• 締切済み

哲学者の死に方

「死ぬ」ということが、なにか思想や哲学のようなものを孕んでいるか、それはわかりません。しかし、生きている人間がそこに学ぶことは多いはずです。 ヘラクレイトスは水腫症の水分を牛糞の熱で蒸発させようとして、牛糞の上に寝そべったけれど、けっきょくどうにもならず牛糞にまみれたまま死んだそうですが、他にも毒盃をあおいだソクラテス、狂気の淵に沈んだままだったニーチェなど皆さんがご存知の哲学者の死に方を教えていただけないでしょうか。 もちろん対象は狭義の哲学者に限りません。文学者、科学者、芸術家などの死に方(あるいは生き様)を、ちょっとした短い読み物を書くイメージで書いてみませんか?読んで元気が出るか、考えさせられるか、あるいはしんみりするか、笑ってしまうか、しばらく閉めずにおいておきますね。たくさんの方の回答を楽しみにお待ちしています。

  • jume
  • お礼率76% (46/60)

みんなの回答

noname#130082
noname#130082
回答No.10

不完全性定理で有名な超天才数学者・論理学者クルト・ゲーデルは、食べ物に毒が入っているという強迫観念に陥って、ものが食べられなくなり、死んだそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB (あくまでたとえ話ですが、正気の人は自分の正気を証明できない(逆に言えば、ある人が自分が正気であることを完璧に証明したとしたら、その人は狂っている)というような定理です---実際は高度で厳密な数学的定理ですけど。)

  • caramel
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.9

愛読書「最期のことばー聖者から死刑囚までー」(現代教養文庫:社会思想社89年)から、印象に残ったものを。 ウィリアム・マッキンリー(第25代アメリカ大統領)(暗殺:2日後に死去:58歳) 「われわれは皆、行くんだ、われわれは皆、行くんだ、われわれは皆、行くんだ、、、ああ、なんて事だ!」 オーギュスト・ルノワール(画家、死因は書いてませんが78歳なので自然死でしょう) 「まだ上達しているぞ」 エレン・テリー(イギリスの女優・80歳) (ベッド横のテーブルの埃の中に走り書きで) 「しあわせ。」 ニコロ・マキアヴェリ(政治学者・歴史家:58歳) 「私が行きたいのは地獄であり、天国ではない。地獄へ行けば、歴代の教皇、国王、皇太子と一緒になれるだろうが、天国には乞食と修道士と使徒しかいないのだから」 コットン・メイザー(アメリカの牧師:66歳) 「これが死ぬということですか?これだけですか?辛い死がやってこないようにと祈りを捧げているときに私が恐れていたものが、これなのですか。ああ、これは耐えられます、耐えられますよ!」 本からではなく新聞記事の記憶から: ジョン:レノン(暗殺:40歳) "Help! I've been shoot!" そのままの言葉の方がいろいろ考えられるかと思いまして、資料提供でした。(入手不可能かと思いますので、、)

noname#9162
noname#9162
回答No.8

ki61さんに倣って(笑)食中毒ネタ。 仏教の教祖 釈迦の話なので、知っているかも知れませんね。本にもなって有名ですし。 旅を続けていた或日のお釈迦様。途中、鍛冶屋のチェンダという男に出逢います。 チェンダは貧しい身でしたが、お釈迦様に逢えるなんて、なんて自分はラッキーなんだ、と喜びに任せ、お釈迦様を夕食に誘います。 当時のインドは身分制度が厳しく、サーキャ族の王子であったお釈迦様と、貧乏鍛冶屋のチェンダが一緒に食事をするなど、常識では考えられないことでした。が、釈迦という人は、人間に差別などあってはならない、と一心に説いた方ですから、チェンダの晩餐に喜んで招待されたのです。 しかし、チェンダの出した料理には、腐った肉が入っていました。 決して故意にではありません。ですが、それでお腹をこわしてしまったのも又事実。弟子達は、チェンダの所為で師匠が病気になられたと思っています。そこで師匠はこう言ったのです。 「私が今まで受けた布施の中で、チェンダの精一杯の御馳走程、素晴しいものはなかった」 最後まで優しい方だったのです。 しかも、各地で説法を待っている人々が沢山いらっしゃる。お釈迦様、旅を続けない訳には参りませぬ。 ようやく、クシナガラという地に辿り着いたのですが、そこでお釈迦様は入滅なされたのです。瞬間、床の周りにあった4本の沙羅双樹が、真っ白に枯れてしまったといいます。因に、80歳だったそうです。 素晴しい説法を説いて回った高僧でも、やはり人の子。一般人と同じ様に亡くなられた、という訳です。 でも何か、この話自体が命懸けの説法の様で、やはりお釈迦様は、仏教に生き、仏教に死んだのだなぁ、と感慨深くなります。

