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遊星人との対話
遥か彼方の遊星人と我々人間の思惟形式が同一である可能性はあると思われますか? なければ永遠に対話することは不可能ということになりますよね。
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「遊星人と我々人間の思惟形式が同一である可能性」は高いと思います。その根拠は、以下の通りです。 遊星人といえども、「生物」である以上、自然環境の中で持続的に生存することが必要であり、そのためには、自然環境を理解することが必要になります。ところが、自然法則は、この宇宙全域で同一であると考えられます。そうなると、少なくとも、自然現象の理解に関しては、遊星人と我々の間で、理解のレベルに差異はあるとしても、基本的には共通性があると考えられます。 また、遊星人といえども「生物」である以上、我々と同様に、内部環境と外部環境の区分が生じていると考えられます。それがないと「生物」としての自立性が維持できないからです。ところが、内部環境と外部環境の区分がある以上、内部が外部を理解するためには、どうしても、外部に関するモデル化が必要になります。その結果、何らかの言語的な抽象機能が備わっていると思われます。その言語的なものを使って、自然現象に関する理解の記述を行うはずですから、遊星人の言語的なものが、我々の言語構造と見かけ上、異なっていたとしても、自然現象という共通実体を記述している以上、何らかの翻訳が可能になると思われます。 以上は、「遊星人」がいることが前提です。蛇足ですが、もし、「遊星人」は存在しないが「遊星ブタ」は存在したとした場合、別な疑問が出てきます。それは、「遊星ブタ」は、自らの力で宇宙空間に飛び出すことができるのか?そして、その場合、言語機能は不要なのか?もし、言語機能が不可欠だとして、言語機能を持つ「遊星ブタ」がいたとしたら、それは、「遊星人」と呼んでもいいのではないかということです。
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- miniture_min
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我々が考える限りで考えても無意味です。(質問を否定するような事を言ってすいません) 何故なら、我々の思惟形式で(具体的に)考えうる思惟形式は、我々と同じかそうでないか、の2種類だけです。考えられると言う人もいるかもしれませんが、それは思惟形式を考えたのではなく、新しい思考の方法を考えただけで、人間に可能ならそれは我々の思惟形式に当たります。 とどのつまり、我々以外の『思考』と言っている時点ですでに我々の思惟形式にあたってしまいます。 問題となる遊星人が我々の考えられない事しか取らない、コミュニケーションをとる事がまったく不可能である可能性は?とするなら、 『何らかのデータさえあれば人間はその場に適応するので可能』と考えてよいと思います。何年かかるかは分かりませんが・・・・ まぁ出会ったこともない相手の事ですから正しい解答を言えるわけではないです。 もし、確率が知りたいなら哲学のカテゴリーでない分野で、統計として尋ねられるとよいでしょう(私は専門外です)
お礼
はっきり申し上げて見えない思惟形式と統計に何の関係があるのでしょう。
補足
ご回答ありがとうございます。 私の主張したいことは、 「思考」は「思考」である、つまり内包するものが同一であれば形式に関わり無く対話が可能ではないかということです。 もちろん形式は認識不可能ですが、意味するものは(権利問題としては)同一であると考えています。
- hakobulu
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単なる生体反応ではなく「思惟」と限定した時点で、同一である可能性があるというより、ほぼあると言っていいような気がします。 思惟するのは、自己以外の対象を認識することによって自己の存在基盤を確立させる手段に違いないと思われますし、存在を希望する生命体であれば必ず未知のものを解明しようとする意志は働くと思います。 未知を解明するための思惟の形態に多少の違いはあれ、形式自体が理解不能なほど異なるとは思われません、
お礼
hakobuluさん ご回答ありがとうございます。 私が考えますところ、思惟する遊星人も 自らの思惟のうちにのたうっているのではないでしょうか。
