• ベストアンサー

国司(四等官)

国司は守・介・掾・目の四等官で構成されていたという事ですが、それぞれどんな職掌だったのでしょうか? 都道府県でいえば守が知事、介が副知事だというのは何となく想像できますが、掾と目はどんな仕事をしていたのでしょうか?

noname#30350
noname#30350
  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#174420
noname#174420
回答No.2

No.1さんのあげられた職員令大国条ですが、まず守の項目に職掌が列挙されていますが、これは守だけの職掌ではなく、国司全員で行うべき職掌です。(守が代表するというだけで、守全部行うわけではないのです) また掾・目の職掌ですが、その表記のほとんどは、実質的な意味がありません。唐令の官人の職掌を移しただけで、実際は機能しなかったと考えられています。唐では文書作成の中で、文案のチェックや稽失の検出を四等官が分担して行っていたので、「勘署文案」といった規定があるのです。 ちなみに日本の場合は、一番下っ端の目が口頭で決裁すべき文書を読み上げ、守以下が口頭で了解を与える制度だったようです。目の職掌の「読申公文」がそれです。(唐令には、この「読申公文」の表現はなく、日本独自のものであることがわかっています) 守の職掌について詳しくお知りになりたい場合は、岩波思想体系の「律令」を一読されることをお勧めします。

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 国司全員の職掌だったのですね。 岩波思想体系の律令ですか。機会があったら読んでみたいと思います。

その他の回答 (1)

回答No.1

令義解の職員令 大国條にのっています。 (前略) 大掾一人 掌糺判国内。審署文案。勾稽失。察非違。余掾准此。 少掾一人 掌同大掾。 大目一人 掌受事上抄。勘署文案。検出稽失。読申公文。余目准此。 少目一人 掌同大目。 (後略) 勉強したのが10年以上前のことなのでうまく訳せません。ので詳しいサイトを紹介します。参考にしてください

参考URL:
http://www.sol.dti.ne.jp/%7Ehiromi/kansei/o_gekan_kokushi.html#Shibukan
noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 参考URL拝見いたします。

関連するQ&A

  • 受領国司と遥任国司について

     平安時代も中期になると律令制もかなり崩壊に近い状況であり、京官よりも見入りの豊かな国司に任命されるのを望む下級貴族も少なくなかったとか。  かつて学生だった頃、日本史の授業で「任国に赴任するのが受領国司。赴任せずに名義だけの者が遥任国司」と習った記憶があります。 たとえば藤原摂関家や天皇にごく近い源氏の上流貴族たちが、京官の兼任として守や介(またはその権官)に任命された場合は遥任が前提とされたことでしょう。 しかしそれ以外の某姓の中下流貴族たちはどうだったのでしょうか? 長官である守が受領として国衙で職務についていれば次官の介は在京していても許されたのか、それとも京で主な役目がなければやはり守のように赴任していたのか(しなければならなかったのか) また守が遥任で介が受領であれば、後任の守は在京していて後任の介がやはり赴任していたのか? 国司補任を紐解くと何人もの国司が同時に着任していたようですが、結局、誰が受領で誰が遥任だったのか、おおよその想像しかできず実態がつかめません。 国司制度の実態についてご存知の方、上記の疑問についてご回答いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。

  • 【四等官】しとうかんについて

    四等官とは長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)で構成されるそうですが、「かみ」(大岡越前守など)と「すけ」(吉良上野介)しか聞いたことないのですが、他の2つの具体例ってありますか?

  • 「上総介」とか「相模守」って?

    歴史小説を読んでいると、武士を「上総介(かずさのすけ)」とか「相模守(さがみのかみ)」などと、「○○介」とか「△△守」と呼ぶのをよく目にします。 この「○○介」「△△守」って何なのでしょうか?。苗字でも名前でもないようですが・・・。 このように呼ばれる人はどんな人なのでしょうか?。「介」と「守」には何か格の違いのようなものはあるのでしょうか?。 ○○や△△の部分は地名や国の名前が多いようですが、これは何か意味や決まりがあるのでしょうか?。必ずしもその武士の出身地や住所とは一致していないようなのですが・・・。 よろしくお願いします。

  • 平安時代・大和守に任命される事は敬遠されていた?

