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持統天皇とは?

下記の分は何か間違っていますか? 天智天皇と天武天皇が兄弟だとすると、娘と弟が結婚したことになってしまいますよね? よろしくお願致します。 ●壬申の乱 天智天皇が死去し、息子の大友皇子と弟の大海人皇子が皇位をめぐって争った内乱。大海人皇子が勝利し、天武天皇となった。 ●持統天皇 天智天皇の娘で、天武天皇の妻。天武天皇の死後、即位した。 日本で最初の本格的な都・藤原京をつくった。

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  • 回答No.1

間違っていません。 >娘と弟が結婚したことになってしまいますよね? そのとおりです。 「現代の法律で過去を律することはナンセンスである」ということですね。

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その他の回答 (7)

  • 回答No.8

#3、6の方が触れていますが、当時は異母兄弟までの結婚は許可されていた様です。 有名どころでは、聖徳太子は用明天皇と穴穂部間人皇女(どちらも欽明天皇の子)の間の子です。

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  • 回答No.7
noname#113260
noname#113260

#6方が少し触れられたので。 天智天皇と天武天皇は兄弟と言うのが教科書的な回答ですが、諸説あります。 #6さんが書かれた、そもそも全くの他人で、天智天皇も無視できない勢力を誇る豪族で、機嫌をとるために自分の娘を嫁がせ姻戚を深めると共に、額田女王を娶って勢力の伸張を図った。 額田女王は三輪山に関係する一族なので、これを掌中にすることで天皇側の勢力が増すということです。 これとは別に二人の母親の斉明(皇極)天皇は再婚で、前の夫との間に出来た子供が天武天皇(大海皇子)、再婚相手の舒明天皇との子供が天智天皇で、弟とされる天武天皇の方が実は年長だと言う説もあります。 この両勢力は 1.中国と結んで朝鮮を滅ぼす(天智系) 2.朝鮮を援助し、日中の緩衝勢力とする。(天武系) という点で対立し、天智天皇はその過程で暗殺されたのではないかとも言われています。 この点は#4さんがご紹介の「天上の虹」でも、大友皇子が漢詩に凝る一方、額田女王など天武系の方々は大和言葉で歌を詠むという対比で、さりげなく触れられています。 ただこの方面に脚を踏み込むと泥沼になり、例えば泉涌寺には天武系の天皇の位牌が無いと言うことも、天智と天武は違う系統だからと説明する方がいる反面、泉涌寺は13世紀に四条天皇の御世から菩提寺になったので、寺に縁の平安京初代の桓武天皇とその父親の光仁天皇、そして桓武天皇のご先祖に当る天智天皇だけを祭り、それ以外の意図は無いとする意見もあります。 この説に従えば、天皇家の初代神武天皇から37代斉明天皇までも「無縁仏」になっているから、40代の天武天皇から48代の称徳天皇までを外しているのも当然で、平安京縁の天皇のみに限定していると言っております。 このあたりは確定した説ではないので、こんな意見もあるということでご理解ください。

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  • 回答No.6

叔父と姪の結婚や、異母兄妹の結婚は当時ではタブーではなかったです。 ただし、現在の歴史学者は天智天皇と天武天皇は血のつながりはなかったとされています。 天智は朝鮮の王族の血を引く王子、天武はそれと対立する朝鮮の部族の将軍クラスの軍人とされています。 つまり王室の血を持たないものが武力により王となったわけです。 だから、天武王朝が滅んだ後の恒武王朝になって天武は全否定され、歴代の天皇の位牌を並べた中に天武王朝4代の位牌だけ無いというわけです。

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  • 回答No.5
noname#113260
noname#113260

持統天皇は鵜野讃良皇女といって、同母の姉の大田皇女や異母姉妹の大江皇女、新田部皇女などと共に叔父の天武天皇の妻になりました。 この時代は同母の兄弟姉妹は近親相姦として忌まれてますが、異母兄弟姉妹は普通に結婚しますから、叔父と姪でもおかしくは無いですが、天武天皇の場合は数が多すぎる事から、天智天皇と天武天皇は本当に兄弟なのかと言う疑問から、いろいろな小説も書かれてますが、公式には二人とも舒明天皇と斉明(皇極) 天皇の間の子供となってます。 また大海皇子(天武天皇)の妃の額田女王(有名な歌人)はその仲を裂かれ、天智天皇の妃になりました。 天智天皇の死後、息子の大友皇子が即位し弘文天皇となりますが、彼は伊賀釆女宅子娘を母親としており、当時の慣習では母親の身分が低いと皇位に就けない慣わしで、両親とも天皇の大海皇子に人望が集まり、壬申の乱になります。 壬申の乱に勝利した大海皇子は天武天皇となり、甥の弘文天皇を歴史から消してしまい、彼が復権するのは明治になってからです。 壬申の乱の背景には皇位を巡る争い以外に、中国(唐)や朝鮮政策をめぐる対立もあったと見られている。 天武天皇は即位後、皇族中心の政治を行い、皇后の鵜野讃良や長子の高市皇子(彼は母親の身分が低く、皇位継承権は低い)などと共に治めます。 天武天皇の後継ぎとしては、大津皇子が最有力とみられてましたが、皇后の巻き返しにあい失脚、皇后の息子である草壁皇子の即位を待つために、皇后が持統天皇として即位します。

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  • 回答No.4

あってますよ~~ もしよろしければ里中満智子の「天上の虹」を読んでみて下さい。かなり史実に忠実に描かれているので面白いですよ ○壬申の乱 天智天皇が近江(今の琵琶湖の近く)に遷都。 この時代天皇になる男子は両親とも皇族であることが必須条件でした。しかし天智天皇の長男の大友皇子の母は皇族ではなく、また、大海人皇子は両親ともに天皇というサラブレッドでした。中国では長男が継ぐのが慣習となっていたこともあり天智天皇は大友皇子を跡継ぎにしたくなり、大海人皇子を排斥し始めのが事の始まりでした。天智天皇が死去し、息子の大友皇子と弟の大海人皇子が皇位をめぐって争った内乱。大海人皇子が勝利し、天武天皇となりました。 ●持統天皇 日本で始めて摂政のいない(実権を握った)女帝と言われてます。 この時代は、異母兄妹の結婚も普通にあったので姪と伯父、叔父なんてのは普通にあったみたいですよ。ちなみに、天武天皇は持統天皇以外にも天智天皇の娘を数人娶っています

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  • 回答No.3

異母兄妹の結婚すら不合法でも非倫理でもありません。 それどころか、持統天皇の父の天智天皇は同母妹(間人皇女)と恋愛関係にあったと疑われています。ただし、公にはできない関係だったようです。

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  • 回答No.2

手元に資料がありませんが、 たしかにこの関係は問題ありません。 アノ時代は、叔父姪の婚姻は珍しくありません。

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