  • ki61
  • ベストアンサー率32% (85/263)
回答No.7

先日回答させていただいたki61です。 不確かな情報を差し上げてしまったのに丁寧なご回答をいただいて嬉しいです。 ところでまた一人思い出しましたので、お耳汚しながらおひとつ。 石田三成です。 ご存知かもしれませんけど・・ 彼は関ヶ原の合戦で東軍に敗れ捕縛されました。 結局処刑されることになり、刑場へ連れて行かれる道中、 一人の兵卒が最期に、と干柿を手渡そうとしました。 敗れた敵将へのせめてもの情けのつもりだったのでしょう。 ところが三成はそれを、 「干柿は胆の毒だ。体に良くない」 と言って断ってしまいました。 そこにいた兵卒たちは大笑いして 「もうすぐ処刑されるのに、体の心配をしてどうする」 と嘲ったのですが、彼は平然として 「お主たちはそんなに笑っていていいのか、  今にも西軍の残党が私を救いにくるかも知れないのだぞ。  人生は何があるかわからぬのだ、そのときのための用意はするべきだ」 と言い放ったそうです。 結局彼は処刑されてしまいましたが・・ 聞いてみれば確かにもっともなのですが、 さて自分が彼と同じような状況になったらどうでしょう。 多分ばりばり干柿食べちゃうんでしょうね。 「お茶くれ」とか言っちゃったりして(^^;) それと、私のバイト先の社長夫人の世間話に聞いた実話なのですが、 彼女が子供のころ(昭和初期)はまだ石焼芋の屋台がさかんだったそうです。 焼き芋というと、今でも若い女性が買いに行ったり、 食べてたりするとちょっとからかわれたりしますよね。 食べるとおならが出やすくなる→女性にとっては恥ずかしくもおいしい食べ物、 という感じでしょうか。 ある日一人のうら若き女性が石焼芋屋台に焼き芋を買いにいきました。 紙袋に入れてもらって帰る途中にうっかりつまづいて、 焼芋を路上に落としてしまったそうです。 路上に転がった焼き芋を他人に見られてしまったその女性は、 恥ずかしさのあまり家に帰って首を吊ってしまったそうです。 「昔の女性はね、そのぐらいのことがものすごいショックになるほど  慎ましくて繊細だったのよ。私なんかもうヤサグレちゃって、ほほほ」 と社長夫人は言っていました。

jume
質問者

お礼

ああ、石田三成!!聞いたことありますよ、その話。確か干し柿は体に悪いから、水をくれと言ったんじゃなかったかな。去年のNHKの大河ドラマで江守徹が、その場面を演ってましたよ。江守=三成は、そう言った後、兵卒たちに笑われて、つられて自分も笑ってました。そういえば、家康も食中毒か何かで死んだと聞きましたが…。真偽の程はいかに!?記憶が刺激される回答でした。ありがとうございました!! お芋の話は、なんか寓話のようですね。もはや、リアティがない(^^; 以前、お山の分校で先生一人、児童が二人という学校の話を、その先生に直接お話を伺う機会があったのですが、そのじつに牧歌的な雰囲気がリアリティに欠けていたのと似ています。まるでブラウン管の向こうの話のような感じがしますよね。 また、何か思い出したら書き込みお願いします。

  • kw888
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.6

寝る前の意識朦朧状態で書いたので、よく見たらガロアとガウスを間違えていました。トホホ、最近、物忘れと勘違いが多い・・・ そうです。ガロア(フランス)、ガウス(ドイツ)ともに数学者です。 失礼しましたので、ちょっと検索しましたので、補足しておきます。 ガロア、エヴァリスト(Evarist Galois, 1811.10.25-1832.5.31). フランス、パリ郊外のブール・ラ・レーヌに生まれ、パリに死す。革命と数学のために生き,女のために死んだ. 16歳のときルジャンドルの『幾何学原論』で数学にめざめ,2日で読破したと言う.また数日でラグランジュの『数字方程式の解法』を読み,独自の研究に取り組んだと言う.ガロア,リセ在学中のことである.エコール・ポリテクニークの受験に2度失敗し,パリ・アカデミーに提出した論文は,コーシーやフーリエにも理解されず,原稿は失われたと言う. エコール・ノルマル・シュペリオールに入学するも,急進的共和主義者の「民衆の友」に入会,退学させられる.決闘の直前に友人のシュヴァリエに送った手紙の中で,論文の内容を簡潔に述べている.死後14年経って,リウヴィルがガロアの論文を検討し,再構築して発表するまで,業績は知られなかった. 代数方程式の解の構造を調べるために置換群を利用し,群の有用性を示した.ガロア群.群,部分群,正規部分群,体,拡大という用語を導入. 代数の業績だけが喧伝されるが,任意の代数関数の積分の性質についての論文も書いている.  彼の伝記については、L.インフェルト『ガロアの生涯-神々の愛でし人』(市井三郎訳)日本評論社(1969)が詳しい。 ガウス、カール・フリードリヒ(Johann Carl Friedrich Gauss, 1777.4.30-1855.2.23). ブルンシュヴィク公国、ブルンシュヴィク(現在ドイツ領)に生まれ、ハノーバー、ゲッティンゲン(現在ドイツ領)に死す。 ゲッティンゲン天文台長(30才)、ゲッティンゲン大学教授(31才)。数学上の伝説は数多く、どれを省くこともできないので、すべて省略。ただし、正17角形の作図可能性の発見は、彼が数学に献身するきっかけでもあり、自分の墓に刻んで欲しいと願ったことだけ(実際には刻まれなかったが)述べておく。 パトロンのブルンシュヴィク公爵がプロシャとの戦争で死ぬまでは、家庭的にも恵まれていたが、その後ゲッティンゲンに移り(1807)、父をなくし、妻を次男のお産でなくし、その子もすぐに死んでいる。その後は家庭的には恵まれなかったと言われる。 1801年1月1日にG.ピアッツィ(1746.7.16-1826.7.22)によって発見された小惑星ケレスは6週間追跡観測されたが,太陽の位置との関係で見失われてしまった.ガウスはこの軌道を計算するため,3回の観測だけで小惑星の軌道を素早く計算する方法を開発し,発表した(1809).ガウスは自分の計算による予測をゴータ天文台のツァハに送り,1802年1月予測した位置の近くでH.W.M.オルバース(1758.10.11 -1840.3.2) によって発見された. 1831年以降W.E.ヴェーバーと共同で電気と磁気の研究をし,電磁気通信機を発明した.地球規模での地磁気の測定. 代数学(代数学の基本定理),整数論,複素関数論,楕円関数論,代数関数論,微分幾何,測地学,天文学,電磁気学など幅広い.創始した概念には,平方剰余,合同式,最小二乗法,誤差論,非ユークリッド幾何,ポテンシャル論,,正規分布.空間曲線のまつわり数を線積分で定義.正多角形の作図可能性.複素数という名前.  名前のついたものに,ガウス和,ガウスの超幾何関数,ガウスの超幾何微分方程式,ガウス曲率,ガウス方程式,ガウスの基本定理,ガウス写像,ガウス・マニン接続,ガウス・ボネの公式,ガウス核,ガウス過程,ガウス密度,ガウス測度,ガウス積分,ガウス系,ガウス平面,ガウス整数,ガウス記号,ガウスの消去法.ガウス--ザイデル法,ガウスの円の問題,数値積分のガウスの(補間)公式.またガウスは磁束密度の単位でもある. 日本語の本に『ガウス整数論』(1801)(高橋正仁訳)朝倉書店、『誤差論』(飛田武幸、石川耕春訳)紀伊国屋書店がある。また、ガウスの伝記や業績については、ダニングトン『ガウスの生涯』(銀林浩+小島穀男+田中勇訳)東京図書、G.ギンディキン『ガウスが切り開いた道』(三浦伸夫訳)シュプリンガー・フェアラーク東京、高橋正仁『ガウスの遺産と継承者たち』海鳴社などがある。 ガロアの生涯-神々の愛でし人』日本評論社(1969)は、私はまだ読んでませんが、F先生(お茶大教授で数学者=大変に面白い方です)が推薦している?(直接聞いた訳ではないので)とても面白い本だそうです。恋愛問題で決闘して死んだという話しは、たぶんこの本の中に出典があるのだと思います。