    こんにちは、いつも回答者の方にはお世話になっております。 平安時代の中流以下の家柄の官人達は、富裕な財産を築く機会に恵まれる<国司>に憧れ、どこかの<国の守>や<国の介>に任命されようと努力を惜しまなかった、と学びました。 しかし例外もあって<大和守>だけは敬遠された、というような文章を以前、どこかで読んだ気がするのです。大和国は京都=山城国に隣接し行き来も非常に楽そうですし、国の等級でも大国の筆頭です。まさかそんな国の守になるのを嫌がる理由は無いと思うのですが・・・。興福寺、という単語もあったような気がしますが記憶が定かではなく、ネットで検索しても良く分かりませんでした。 私が何か勘違いしているのだろうと思いますが、気になって仕方がありません。どうか平安時代の地方政治についてお詳しい方、教えていただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • 古代の土地に対する権力について

    古代日本がどれくらいの権力をもってたかを知りたいのです。 やはり当時の財は土地から生まれると思ったのですが、口分田とか墾田永年私財法やら荘園やらそこからイメージしにくくて困ってます。土地から生まれる財やそこに住む農民とかが権力になると思うので。 それらの関係など・・・わかりやすく教えていただけたら助かります。 図で説明したものとかわかりやすい解説の本やサイトなどないでしょうか・・・。 付け加えて、京の下級貴族が地方の国司(受領でしたっけ?守介とかでしたっけ?)に任命されてそこからマージンをもらって京に渡すような感じだったと思うのですが、京から任命した人ってどれだけいたのか、その任命された人ってどれだけ権限をもってたのかも知りたいです。

  • 室町時代 武将の名前に付く~守や~介ってなに?

    室町時代の武将の名前で、苗字の後に~守とか~介ってよく付いていますけど、これって当時の国の名前のようですが実際どうゆう事を意味しているのでしょうか? また、~守護、~守護代とはどう違うのですか? さらに同時期に一つの国名に二人以上の~守~介~守護~守護代が居たりしますがこれもどうゆうことでしょうか?

  • 国政の任務分担

    今や国会は地方行政に丸投げが多い。「政府が決めたから、 後は地方で何とかしろ、説明も方法も示さない政府は、お 祭り気分で宴会するだけ、地方は目の回る忙しさ。ならば、 日本国内の政治は、都道府県知事が国会を開き決議、都道 府県副知事を3名に増やし、各都道府県の行政を仕切ると 言う方法で良いではないか。本来の国会議員は世界国外の 外交政治で良いのではないか。質問です。丸投げ行政であ れば政府の国内における仕事は直接、都道府県知事にゆだ ねるのが、有権者の意思の疎通が出来て良いと思いますが どう思いますか?今の国会議員が儲からないから反対する と思いますけど。

  •  ロト6 (一等) が当たりました! すぐに全額貰えるのでしょーか!?

    こんばんは~♪ 念願叶って、ロト6 の一等賞がオイラだけ全国で独りぼっちだけ当選しましたー!!!!!      と、言う事が仮にあったなら。 1)その当選金額は、現金で頂戴できるのですか?所得税は、当年・翌年以降も発生しないのですか? 2)また、賞金が幾らぐらいから、訳の判らない団体が寄付してくれとか言い寄ってくるのですか? 3)それらの賞金当選者だと云う情報は、銀行が誰かに情報を流してるから、寄付してくれとか言い寄って来るんですよね? 4)過去に全く一緒の当選数字って出る事あるのですか? 5)10万円台がオイラに転がり込んで来ても嬉しいけど、数億円も転がり込むと、本当に人生狂うのですか?数千万円が転がり込んで来ても、今の仕事は続けるだろうと思うけど・・・・。 皆さんの知ってる事を教えて下さい!

  • 国司などが分かりません。

    国司などが分かりません。 歴史検定の参考書にある国司について、分からず調べました。 そしたら、律令、中央集権、長官という単語で解説されていました。 律令とは、今でいう法律になりますか? 中央集権とは、なんですか?国会議事堂のことですか? 長官とは、今でいう市長になるのですか? よく分かりません。 教えて下さい。

  • 国司とは?

    戦国期における守護職と国司の違いについて教えてください。 (1)同一国内に守護と国司が混在していることはあるのでしょうか? (2)国司は大名では無いので権限は違ったものになるのでしょうか? 私の知っている限りでは土佐の一条氏や伊勢の北畠氏、飛騨の姉小路氏等が国司だと思うのですが、いずれも結果、戦国大名に滅ぼされたり、吸収されたのでは。 戦国期に生き残る実力は無く、権威的なものだけだったのでしょうか?