限りなくゼロに近いと思います。つまり、対話は不可能でしょう。 まず、認知体系が同じであるとは考えられません。我々は五感しか持っておらず、しかも非常に限られたモノです。地球上の他の生物を見ても、感覚器官が人間よりも多いモノもあれば少ないモノもいます。また関知できる幅も様々です。 これらはすべて進化上の偶然の産物であって、環境が異なれば全く異なる進化をすると考える方が自然でしょう。 認知体系が異なれば、言語も全く異なります。地球人類の言語は進化の途上である日突然生じた、非常に抽象的で厳密な構造を持つ、文法体系です。 しかも外界インターフェイスの制約も受けます。たとえば、一度に一つの音しか出せない、とか。 物理的な条件がすべて共通していても、同じような認知体系の進化があるとも限らないのに、別の抽象能力である文法体系まで共有する可能性は限りなくゼロに近いと思われます。
お礼
Nsuikaさん、ご丁寧な回答ありがとうございます。 個人的には名辞が存在すれば可能であると考えます。 イルカの研究なんかも盛んなようですね。 詳しくは知りませんが。 また何かありましたら宜しくお願いいたします。
再び#2です。私達が認知している世界は時間軸を(無理やり)合わせて4次元ですね。でも論理上では1?次元まであるそうで、詳しくはないのですが(大汗)優星人が私達以上の次元を認識、理解も出来ているとして、 高い次元から低い次元のことは理解出来る。でも低い次元から高い次元を理解することは無理なので、高い次元の遊星人が対話をし続けている可能性があっても、ないという証明は出来ません。 まだ人類の認識出来る次元が低いのでそれに気付けないでいるのかもしれません。特別な能力を持つ人がたまに居ることも確かですが。 宗教では多次元の対話が可能であるそうで、次元を高めるには霊性を高め「悟り」を開くと神とも対話が出来るそうです。 その霊性の構築要素は、哲学や科学の理解力で説明され得るのか? しかし神に一番接近している人類は物理学者か、思想家か? 遊星人や神と同次元を理解することで対話が可能になる可能性はあると思います。
お礼
miko-desiさん、熱意のあるご回答ありがとうございます。 >私達が認知している世界は時間軸を(無理やり)合わせて4次元ですね。 >論理上では1?次元まであるそうで >宗教では多次元の対話が可能であるそうで、次元を高めるには霊性を高め「悟り」を開くと神とも対話が出来るそうです。 以上を全て疑ってみてください。 そこから哲学は出発するのだと思います。
- les-min
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こんばんは。 別段専門的な知識を持っているわけではないのですが・・・お邪魔します。(かなり「言葉足らず」になると思うのですが、その点はご容赦いただけますと助かります。一応努力はしますが・・・) 遥か彼方でも、同じ宇宙の中であれば、少なくとも物理法則は同じと言えると思います。(←自信はないですけど) その状況下で、ある程度の「知性」を獲得した生命体は、なんらかの「言語」を有している可能性が高いのではないかと想像しています。 言語を有するということは、「概念」を思考の中で操作できるということだと思うので、なんらかの「言語」を有しているかどうかは重要なポイントではないかと思っています。 仮にそういう生命体が複数の個体で、どういう形でか集団を構成して生活している場合、「自我意識」を有している可能性が大きく、用いられる言語には「私」「貴方」といった彼我の区別を表す言葉(符牒・記号)があると考えることも、想像で想定する範囲として許されるのではないかと思います。 遊星人にどれほどの「自我意識」があるのかは、その遊星人がどういう「進化」を遂げ、どういう「社会」を構成し、そのなかでどういう「思想・信条」を持つに至ったかで異なってくると思うので、なんとも言えないと思いますが・・・ 仮に、自我意識を持ち、物事を対象として捉える思考や認識を持つとするなら、その思惟はかなり地球人に近いと思いますし、そういう思考回路を、遥か彼方の遊星人も持つかもしれないと考えるのは、おかしな話しではないと思います。 知性を有し、言語(に相当するもの)を有し、概念を操作でき、地球人に理解し得る自我意識と、他者との関係を構築しながら、全体としてなんらかの共同体(=社会)を構成している遊星人であれば、その思惟形式は、同一とまではいかなくても、少なくとも地球人が諒解し得るものである可能性は十分にあると思います。 ただし、物理法則が同一の宇宙の中でも、生命体の形というものは、いろいろな想定ができるのではないかと思います。