jume
質問者

お礼

わざわざ詳しい紹介文をありがとうございました!ガロアさん、生きているうちは全然報われない人生だったんですねぇ。自分から苦しい道を選んでしまう人もいますが、彼もそんな人間の一人だったのでしょうか。 ガウスさんの紹介、その半分が「業績」で埋め尽くされているというのが凄いですね。私は、見たことない言葉ばかりですが(^^;

回答No.5

こんにちは。おもしろそうですね。では僕も。 ドヴォルザーク・・・「新世界から」でおなじみのチェコの作曲家。プラハ音楽の院長になる時、大勢の市民の祝福の声に涙した・・・が、いつまでも声がやまないので「いい加減やめろ!」と怒鳴ったすごい人。 院長になって三年後、風邪がやっと治ってきてその日の昼食開始、すごい食欲だった・・・が、直後「頭がぐるぐる回る!」と叫んで顔面蒼白。昼過ぎに死んでしまいました。脳出血だったそうです。偉大な人です。 アリストテレス・・・万学の祖ですよね。エウリポス海峡におもむき、潮流の動きが不可解と思い「エウリポスよ私を呑み込め、私はお前を理解できない」といって投身自殺したという。(な、な、なにしてんの!) ピタゴラス・・・「ピタゴラスの定理」でおなじみ。彼はピタゴラス教団の開祖であったそうだ。世界は輪廻であり人間はあらゆる生命をめぐって転生すると説く。これに反対した市民が彼を殺そうと追う。弟子とともに家を脱出し「そら豆の畑」にたどり着く。植物に尊敬の念を持っていた彼は決意した。「ここで死のう、このあわれなそら豆を踏みにじるよりは」・・・と、 まもなく市民に虐殺される(わ、わ、わからん!)。 ショーペンハウエル・・・彼は狭心症だったが薬を不自然であるという信条があるため飲まなかった。のち肺炎を起こして回復したようにみえた。しかししばらくした後また心臓発作。その日の午後見舞いに来た近親者が「死後解剖を受ける意志があるか?」と訊くと彼は「誰も生まれる前のことは何も知らないのだから、死んだ後についても何も知らなくていいだろう」いった。その眼には病も老いもなかったという。その後三日後に死んだ。 以上は山田風太郎「人間臨終図巻」より抜粋。天才の考えることは一般人ではわからないが、その死に方もまた理解不能のとこがあります(笑)だからこそ天才なんでしょうけどね。では。

jume
質問者

お礼

アリストテレスの「エウリポスよ私を呑め」には、噴き出してしまいました。い、いや笑っちゃいかん!!「天才」とはなにか、「病跡学pathography」という学問は、「天才」の生涯と創造の過程を精神病理学的に研究する学問だそうですが、そういう学問が成立しているということは、つまり、天才と呼ばれる人々には少なからず病的な部分があるということなんでしょうね。 山田風太郎さんの「人間臨終図巻」は、この質問をする前に検索で引っ掛けていましたが、読んでませんでした。allentown2001さんの回答を読ませていただいて、俄然興味が湧きました。絶対、読みます。ありがとうございました!

