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むかし、中学校で音読した「塞翁が馬」や「矛盾」の全文を探しています

中高年の方を対象にした給食会のお楽しみタイムの担当で、常に何か面白いネタはと探しています。 今回、昔、中学校で学んだ漢文での塞翁が馬や矛盾や漁夫の利などを、みんなで音読してみようと企画し、それぞれの全文(出来ればかえりやおくりがなのあるもの)の載っているHPを探しています。 ご紹介をお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • domisuke
  • ベストアンサー率26% (13/50)
回答No.1

これでいいでしょうか? 塞翁が馬 http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-saiogauma.htm 矛盾 http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-mujun.htm オマケとして、元ページのアドレスを参考URLに貼っておきますね^^

参考URL:
http://www23.tok2.com/home/rainy/chugokugaku-seigo.htm
zenidaikojp
質問者

お礼

なかなか良いHPですね 有り難う御座いました

その他の回答 (2)

noname#21816
noname#21816
回答No.3

#2については、ここの終わりの方の全国漢文教育学会と比較してください。漢文が似通っています。私は教わった漢文の教科書を現在持っておりませんのでどちらが正しいかよくわかりません。 下記について、どぶ貝としぎの争いで当時の先生から聞いた意味合いはそうであったような記憶もあります。 鷸蚌相争(漁夫之利/漁夫の利)「戦国策・燕策二」より どぶ貝が日向ぼっこをしていた。そこにシギがやってきてその肉をついばんだ。どぶ貝は貝を合わせ、シギのくちばしを挟んでしまった。そこでシギは「今日も、明日も雨が降らなきゃ、死んだ貝がここにいるよ」と貝に向かって言った。貝は「今日も、明日もこのままだったら、死んだシギが見つかるよ」という。そして二者ともお互いを離そうとはしなかった。そして漁夫がそんな貝とシギを捕まえたそうな。 41.漁夫の利(戦国策:燕策) (ぎょふのり) 縦横家の蘇代は、燕を攻めるのをやめさせようと、趙の恵王に会いに行き、恵王に会うと、ここに来る途中の川で見た出来事を次のように話した。 一羽のシギが口を開けて、河原にいたカラス貝を食べようとしたところ、カラス貝は急に口を閉じてシギのくちばしをはさんでしまった。驚いたシギはカラス貝に、そうしているとそのうち干上がってしまうぞといい、カラス貝はシギに、そういうお前こそ飛び立てずに死んでしまうぞと返し、両者とも動けずにいた。そこに一人の漁夫が通りかかり、動けずにいるシギとカラス貝の両方をやすやすと手に入れてしまった。この話を聞いた恵王は、趙と燕はシギとカラス貝であり、このまま争っていると漁夫である秦に利を与えることにもなりかねないと燕を攻めることをやめた。 漁夫の利とは、利を求めて争っている当事者には関係ない第3者がその利を得ることをいいます。 ↑http://homepage2.nifty.com/m_maki/haha/haha_k.htm 全国漢文教育学会 http://zenkankyo.gr.jp/gakujutu/dlks/dlks1.htm 漁父之利】【漁夫の利】  趙且伐燕。蘇代為燕謂恵王曰、「今者臣来過易水。蚌方出曝。而鷸啄其肉。蚌合而箝其喙。鷸曰、『今日不雨、明日不雨、即有死蚌。』蚌亦謂鷸曰、『今日不出、明日不出、即有死鷸。』両者不肯相舎。漁者得而幷擒之。今趙且伐燕。燕趙久相支、以敝大衆。臣恐強秦之為漁父也。願王之熟計之也。」恵王曰、「善。」乃止。 [出典]『戦国策』・巻三〇・燕策 [参考]  『戦国策』(上・中・下) 林秀一他著 明治書院 新釈漢文大系47~49 1977~88年 (原文・書下し文・訳 1315頁~) 矛盾】  或問儒者曰、「方此時也、尭安在。」其人曰、「尭為天子。」然則仲尼之聖尭奈何。聖人明察在上位、将使天下無姦也。今耕漁不争、陶器不窳、舜又何徳而化。舜之救敗也、則是尭有失也。賢舜則去尭之明察、聖尭則去舜之徳化。不可両得也。  楚人有鬻楯与矛者。誉之曰、「吾楯之堅、莫能陥也。」又誉其矛曰、「吾矛之利、於物無不陥也。」或曰、「以子之矛、陥子之楯、何如。」其人弗能応也。夫不可陥之楯、与無不陥之矛、不可同世而立。今尭・舜之不可両誉、矛楯之説也。 [出典]『韓非子』・巻一五・難一 [参考]  『韓非子』(上・下) 竹内照夫著 明治書院 新釈漢文大系11・12 1960・64年 (原文・書下し文・訳 625頁~)  『韓非子』(上・下) 町田三郎著 中央公論社 中公文庫 1992年  『韓非子』(1~4) 金谷治著 岩波書店 岩波文庫 1994年 【塞翁馬】【塞翁が馬】  昔者宋人好善者、三世不解。家無故而黒牛生白犢、以問先生。先生曰、「此吉祥、以饗鬼神。」居一年、其父無故而盲。牛又復生白犢。其父又復使其子以問先生。其子曰、「前聴先生言而失明。今又復問之奈何。」其父曰、「聖人之言、先忤而後合。其事未究、固試往復問之。其子又復問先生。先生曰、「此吉祥也。復以饗鬼神。」帰致命其父。其父曰、「行先生之言也。」居一年、其子又無故而盲。其後楚攻宋囲其城。当此之時、易子而食、析骸而炊、丁壮者死、老病童児皆上城、牢守而不下。楚王大怒、城已破、諸城守者皆屠之。此独以父子盲之故得無乗城。軍罷囲解、則父子倶視。  夫禍福之転而相生、其変難見也。  近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為禍乎。」家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。  故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。 [出典] 『淮南子』・巻一八・人間訓 [参考]  『淮南子』(上・中・下) 楠山春樹著 明治書院 新釈漢文大系54・55・62 1979~88年 (原文・書下し文・訳 1042頁~)

noname#21816
noname#21816
回答No.2

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