そういういろいろな形の生命が「知性を獲得する条件」というものも十分に検討してみないといけないと思います。(一個体の生物、例えば有機物のどろどろのスープの池や海が認知・伝達系の感覚器官や神経に相当するものを持っていて、それ一個体だけがずーっと生きていた場合、その生命体が知性を持てるか?といった問題を想定しています。)(←自分は、こういう場合、たぶん知性は持てないとは思いますが・・・) ただ、地球人には考えもつかないようなとっぴな形状や思考回路を持つ「知的生命体」がいるかもしれないとは思います。その場合も知性と言語を有しているのであれば、地球人にとって「不思議ちゃん」「ワケわかんねー」という程度の感じで、どう考えても、まるでまったく取り付く島がなく、諒解不可能ということはないと思っているのですが、甘いかな・・・ 回答としては有効なものかどうかわかりませんが、同一であるとまでは言えないが、諒解可能である可能性はある。ただし生態によって、同一でない可能性も十分にあると考えられるのではないか?というところでしょうか。 どういう形であれ、知性と言語を有しているのなら長い目で見て対話することは不可能ではないと思いますが・・・ 時折、同じ日本語を話していても「宇宙人か?この人は??」という方もおられますし、地球上であっても、国家間のさまざまな問題・宗教的な闘争・民族や人種間の軋轢・貧困の問題など、対話による解決の難しい事柄が山ほどあります。遊星人とは、文化(?)の違いはあるでしょうし、思惟形式は同じでも対話は不可能という事態も想定され得るのではないでしょうか。 仮に対話が可能だとしても、結局は地球上での対外関係と同じく、積極的な相互理解の姿勢と信頼関係の醸成、根競べのような地ならしとすり合わせが必要になるでしょうね。(しかし、可能であれば、ぜひ対話してみたい相手ですけど。) かなり好き勝手に記しましたが、自分の思うところはこういう感じです。では。
お礼
どうもたいへんご丁寧に回答いただきありがとうございます。 こういう議論をしますと必ずトートロジーではないかと批難されがちですが、思惟はその意味では有限であるといえます。しかしその反面制約が無いと言う意味においては無際限なわけですね。 もちろんその無際限には良識がともないますが。 未確認飛行物体は未確認だから意味があるわけです。 未確認であるが故にらわれわれの知覚を統制している。 わたしの言う遊星人とはこの意味に置いてです。 良識の或る方にご回答いただ助かります。
- 2199
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われわれと異なる思惟形式が存在したとしてもそれをどのように理解するのですか?
お礼
どうもありがとうございます。 存在者である限りは同じ思惟形式しか持ち得ないのではないか、 と個人的に思ったものです。 異なる思惟形式については当然我々の思惟の外の世界の話です。
地球の誕生も、地球が生命を誕生させたのも奇跡的な確立で、でも生命の素となる「遺伝子」も宇宙から遊星にのって降って来たものだという仮説?がありますね。その遺伝子を運んだ奇跡的な生命体が今も生きている確立ってどのくらいあるのでしょうか?今どこに居るのでしょうか?永遠と遥かな時間が流れるようで、もしかして時間の規準も人間と同じとは限りませんよね? 答えはわかりませんが、ロマンですね。
お礼
どうもお忙しいところご回答いただきありがとうございます。 ロマンですか。ただ、 この場合は、哲学のカテゴリーということでお考えいただければ有難いのですが。遊星人は現実的に存在する必要はありません。 この質問の進行の為に要請しただけのものです。
- 2199
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遊星人に数学を理解する知性があれば対話は可能と考えます。そんな遊星人が存在する可能性はゼロとは言い切れません。
お礼
どうもお忙しいところご回答いただきありがとうございます。 同一宇宙においては全ての遊星人が同一の思惟形式しかもち得ないのではないかとさえ思うのですが。 如何ですかね。
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お礼
kobareroさん、ご回答ありがとうございます。 最後の五行は、 最近では滅多にない良識というものが窺えます。 この質問の価値がありました。 仰います通り我々の周囲の対象を捨象し抽象する能力、つまり多様な表象を統一する能力がなければ思考ということはあり得ず、またこの形式は必然的なものでないかと考える次第です。