  • sanbi
  • ベストアンサー率22% (54/237)
回答No.4

 中国の有名な詩人杜甫と李白の死に方です。  まず杜甫から。  彼はものすごい貧乏でした。どのくらい貧乏かというと3日3晩飲まず食わずでいたほど。  で、ある人が3日間絶食だった杜甫にごちそうを振る舞いました。杜甫は夢中でそれを食べ、空腹だった胃に急にたくさんの食べ物を詰め込んだので、それが原因で死んでしまったそうです。  次は李白  彼はお酒が大好きで有名ですが、その夜も川に船を浮かべてみんなで宴会をしていました。きれいな満月の晩で川面に丸い月が移っていました。  すると酔っぱらった李白が 「よし、私があの川の月を取ってきてやろう」 と言って、川に飛び込みそのままおぼれてしまったそうです。  どちらも高校時代に漢文の先生に聞いた話です。うろ覚えなので間違ってるところもあるかもしれませんが。飲んべいの私としては、李白の死に方が奔放でちょっといいなぁ・・と思ってしまいます。

jume
質問者

お礼

私は飲んべいではありませんが(笑)、李白の死は、なんと言ったらいいか…「風流」(?)ですよね。詩人らしいというか、暗い水の流れの中、黒い船影の向こうに揺れる月を見ながら気が遠くなっていく感じなのでしょうか。不謹慎かも知れませんが、美しいですね。もしかしたら、その瞬間、最期の詩を頭に描いていたかも知れない。ん~凄く良い!! 杜甫の「国、破れて山河あり…」は、好きな詩なのですが、食べすぎでなくなったんですか、彼。そう言えば、「国、破れて山河あり…」も戦争の話だったなぁ。そういう時代だったんですね。死は、時代も反映するようです。 それから杜甫と李白という二人の詩人の人柄も。

  • odd-art
  • ベストアンサー率9% (31/325)
回答No.3

中国に浄土教を弘通した善導は、一刻も早く往生せんことを願って、柳の木に首を吊って自殺を計り、死にきれずして発狂し、七日七晩もがき苦しんだ末に命終。 また、日本に真言宗を開いた空海の臨終も(諸説はあるが)、空海自身が、天長八年(831年)に上に奉った書に「悪瘡体に起って吉相根せず」とハッキリ述べていることから、晩年はライ病等の類で苦しんで一生を終えたことがわかる。空海は『秘蔵宝論』の中巻に「法を謗れば必ず阿鼻獄に堕つる」と述べているが、まことに自らの後生を言い当てているかのようである。 更に、かの平清盛は平家の武運長久を真言宗で祈祷し、自らはにわかの熱病で悶絶死、平家一門は壇の浦において海の藻屑となって滅亡している。 仏法においては、「臨終は、生と死の境、死後への第一歩であるから、臨終の姿は、その人の死後の状態を如実に顕わしている。しかして、謗法を重ね、死後、無間地獄に堕ちた人は、必ず、その臨終および遺体に悪相を現ずるのである」としております。 如何でしょうか。

jume
質問者

お礼

ナルホド…。宗教者の死は、その宗教の思想が顕れるんですね。そう言えば、もう何年も前の話になりますが、高校の倫理の授業で仏教の始まりを学んだ時、ブッダの一生を辿りながら、四苦というものを習いました。四苦とは「生老病死」のことで、老いや病、死と一緒に生が数えられていることに、少し興味を引かれた記憶があります。そう考えると、仏教者にとって、「楽」とは何なんでしょうね?苦ばかりのなかで、いかにして楽を掘り出すか…。善導さんなどは、まさにその挙句に狂死したという印象です。幸せとはなにか?永遠の問いです。

  • ki61
  • ベストアンサー率32% (85/263)
回答No.2

ご質問を伺って、ある医者の話を思い出しました。 名前を失念してしまったので、参考までにとどめておいてくだされば幸いです。 彼は中世のヨーロッパに生きていた人で、 細菌が人体に及ぼす影響を研究していました。 その研究の方法がすさまじく、自分の体に細菌を植付け、 自分の体の状態がどのように変化するかを研究したそうです。 彼はどんな強い有害な細菌を自分に植え付けても そのたび不死鳥のごとく回復したのですが、ある日路上で足を滑らせて 転倒した拍子に頭を打ってアッサリ死んでしまいました。 というお話です。とある本に書いてありました。

jume
質問者

お礼

ん~残念、とても面白そうな話なのに、名前がわからないなんて!!私は、Ki61さんのこのお話を読ませていただいて、空ばかり見て歩いていて足元の穴に気付かなかった古代ギリシアの自然哲学者タレスを思い出しました。でも、このお医者さんの方が人間味がありますよね。かっこいいです。ありがとうございました。 PS:ほかの方でも良いですので、このお医者さんの追加情報があれば書き込みお願いいたします。

