由業の方々で、そして宗教でもインドの女性教祖様アマチ様に到っては「抱きしめることで癒して下さる」そうです。

それから「マグダラのマリア」については考察しておりました。というか、その質問を提示した本人でもあります(爆)
初めベタニアのマリアのことだったのですが、ベタニアのマリアとマグダラのマリアが同一人物であることを後から知りました。それで「マグダラのマリアと聖杯」を今読んでいるところです(二が月以上前の質問なのにだが…未だ回答を開放中です)

ユダヤ教が普及する以前の、古代の土着の信仰では、性的魅力のある女性は「愛の女神からの特別で神聖な贈り物」であり、その聖なる女性とされる女司祭は「豊穣を祈願するもの」として尊敬されていたそうでして、その後社会的に女性の立場が軽んじられた社会の全く逆であったのは以外でした。

日本も平安時代は女性の時代で性にも大らかであったのに鎌倉時代以降は男性の時代になり社会的にも家族単位でも性規制タブーが多くなりましたね。
それが良いか悪いかというより女性が性の主導権を握っている方が宗教でも男性にとっても好都合な自由があって良かったのでは?と思います。

風俗が欲望の排泄なら、宗教は欲望を排泄するところがどうか?と考えさせられました。欲望を満たすところでもあるような、ないような…。

疑問形やクエスチョンは私の方が多いのでお気に為さらぬよう(笑)お礼というか、又独り言になってしまっているかもしれません。貴重な睡眠時間に変な質問にお付き合い頂きありがとうございました。
投稿日時:2005/11/21 17:53
  • 回答No.1

ベストアンサー率 18% (3/16)

人間の定義なんて誰も真実知りませんよ。分かっていて言っているんじゃないでしょうね?

結論から言えば、そんなものは確かめる術がありません。

元より人は個人で欲望のために生きようとしていたとすれば、力でねじ伏せようとした。しかし、傷つくという恐怖を本能で感じ、打開策として考えたのが社会性。
なぜか社会システムや秩序、政治が生まれ、偉い方々が伝わりもしない議論をして、本当に多数決の結果なのかもわからない政策を実施する。
個人はそれに無自覚で誰も考えようとはせず、考えたところで多数の前には力及ばず目を背ける。

結婚?本能を社会システムに沿って、統制できるようにした契約という紙キレでできる事で、幸せとか人生のゴールインの定義でも無い。しかし、そういうなりきりに意味を見出す人は楽しく感じる。それは多くの人が「幸せそう」と認めている証だから。

葬儀?統制しているのだから、誰かが亡くなれば管理のために知り、更新しなければいけない。一応生きてると言われている間は会えないし、寂しいし辛い様子。わざわざ葬式する必要あるかは疑わしい。霊とか成仏とか以前に、生き残った者の気持ちの整理のために一方的に行われるというのが妥当な見解かな。

風俗?本能に直接働きかける水商売と呼ばれる、一般には汚い商売。
秩序だとか法律以前に、多数が望み、国の収入源にもなる以上廃止はしない。それはタバコやお酒と一緒で、多くの者が望めばそれが秩序となるため。
しかし多くの人は、体裁で忌み嫌い、結婚等の過程でその行為に関わる者を嫌う。そのイメージは拭い切れるものではない。多くが、本能では望み、体裁のためには望まない。
社会システムを形作る上での影の部分としては十分に役目を果たしているもの。

だからと言って、加護はしないんですよ国は。
もはや人間は、社会システムを利用して楽しむ事で、生死、欲望、優越感、満足感などの人生に関するものを楽しむものだとインプットされている。
風俗は汚いからこそ、今の社会システムは成り立っている。
そして、宗教と風俗はまったく異なるものですよ。
理性とは、社会(個人達)のためのもの。故にどちらもあり、どちらも無い。それは人それぞれという意味。

社会とは人間の作り出した、「社会」という名の演技する場所。いわばステージ。
決して人間の精神の上部構造では無いですよ。
大体、効率悪いとしても変える事などできはしない。よほど大きな力が及ぼさない限りは不可能そのもの。
変えようとしたところで、考えない兵士に捕まって牢獄行きはまず間違い無いですから、一瞬で破壊し尽くすくらいでないとダメですね。
こういう話題は規制されますよ。んで、もっと考えてから来ると良いと思いますが。
お礼コメント
noname#31063
bansu_skさん。正論ですよねありがとうございます。

>人間の定義なんて誰も真実知りませんよ。分かっていて言っているんじゃないでしょうね?

人間の定義=生きる人の定義ですが、肉体的に健康であることは個人の喜びであるが、社会的には健康であることより収益性を重視する。だから健康な男女であっても漠然とした効率を求められてもその善悪の統制に息苦しくなりますよね。

精神的に健康であることは個人にとっても群れ(社会)にも収益性や効率性以前に大切で、精神的健康は目的ではなく何においても最初の条件であるのだから。

と言う訳で(どういう訳だ!?)理路整然としない私の発想から、無理やりに!でも回答をひっぱり出して頂き感謝です。

哲学は常識や社会の善悪モラル、個人的美醜のモラル、体制化された学問すら疑ってみる、可能性を模索する手段に思います。それでこの質問も一つの可能性としてどうでしょうか?の質問でした。

私は一人で悶々と思考してもいつも良い発想に繋がりません。誰かの意見から「ハっ」として浮かんだり、せっかくいい案を出してもらっていても、具体的に理解するのに数年掛かったりのお馬鹿なんですね。考えても考えてもぐるぐる回って、結局お馬鹿に戻るなら(笑)回らないほうが良いと諭してくれた方もいます。でも回ってしまう~。

駄作でもその中にキラリと光るものを見出すのが上手い人が居ます。そういう人がたまに居るということが私の救いです。ありがたいことです。

結婚と葬儀に関しては同意意見を貰ったと解釈してます。風俗と宗教ですが、癒し効果、魂の救済というのはもしかして風俗が上ではないかと。宗教がビジネスでないなら別ですが。
投稿日時:2005/11/21 17:00
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