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評価、評価という傾向について

Chuck_GOOの回答

  • Chuck_GOO
  • ベストアンサー率64% (1018/1586)
回答No.1

これはもしかしたら 先生&子供 の質の低下(!?)を反映したものかもしれませんね。 何をもって”質の低下”というかにもよりますが、あえていえば「自ら考え、試行する能力の低下」というところでしょうか。。。 jiveさんおっしゃる理想像は、先生も自ら考え実践し、また子供もそれをよしとされる環境下(もしくは厳しい躾けの中で親への対抗を見出す中で自主性が育まれていく環境下)で達成されうるものかと思います。 しかしながら、その両方の条件が不十分、もしくは欠落する中で、教育の質を上げよう、とした場合に、「評価」ということを1つのメルクマールとするのは、ある意味やむを得ない傾向かと見ます。 これは結構根深い問題で、21世紀の日本がどうなっていくか、ということにも大きく関わる問題だと思います。 人生、他人の評価を気にしつつも、それを超えたところにこそ個人の幸せがあるのは、社会がどう変わろうとも、ゆるぎない事実かと思います。 逆に他人の評価を人生の礎にした場合、その評価がいかにあやふやなものか(そもそも人の人に対する評価がいかに不安定なものか)、ということに気付いたときにその絶望は大きなものになるでしょう。 偏差値であったり、学歴であったり、その他の社会的序列は1つのものさしでこそあれ、それがすべてない、ということに気付かないと、人生不幸になりかねないかと・・・。 しかしながら、今の日本の教育システム、もしくは家庭のしつけでは、そういった教え(というか「生きる知恵」)が十分ビルトインされていないように思います。 むしろ、「いかに社会的序列にうまくのって、人生を生きていくか」というところに注力している人の割合が低くないのではないかと。。。 個人的にはここ当面(数十年?)、この傾向を変えることは非常に困難なのではないか、と感じているところです。 自主的に「脱評価」にシフトできればいいのですが、「評価」を拠り所に生まれ育ち、いまを生きている人々の多くに、それを自主的に期待するのは困難かもしれないと。。。(しかしそれを所与として絶望しても、仕方ないところではあります。希望は必要!) 以上ご参考にいただける部分あれば幸いです。

jive
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「脱評価」、そういう発想になりますね。実際に、脱評価している学校もあるようです。公立校でも、通知簿の「総合的な学習の時間」の欄では、文章によってその様子を伝えます。評価一つをとっても、課題が山積ですが、学校をより良い場所に、と思います。

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