  • kw888
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.1

天才中の天才数学者ガウスの死に方がまず真っ先に思い浮かびましたね。 2?歳で、決闘によって死んだとされています。 どなたか、簡潔に素描して下さればいいですが・・・

jume
質問者

お礼

早速の回答,ありがとうございます!! 「ガウスってどんな人だろう!」と思いまして,「ガウス,数学者,決闘」で検索にかけたところ,「ガロア」という数学者が出てきました(^_^; ガロアは,女性関係がきっかけで決闘を申し込まれ,銃で腹を打ち抜かれたそうです。翌日,倒れているところを発見されたものの,間もなく息を引きとったとか。20歳。「ガウス→ガロア」でいいんですよね。ガウスはガウスで,他にそういう名前の偉大な数学者がいるみたいです。 ん~,それにしてもガロア,壮絶。しかも,20歳で命を落としたのに,歴史に名を残すほどの発見――「群論」というものらしいですが――をしているというのも凄い。

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    聖書は神の著作物であるとされます。それゆえなのか、内容は大変に深いものがあります。その深さに気づけばいいのですが、多くの人は浅い理解のままで、「これが聖書だ!」と決めつけて しまっているように思います。私は、西洋哲学・神秘学の多くが聖書の部分解釈の結果であるように感じています。 例をあげましょう。 ニーチェの超人哲学ですが、多くのクリスチャンが彼の超人思想を、反キリスト的だと見做しますし、彼個人も「神は死んだ」と叫んでいます。 私は、彼の超人思想も聖書思想の断片だと思っています。新約聖書を読みますと、イエスの弟子が沢山登場します。例えば聖ヨハネですが、彼はイエス様に出会う前までは漁師である父の手伝いをしていた、ごく普通の人ではなかったかと思われます。そんな彼がイエス様に見い出され、人間が変わった。彼は後に「ヨハネによる福音書」を書いていますが、この福音書はとてつもなく霊的に深い書物です。聖霊の導きがあったとはいえ、このような書物を書く人は、私にはとても凡人だとは思えません。まさに超人だと思います。 新約聖書では、弟子たちのとてつもない変貌(「超人化」あるいは「キリスト化」だといっていいもの)が、さりげなく語られています。人は超人になることが目的ではないからでしょう。超人になって、神と隣人に奉仕することが目的だからだと思われます。 人は、全能の神由来の「いのちの息」を持っています。その特性は、私の想像ですが、いのちの息とは本来「永遠性・超人性を持ち、愛に満ちた」ものであったと思います。ですから、イエス様によって罪が赦された者は、いのちの息が本来持っている特性を回復するのではないでしょうか。 以上、ニーチェの超人思想と聖書の関係を述べましたが、他の哲学でも聖書の断片的な解釈をしているように思われるものが沢山あります。それを単に批判的に忌避するのではなく、聖書解釈の新視点と見て、聖書を深く知る手掛かりにすることも大切な作業ではないかと思います。

  • 《永劫回帰》なる阿呆な考えについて

     徹底的に批判しきっておきたいと考えます。  ニーチェの亡霊をもほうむっておきたい。  すでに 批判がなされています。ところが 次のヰキぺの記事においても どこかまだ その《永劫回帰》なる考えにしても なんらかの思想性があるかに思われるというような評価さえが残っている。  質問者は 次のくだりをめぐって 批判を明らかな結論が得られるようにおこない切りたい。  ご見解をお寄せください。  ▲ (ヰキぺ:永劫回帰) ~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%8A%AB%E5%9B%9E%E5%B8%B0  § 3 永劫回帰批判  ・・・  ( a ) 永劫回帰は科学的に確定される現象や政治思想としてではなく、あくまでも実存主義の構えの柱の一つであり、個人の心的現象内によって発生しうるものなのかもしれない。    ( b ) ニーチェは、個人幻想の枠内ならば、人間は因果律も時間軸も超えられることを叫び、個人幻想の絶対的自由を主張したかったとも解釈しうる。これについて、永井均は永劫回帰は思想と言うよりも、ある日突然ニーチェを襲った体験である点を強調している。  ( c ) 永井均はニーチェ哲学とは徹底した「問い」であると指摘している。確かにニーチェ哲学は狂気をはらんでいるが、それは無知や短絡的思考からくる狂気ではない。一般人なら適当なところでやめてしまう疑問を問い続けた結果であり、哲学的思索を徹底したがゆえに発生する狂気なのである。  ~~~~~~~~~~~~  (あ) 次の命題は 意味がない。   ▲ ( b ) 個人幻想の枠内ならば、人間は因果律も時間軸も超えられることを叫び  つまり 《人間は いかようにもその想像力の翼をはばたかせて自由に空想を成しうる》と一般論を言っているに過ぎない。ゆえ。  (い) つまりそれを   ▲ ( b ) 個人幻想の絶対的自由を主張したかったとも解釈しうる。  と解釈するのは ばかばかしい。想像力の自由さ・ゆたかさは 特に主張をするものではない。     (う) これをもって   ▲ ( a ) 実存主義の構えの柱の一つであり  という気が知れない。想像力があれば 《実存主義の構えの柱の一つ》になれるのか? ならすべての人が 実存主義者だ。  (え)  ▲ ( a ) 科学的に確定される現象や政治思想としてではなく、・・・個人の心的現象内によって発生しうるものなのかもしれない。   ☆ 《心的現象として発生したもの》なら 思想だというのだろうか? 何らかの気持ちをいだいたという心的現象が そのまま《実存主義の構えの柱》になれるのか? ちゃんちゃらおかしい。  (お) ▲ ( c ) ニーチェ哲学は狂気をはらんでいるが、それは無知や短絡的思考からくる狂気ではない。一般人なら適当なところでやめてしまう疑問を問い続けた結果であり、哲学的思索を徹底したがゆえに発生する狂気なのである。  ☆ ここには このように《発生する狂気》が 何らかの思想的な意義を持つと言わんばかりである。んなばかな!  ▲ 一般人なら適当なところでやめてしまう疑問  ☆ というのは 無意味と知ったからやめるのではないだろうか?  (か) すなわち 永劫回帰については 次の説明がある。  ▲ (同上ヰキぺ) ~~~~~~  § 1 概要  ( d ) 「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立ち、無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界であるならば、現在の世界が過去に存在し、あるいは将来も再度全く同じ組み合わせから構成される可能性について示唆している。  ニーチェにおいて、この世界の円環的構造は、たんに存在論的なものにとどまらず、自由意志の問題と結びつけられる。  ~~~~~~~~~~~~  このどこが 《ニーチェ哲学》というように《哲学》なのか?  どこが 《哲学的思索》なのか?  (き) ▲ 「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立ち  ☆ この前提がおかしい。のではないか? なんで時間が無限なのか?  (く) ▲ 現在の世界が過去に存在し、あるいは将来も再度全く同じ組み合わせから構成される可能性について示唆している。  ☆ という内容についての次の説明が どういう考えから出て来たものか 解明していただきたい。  ▲ ~~~~~~~~~~~  § 1 概要  永劫回帰は生への強い肯定の思想であると同時に、「一回性の連続」という概念を念頭に置かねばならない。つまり、転生思想のように前世→現世→来世と‘生まれ変わる’ものでは決して無く、人生とはカセットテープのように仮に生まれ変わったとしても‘その年その時その瞬間まで、まったく同じで再び繰り返す’というものである。   仮に2006年、あなたはブルーの服を着て、白いズボンを履いて14:45に目黒駅前の明治学院行きバス停でタバコを一服していたとしよう。命尽きて生まれ変わっていたとしても、2006年、あなたはブルーの服を着て、白いズボンを履いて14:45に目黒駅前の明治学院行きバス停でタバコを一服している。リセットしてカセットテープを巻き戻しただけの状態になる。  これが「一回性の連続」である。それを永遠に繰り返す。  故に、己の人生に「否」(いな)と言わず、「然り」(しかり)と言う為、強い人生への肯定が必要なのである。  ツァラトストラは自ら育てた闇に食われて死して逝く幻影を見る。最高へは常に最深から。超人は神々の黄昏に力強く現れる。闇を知り、闇を破し、死してなお生への強い「然り」を繰り返す。今、ここにある瞬間の己に強く頷く態度、それこそが超人への道であり、永劫回帰の根幹である。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ この哲学の貧困について その由来が知りたいと思いますので ご見解をのべておしえてください。  その内容こそが ニヒルではないか?

  • ニーチェの《生きる》からソクラテスのそれへ!?

     ニーチェ論において次のような課題つきの回答をもらったところ その次にかかげるような応答をしました。  この問答そのものを主題として問いたいと思います。    無条件にご自由にご見解を述べておしえてください。  ◆ 《或る回答》 ~~~~~~~~~~~~~  ニーチェの思想に対抗するなら  ソクラテスの思想になると思います。  「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、  善く生きるということなのだというのだ。」  この「善く生きる」でしょう。  ソクラテスの自殺。  もしくは無理やり仏教の話題を出すなら  ブッダである、サーリプッタの自殺。  長生きしたゴータマ・シッダッタよりは  サーリプッタのほうが、生への執着を断っていると思います。  このヨーロッパとインドの自殺。  善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。  さすがアイロニーの使い手のソクラテス。  結論が自殺なんですから。  ソクラテスの思想は難しいですね。  ☆ 《応答》 ~~~~~~~~~~  おおきな主題を投げ入れてもらいました。  てめえで考えよというところも 結果的にあるようですが それはわたしはいぢわるですからハッキリと言っておきますが  ◆ 善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。  ◆ ソクラテスの思想は難しいですね。  ☆ というふうに触れておられるからには ご自身もこの主題を立てつつさらに問い求めるという姿勢でいられるものと思います。  そうですね。ボールはこちらのコートに入ったからには これはねじり鉢巻きで打ち返さねばなりませんね。  1.ニーチェにおいて《生きる》とは? ソクラテスの《善く生きる》とは?  ● (渡邊二郎:補論 ニーチェ――生きる勇気を与える思想)~~~~  もうひとつ 『悦ばしき知識』におけるニーチェのもっと恐ろしい言葉を掲げよう。     *註 《もっと恐ろしい》:この議論は次の《恐ろしい言葉》の指摘のあとを承けている。          《小さな復讐は たいていの場合 まったく復讐しない      ことよりも なにかいっそう人間的なものである》     ( Eine kleine Rache ist zumeist etwas Mensch-     licheres als gar keine Rache. )      (『ツァラトゥストラ』I 《まむしのかみ傷》)    《生きる( Leben )》とは 何かと言えば それは      《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》   ( fortwaehrend Etwas von sich abstossen, die sterben will )  である。したがって   《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化   するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》   ( grausam und unerbitterlich gegen Alles sein, was schwach    und alt an uns, und nicht nur an uns, wird )  である。それゆえ《生きる》とは   《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を   持たないこと》   ( ohne Pietaet gegen Sterbende, Elende und Greise sein )  ではないのか それなのに 老いたモーセは 《汝 殺すなかれ!》と言ったが それは矛盾ではないのか と ここでニーチェは仮借なく鋭鋒を振りかざして しかも問題の矛盾点を指摘したまま ぷっつりと断想を打ち切ってしまうのである(『悦ばしき知識』26)。  (渡邊二郎編解説:『ニーチェ・セレクション』 2005 pp.302 )  ~~~~~~~~~~~~~~~  論者の言おうとするところは ニーチェが恐ろしく過激な言い回しを用いているが 真意はそこにはない。です。  そう見ておいて たしかにニーチェも《生きる》ことについて考えを述べています。  回答者さんの主眼点は しかももしたとえその定義をふくむ議論を受け容れたとしても なおその上に問題は《善く生きる》という主題がわれわれ人間には持たれているのだ。にありましょうか?  ◆ 「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、  善く生きるということなのだというのだ。」  2. 《善く生きる》には 《自死》を避けることがむつかしいか?  しかも・しかも 《善く生きる》とき人は この人間の社会にあっては《自死》というかたちを取ることさえあるのではないか?  《アース役》を超えるか? の主題でもあるようです。  2-1. 幼い時からの親友でゴータマ・ブッダの同輩弟子であるマウドゥガリヤーヤナ(モッガラーナ)が死に臨むとき シャーリプトラ(サーリプッタ)は 《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》をせずに 自死をえらんだのか?  それとも そのときには《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を持たないこと》を実行し その考えをみづからにもおよぼしたのか?  あるいは もうそのときには じゅうぶんこの世を見たのだ じゅうぶん過ぎるほどわれは生きたと捉えたということなのか?  2-2. マウドゥガリヤーヤナにしても かつて間違った考えを持った人たちにそのマチガイを指摘したことの恨みを買って とうとう攻撃を受けたとき それは 受けねばならないとさとって暴力に甘んじたというのは シャーリプトラと同じような心境だったのか?  2-3. それにしてもゴータマ氏は 自分の寿命のことについて話をしたとき弟子のアーナンダがそうではなくもっと説法をつづけてくださいと言うべきところを言わなかったそのことを うらみつつ 死地に就いた。寿命を延ばすことも出来たが アーナンダの振る舞い(無反応)があったから もう生き続けない・つまり自死をえらんだ。というのかどうか。の問題。  2-4. おそらくアブラハムが長子イサクをいけにえにささげるという考えを持ったとき 大錯乱に落ち入り迷いに迷った挙句に得た結論。《人は他人(ひと)をもおのれをもころさない》。理屈抜きと言うべきか。公理と言うべきか。これが 人間の自由だと言うべきか。  ちなみにモーセはこのアブラハムの心なる《非思考の庭(信仰)》に火花を散らしたヒラメキの中身を《なんぢ ころすなかれ》と言いかえたのである。倫理規範としたのだ。このオシエなる形態とシンジルかたちとは別である。  2-5. ソクラテスの場合は けっきょく自分の弟子にあたる人間ふたりがアテネの町に害を及ぼしてしまった。人びとはその教師ぶりをうたがってとがめた。ソクラテスは――先ほどのマウドゥガリヤーヤナの場合ではないでしょうが―― このような自分の仲間としての弟子たちにしろ一般の市民たちにしろその咎めを受け容れ死刑のさばきにも甘んじた。のではないか?  おそらく《善く生きる》にしろ《生きる》にしろ アテネの町の人びとにおいてさらにさらに熟慮を持ち得た〔のにそれを打ち切った〕のではないだろうか?  3.  ● 《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化   するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》  ☆ これは 《あらゆる弱化するもの 老化するもの》というのは 《歳を取ることにおいていわゆる自然に反する考えや振る舞いをおこなうことによってシガラミを増し加えるかのごとく現われて来る老弱化のそのこと》であると採ればよいかも知れない。  つまり《者》つまりその老化する人間に対して《残酷で仮借ない態度を取る》のではなく そうではなく 要するに考えと行動について自然(ないし人間の自由)に反するようなマチガイに対して容赦なくこれを捨てるということ。そのマ(間)の違いをおのれの内面において捉えこれを自然本性への違反として(ないし人間の自由への違反として)みづから批判しこれを内的に棄てるということ。であればよいかも知れない。  《生きる》ないし《善く生きる》のささやかな議論でしたが 《2》は課題として述べて立ち止まり思惟をなお残しております。そのおあとがよろしいようで。  ~~~~~~~~~~~~~~~

  • (長文です) 建築は哲学ですか?など

    趣味の芸術としての建築には興味があるですが、全くの素人です。 無秩序に多くの質問を並べた上に、抽象的過ぎて成り立っていない質問も削除せずそのままにしています。 乱文です。 質問として非礼ですがご回答を頂けると嬉しいです。 もちろん一部のみのご回答で結構です。 よろしくお願いいたしますm(__)m 建築のデザインには設計した方の哲学的なアプローチがあり、建設物はその産物なのでしょうか? そうであれば、その考察を文章にすることは可能なのか、可能であれば文章にするとどういった感じになるのか、建築家の例をあげて教えていただけると嬉しいです。 また、その哲学的考察は文学や詩や絵画のように、(建築の)批評家による批評が成り立ちますか? さまざまな制約から建築物に設計者の哲学を表現できなかったとしても、設計者はそれに不満を持ち、自分の頭の中では常に考え続けているのでしょうか? 一般的に、建築物の“装飾”や“外観(フォルム。狭義での“形”)”には『意味』や『根拠』が必要ですか? サッカーではプロよりも素人のほうが試合中に無駄にテクニックを披露したり、そういったブラジル人選手が批判されるように、「ただこの形が美しいと感じたから」といった突き詰めていないものはどのような分野でも批判があると思いますが、建築の場合も批判があるのでしょうか? 「奇をてらった」外観、またはそのような建築は存在しますか? 海外建築家による、アルミの筒を並べたような銀色の美術館がありますが、あの外観はどういった考えに裏打ちされた外観なのなのでしょうか? また、その建物を写真でしか見たことがないのですがとても美しいとは思えません。どこが評価されているのでしょうか?また、建築を写真だけで判断するのはナンセンスですか?その場合、なにがどうナンセンスでしょうか? 例えば、“偉大な建築家!”などと呼ばれる場合、彼らは芸術の分野と同じく、“新しいこと”をしているのでしょか? 建築における“発想(または、新しいコト)”とはどういった人によるどういったものがあるのか、例をあげていただけませんでしょうか。 ●●氏は、~を上から吊るすことで、~な効果を出し、その後の~の建築に影響を・・・等。。 (コルビジェ、バウハウス、の存在は知っています) また、その“新しさ”は絵画や文学やファッションや音楽などの他のあらゆる分野における新しさとは何が違い、例えるなら“他のどの業界の新しさ”に似ていますか? 芸術家によくあるように新しいアプローチがなければ「あの建築家はパクりだ」「新しいことを何もしていない」というような辛辣な批判があるのでしょうか? 全国の大学生の卒業制作のコンテストの本をパラパラと見たのですが私の理解できないようなことを考えている様子でした。また、たくさんの模型やイメージ図がありました。 しかしあんなにも多くの学生ですら持っている多種多様なデザインの建築が現実に存在しないのはなぜですか? 佐藤可士和さんのようなアートディレクターや佐藤卓さんのようなデザイナーによる空間デザインと建築家による空間デザインはどこがどう違うのでしょうか? 建築に、文学や絵画やファッションのように建築家の“世界観”を体現しようとするのは幻想ですか? 建築に“共感”は成立しますか? 成立する場合、どのような存在の仕方がありますか? 建築科(建築家の間違いではありません)が文系では成立しないのはなぜですか? (幅広い回答を得られるよう、美術のカテゴリでも質問しています)

  • ニーチェとカントの出会い って?

     ニーチェとカントの出会い?  ▼ (三島憲一:ハーバーマスとデリダのヨーロッパ) ~~~~~~~~   デリダの〔ハーバーマス七十五歳の誕生日に際しての〕お祝いの手紙が 《我々の誠実さ》というニーチェの引用で始まっていることを忘れてはならない。デリダとハーバーマスにおいて(ひょっとしてハーバーマスは多少ともいやいやながら) ニーチェとカントが出会っているのである。  理性の欺瞞を告発し 個性と差異を情熱と芸術の名によって擁護したニーチェと 人間を目的として扱うことを哲学的社会論・政治論へと翻訳し 世界市民権を説いたカント 理性と力の癒着の告発がともすると力の理不尽な肯定という迷誤に陥ったニーチェと 理性の哲学がときとして謹厳実直な特定のライフスタイルへの固定化を誘引しがちな道徳主義的カント 政治的にはこれまでまったく違った陣営に位置づけられていた両者が デリダとハーバーマスの《翻訳》を通じて二一世紀にもっと激しく出会うならば――そして すでに二〇世紀の最後の一〇年で確実に出会っているのだが―― それぞれの迷誤と誘引をもう知らない世代の希望が出てくるというものである。  そうすれば ヨーロッパ憲法の挫折はエピソードに終わり 国際秩序の立憲化という《ユートピアなき理想主義》への道がひょっとすると見えてくるかもしれない。  これがデリダとハーバーマスのヨーロッパ つまりエアバスと武器輸出のヨーロッパではない ヨーロッパの自己像である。  そして ひょっとすると 日本の思想の世界でも 《なんとか大学なんとか学会》の習慣も 〔* 日本の学者たちがそれぞれ自分たちの奉じる外国の学者や思想家をそれにたてまつったところの〕神様や偶像を引くだけの《神々の戦い》の時代も終わるかもしれない。ヱーバーがこの表現を使った経験は もう過去のものに属するのだから。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 終章 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ p.227 )  ~~~~~~~~~~~~~~~  ハーバーマスおよびデリダについて知りません。どなたか解説してくださいませんか。  そのほか ご感想やご見解をも述べてください。  質問者の物言いは わづかに《世界市民権》が 市井の一市民にあるというだけではなくそのことが 社会制度としても――つまり 国家やあるいは国際連合などに必ずしも頼ることなく 地域のムラ(市町村)じたいの体制としても――成っているということ このことを必須の条件とすると考えられることである。    自由なご批判をどうぞ。